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ブックマーク / dryandel.blogspot.com (39)

  • 脳だけが旅をする

    自分の中に、「すでにレーンが組み上がっているなあ」と思うことがある。新しい情報にアクセスし、それがスッと頭の中に、何の抵抗もなく入ってくるときなど、特に思う。 他者の情報が自分の中に入ってくるなんてのは、ほんらい、とても異常なことではないか。人体に異物が入って来たら、免疫が対抗する。それといっしょで、もともと自分の中になかったはずの情報が入ってきたら、違和感という名前の免疫が応答するはずなのだ。 「えっ、どういうこと?」という引っかかり。摩擦。自分の中にそれまでなかったものに対する一次反応。他者の思考に対してぼくの脳は、これまでの状態(ホメオスタシス)を保つために抵抗し、炎症が起こって、浮腫(むくみ)が周囲に波及し、熱を持って、痛みを伴い、腫れ上がって赤みが出る。細菌やウイルスに限らない、情報だってこのようなプロセスを辿るのが自然だ。 実際、4,5歳くらいの子どもをみていると、思考の自然免

    gcyn
    gcyn 2022/01/13
    『他者の情報が自分の中に入ってくるなんてのは、ほんらい、とても異常なことでは/もともと自分の中になかったはずの情報が入ってきたら、違和感という名前の免疫が応答するはず』思う思う、さいきん思います。
  • 太ももがむちむち

    集合写真を撮った。病理診断科のスタッフ、病理医3名、技師5名、助手1名の合計9名がスマホのカメラに写る。となりの検査室からスタッフを1名借りてきてシャッターを押してもらった。 撮られた写真を見てみると、辺縁の部分が魚眼レンズ的に少し湾曲していた。スマホの設定を風景用などに変えておくべきだったかもしれない。まあ、用途はしょせん「大学の基礎講座に送って教室だよりに載せてもらう」だけなので、これでもよかろう。 写真に写った自分を見る。椅子に座って太ももの上に拳を置いている。太ももが少しむちむちしている。写真の写り方の問題、というよりは、パンツの素材のせいかもしれない。GUで買った3000円しないパンツだ。 写真なんてめったに撮らないのでこういうときにあっしまったなと思う。 写真のためにみんな一瞬マスクを取った。しかしシャッターを押される寸前に、今のこの時期を記録に残すためにマスクをしたままでもよ

    gcyn
    gcyn 2021/11/17
    『持ち込んでいたのだろう、さまざまな感染症を、人が。そういうことがわかってしまった今、病院に勤める人間がマスクを外すことは、一部の必要な例外を除いてありえない/以前とマスク以後は完全に分かたれた』
  • 暮らしやすさのビート

    ぼくが自分の労働を自分でデザインできるようになったのは、年齢でいうと42歳のときである。つまりは去年のことだ。 科の主任部長になって権限が増えた。権限と言っても、スタッフに命令して何かをさせるとか、職場の決まり事を上意下達できるとかいうものではなく、「自分の裁量で仕事ができる権利」であるが、これを手に入れてとても楽になった。 思い通りに働ける。思う通りに動ける。タイムロスが少なくエネルギーロスも少ない。だから仕事が充実するし分量もこなせる。 主任部長という立場によって得られたものも多いが、そもそもぼくに経験と技能が備わったこともおそらく大切である。10年前は、診断の際に必ずおびえがあった。「全く知らない、歯が立たない病気に出会ったらどうすればいいのだろうか」と毎日不安だったし、そういうときにできることはボスや他施設のエライ人にプレパラートを持っていって聞くしかなかった。今もやっていることは

    gcyn
    gcyn 2021/07/12
    『そこではシュフが自分の行動をいかにデザインしているか、そのデザインを邪魔されることがどれだけ不快であるかを語る人がいた。ぼくはその話を聞いて深く納得した/
  • 病理の話(524) 指名手配書の写真って古びてくるじゃんね

    「病理の話(521)昔の標を取り寄せる」を公開した後に、ツイッターで何気なく寄せられた質問がある。 「がんを顕微鏡でみるとき、元あったがんと、転移した先のがんって、同じように見えるんですか?」 これ、なかなか実践的な質問で、臨床医や病理医のタマゴにもたまに聞かれる。 結論: 「そこそこ同じように見える」。 言うほど簡単ではない。けっこう難しい。 まず、がん細胞というのは、すべて見た目が違う。そこからはじめよう。 「大腸がん」と「乳がん」では細胞の雰囲気がまるで異なるし、おなじ「乳がん」であっても、人それぞれ、少しずつタイプが異なる。 例として。 「がん細胞が互いに手をつないで、輪を描くかのような構造をつくる」 こともあれば、 「がん細胞がおしくらまんじゅう状態で、ぎっちり詰まっている」 こともあり、 「がん細胞がみっちり詰まっている中にぽつりぽつりと空間が空いていて、中にがん細胞が死んだ

    gcyn
    gcyn 2021/04/12
    『こうして、昔と今を見比べながら、「どうせ再発しても昔のように弱点はこれなんだろ?」と、過去の犯罪捜査をもとに復活した犯人を追い詰める。そのための病理診断、そのための病理医である』
  • 藤やんとうれしーを見て考えてみた

    ローカルテレビ番組「水曜どうでしょう」のディレクター陣ふたりがやっている、「水曜どうでそうTV」というイカした名前のYouTubeチャンネルがある。 https://www.youtube.com/channel/UCLPelMHFSPTVzeZudKsIxzQ まったくふざけた名前だ。 いまや登録者数は30万人越えである。ぼくはこれがはじまったころからずーっと見ているがやはりディレクター陣ふたりはコンテンツ能力が高いなーと思う。すでに世にある「水曜どうでしょう」という番組の底力であることはいいとしても、その番組を露骨に匂わせながらも微妙に違うことをやりつつ、新たにこうして何十万という人々のワンクリックを引き起こした彼らは、やはり「やり手」だ(プロのYouTuberとタッグを組んでいるにしても)。 そういえば、「チャンネル登録者数が少ないときから見ていたでかいYouTuber」というのを、

    gcyn
    gcyn 2020/03/19
    『「居場所」というものを再考するきっかけになった』
  • 病理の話(422) 子宮筋腫を見る

    子宮筋腫という病気はちゃんと調べるとかなりいろいろなことがインターネットだけでもわかるようになっている。なぜならありふれているからだ。 こうやって書くと、実際に子宮筋腫で苦しんでいる人はあまりいい気分はしない。ありふれているからなんだっていうのか! でも「頻度」というのはとても大事なのである。頻度、すなわち世の中にどれくらいその病気にかかる人がいるか、というのは、その病気を診断する上で超絶大事な情報なのだ。だから医療者はつい数字にこだわってしまう。申し訳ない。 さて子宮筋腫がどれくらいありふれているかというと、だいたい成人女性の3~4人に1人は持っている。それってもう病気じゃなくて個性じゃん、と言いたいレベルの頻度である。当たらずとも遠からずで、子宮筋腫という病気があるからといって一生それに不都合を感じずに生きていく人も多い。要は程度問題なのだ。 子宮筋腫という言葉を解体すると、子宮+筋+

    gcyn
    gcyn 2020/03/10
    『大多数のケースでは〜ほぼ間違いなく「良性」である』『そして、この「ほぼ間違いなく」を、「間違いなく」に近づけるために必要なのが、顕微鏡ではなく、「病理医が目で断面を見ること」である』
  • 病理の話(388) エビデンスのナラティブ

    病理の話というよりは医学の話をする。 西洋医学はよく「エビデンス」がだいじだという。エビデンス、すなわち証拠なのだが、もはやこの言葉は独り歩きして意味がいろいろとくっついて、雪山をかけおりていく小さな雪玉がいつの間にか大玉転がしみたいなサイズになっているように、複数の意味とニュアンスをあわせもつ化け物みたいな言葉になっている。 医学界における「エビデンス」: 先人たちが病気の診断方法や治療方法、処置の方法などについて、無数の結果を掛け合わせて、統計学的に「このやり方でやるのが現時点でおそらく一番いいだろう」と確認しているもの。 これで簡単に説明したつもりなのだが、ちっとも簡単じゃない。 たとえばぼくが、過去に、「山になっていた木の実を口に入れてみたら甘かった」という、素敵な経験をしたとする。 この経験自体は真実だ。某山に生えていたとある木に、鈴なりになっていた実をべた。少なくともぼくは甘

    gcyn
    gcyn 2019/11/26
    『エビデンス、すなわち証拠なのだが、もはやこの言葉は独り歩きして意味がいろいろとくっついて』『複数の意味とニュアンスをあわせもつ化け物みたいな言葉になっている』
  • ソリティアってそういう意味だったのか

    一冊、あまりおもしろくないを読み終えた。残念であった。 献じゃなくてよかった。献だったら、感想を伝えなければいけない。けれどもこのの感想を伝えるのはちょっとしんどい。忌憚のないご意見を、とは言うけれど、つまんなかった、とはやっぱり言いづらい。 まあこういうこともある。このあとは、を職場のおくまったところにある棚に挿してしまえば、おそらくもう、開くことはない。 ただ、今回は少し、表紙をみて、奥付をみて、考え込んだ。 このがつまらなかったということは、ぼくと、このの作者や編集者たちとがずれているということ。 これはけっこう売れているだ。ならば、ぼくは「世間」ともずれているということ。 もちろんいっこうにかまわない。誰がおもしろいと言ったから読む、というベストセラー礼賛型の選書も決してきらいではないけれど、読書というのは究極的には個で完結していさえすればよい。天知る地知る我がこ

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    gcyn 2019/09/18
    『この本がつまらなかったということは、ぼくと、この本の作者や編集者たちとがずれているということ。これはけっこう売れている本だ。ならば、ぼくは「世間」ともずれている』『著者がナワバリを固辞するような本』
  • パッショナルコンピュータ

    チョコパンって10回言ってみて。 チョコパンチョコパンチョコパンチョコパン チョコパンチョコパンチョコパンチョコパン チョコパンチョコパンチョコパン。 今1回多かったよね。 そう? まあいいよ。 そう? じゃこれは何? ぱちょこん! というわけで機内でパチョコンを開いている。Wi-Fiが使える飛行機が増えて助かっている。でも別に仕事をしているわけではない。ほんとは仕事でもすればいいのかもしれないけれど、そこまで熱心にやろうという気にはならなかった。 札幌に帰る途中の飛行機である。 さっきまで、日臨床細胞学会に出ていた。今回は主に単位をとるための出席だったので、あちこちで講演を聴き、スタンプラリーをめぐるように受講証明書を集めた。 少しぐったりとしている。機内の冷房がきつい。 だらだらとネットをみている。スマホでみればいいのだが、もう充電が心もとない。ノートパソコンのほうが、まだ持ちそうだ

    gcyn
    gcyn 2019/06/20
    『自分の子供が小さかったころ、自分の子供以外の子がどこかで泣いている声に異常に敏感になった』『子供が少し大きくなった今、遠くで泣いている子の声は、ふたたび単なる「泣いている子の声」に戻った』
  • 病理の話(306) 顕微鏡をみる仕事ではなく

    「顕微鏡をみて病気を診断する仕事です」。 日頃われわれは、病理診断のことを、このように説明する。 実際には、やまほど言いたいことがあるのだが。 たとえば顕微鏡をみていない時間はとても多い。ほかにもみるべきものはいっぱいある。 けれども、一番イメージがしやすく、他と差別化しやすいから、「顕微鏡をみてます」と伝える。まあこれが一番キャッチーだということだ。 すると、たいていの人の脳内には、パッと顕微鏡が出てきて、少し前のめりで接眼レンズにメガネをくっつけた白衣の男が浮かぶようである。 このようにして病理医のイメージが整う。 昔はこれで十分だったのだが、最近は、脳内に顕微鏡を覗き込む白衣男性のイメージを植え付けた人々から、このように問いかけられることがある。 「『みて判断する仕事』ってことですね。ならば、この先AIが発達したら、コンピュータのほうが見て判断するのはずっと得意でしょうから、病理医は

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    gcyn 2019/03/22
    『不思議なもので、「考えて」「語る」をつけると、とたんに「AIに奪われるんですよね」とは言われなくなる。みんなAIが考えないと思っているようだ。AIは語らないと思っているのだろう』
  • ものすごいくしゃみの擬音みたいなアレ

    ググり続けていると、へったくれの「くれ」は「あらくれ」とか「飲んだくれ」と同じような意味ではないか、みたいな、質にかすっているのかどうかよくわからない知識がいくつか手に入った。結局「くれ」とはなんなのだ。そして「へったくれ」とは何のことなのだ。

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    gcyn 2019/03/18
    『アブダクションはビッグデータやAIとの相性が、良いようで、悪い。アブダクションは人間がアナログな脳作業でやっていかなければいけないんじゃないかなあ、と思う』
  • 脳だけが旅をする: がんばれ式守伊之助

    冬の出張はリスキーだ。 何をいまさらという話もあるし、別に北海道に限った話ではないだろうし、夏だって台風でいろいろと交通をかき回されることもあるのだけれど、でもあえて言うけれども、北海道に住んでいると、正直、冬の出張は承りたくないのだ。 まあなんでこの書き出しかというと、明日の釧路出張が心配なのである。 札幌から釧路に行く方法はだいたい4種類ある。 1.札幌市北区(東区だっけ?)にある丘珠空港というザコ感すごい空港から8:00 am発のJALで45分のフライト 2.札幌市の南東にある千歳市の新千歳空港という中ボス感ある空港から7:40 am発のANAで45分のフライト 3.札幌駅から7:00 amに出るJRで4時間 4.札幌駅あたりから出るバスで5時間 5.自家用車(高率にやられる) 4種類と書いたが5種類目を冬にはやりたくない。やる人もいっぱいいるのだろうけれど、道東自動車道は片側1車線

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    gcyn 2018/12/12
    『大迫(半端ない)』
  • 脳だけが旅をする: わかったか恵三朗

    なんか今ふと思ったんだけど、たとえばレオナルド・ダ・ビンチが死んだ時、周りにいた人は、「とても大きな損失だ」とか、「我々は偉大な天才を失った」とか、「これで科学の進歩はしばらく遅れるだろう」みたいなことを考えたのではないか。 でもまあ、その後、ぶじ科学は発展し続けている。レオナルド・ダ・ビンチがいなくても、だ。 きっとレオナルド・ダ・ビンチは、死の床で、 (あっ……今思い付いたアイディア……ものすごく多くの人のためになる……役に立つ……最高……でももう口が動かない……惜しい……) なんてことを考えていたんじゃないかと思う。 彼があと数年生きていたら今の世の中に何を残してくれたのかはわからない。でも、まあ、それがあってもなくても、世界はこうしてなんだかんだで不思議にまわっている。 今となっては、どうしようもないし、どうでもいいことだ。レオナルド・ダ・ビンチにとって、いいことなのか悪いことなの

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    gcyn 2018/11/01
    『ふわふわ書き始めた着想が、文字に牽引されてモニタに縛り付けられていき、少しずつ固まっていく』
  • 病理の話(243) 結論が変われば前提も変わる

    病理医の仕事は主に2つあって、 1.病気に名前をつける 2.病気がどれくらい進行しているかを見極める である。これらは病理に限らず、たいていの医療者がやっていることで、2つあわせて「診断」という。病理医がほかの医療者たちと大きく異なるのは、この診断を顕微鏡を駆使して行っている、という一点に尽きる。 さて、顕微鏡をみれば病気の名前なんてすぐわかるだろう、だってモノを直接見ているんだから、などと思われがちなのだが、これが実に難しい。 難しいだけではなく、そもそも、時代によって名前がころころ変わってしまう病気がけっこう多い。がんも例外ではない。 昔、「内頸部型」と呼ばれていたとあるがんが、「通常型」という名前に変わった、なんてことがつい昨年もあった。 単に名前が変わっただけでしょ、とあなどってはいけない。 例えば、ダイエーホークスがソフトバンクホークスに変わってもホークスはホークスだ。しかし、オ

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    gcyn 2018/09/14
    『医療者としては、「薬の効き方の違いによって病名を分けたほうが、対処がしやすいのでは?」と発想する。だから病気の名前はどんどん移り変わっていく』 ”
  • 病理の話(232) Y染色体とは拡張パッチである

    人間はレゴブロックでできていて、まあレゴブロックと言い切ってしまうといろいろ語弊があるので、そこは正確に言い直すと、タンパク質でできているのである。 レゴブロックと同じように、タンパク質にもいくつかの種類がある。そのいくつかのタンパク質を組み合わせて、人間という途方もない大きな建築を作り上げる。

    gcyn
    gcyn 2018/08/15
    機能は持たない、とのお立場。
  • はいはいお茶の初出はフラジャイルの何巻でしょうか

    朝からやることがとても多いとわかっていた日、とりあえず朝をとらずに出勤して2時間ほど働いた。そののち、病院のローソンが開いたのを見計らって、朝を買った。 ついでにペットボトルのお茶も買った。 ふだん、出勤してから昼飯までの間はとくになにもべたり飲んだりしていないのだが、この日は「朝と一緒に買ったお茶」があったので、午前のあいだずっと、お茶をちびちび飲んでいた。 ふと思う。 スルスル飲めるしお腹がたぷたぷにもならない。「あれば飲める」し、どちらかというと、「お茶があるほうがうれしい」のだな、午前中は。 逆にいえば、日頃、午前の仕事中、ぼくはずっとカラカラだったのだろう。自分でも気づいていなかった。 イヤホンが壊れたときには、また少し違ったことを思った。午後の仕事中にはよく、イヤホンで聞こえるか聞こえないかくらいの音量にしぼった音楽を聴いている。新しいイヤホンが届くまでのあいだ、ぼくは

    gcyn
    gcyn 2018/07/26
    『たぶん、ぼくは、カモだ。CMひとつにダマされて物を買うタイプのカモだ。なのに世の中は、少々、広告がへたすぎるのではあるまいか?』
  • 全くとは言ってません

    ワールドカップの報道をみるたびに「どうせ日は勝てないんだ」とつぶやくタイプの大人がいて、彼はサッカーをみることで自分の大脳の深いところに眠りこけていた幼児のような感情を蘇らせ、脚をくねらせたり眉をしかめたり口をとんがらせたりしているのだなあ、それはいいことではないか、サッカーに感謝するがいいさと、ほほえましく思った。 いい大人がガキみたいにねじくれた感情を吐露するシーンは貴重だ。 SNSならまだしも。現実社会で、大人はみんな大人としてやっていく。 このブログ記事が掲載されるころには、サッカー日本代表の戦いはいくつか終わっているだろう。書いている今はまだ一試合もはじまっていないからこんな呑気なことが書ける。実際、世の中には、サッカー日本代表が勝つ勝たないでまるで今後の仕事内容が変わってしまう人、サッカー日本代表の成績次第で今後の給料がなくなってしまう人、代表を育成したりトレーナーとして

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    gcyn 2018/06/28
    『口を挟んだ瞬間に責任がつきまとう』 これは呪いみたいなレベルでも、あるなあ(…とはてブに書いたりするの何だこれ(笑))。
  • 水どうおおいずみよ

    現在ぼくはカメラを2つもっている。ひとつはニコンの一眼レフで、もうひとつはソニーのミラーレス一眼。それぞれ付けているレンズが違う。

    gcyn
    gcyn 2018/06/26
    『スマホで写真を撮るのがうまくなった』『雑じゃなくなった』『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、カメラは買ってみよ』☺︎
  • 5年手帳でやっててちょ

    ようやく桜が咲き、ぼくは大学の講義に向かう。 生徒たちの年齢はぼくのおよそ半分くらいになっている。 昨日、大学の前にあるクラーク亭というレストランでチキンカツをべた。少し量が多かった。 移転こそしたものの学生時代にも通っていたレストランだ。長年べていたメニューが少し重くなったとき、自分が相対的に軽くなったのだなと思う。 4月は新歓のシーズンだ。レストラン内に「18時以降全面禁煙」という張り紙が貼られ、新入生を連れてメシをおごる学生たちが大挙してかつての喫煙ルームを埋め尽くしていた。 新入生たちはみな行儀良く座って、まだ入るかどうかも決めていないサークルの先輩の話を聞いている。先輩たちはたいてい同時にしゃべっている。誰かひとり、決まったカリスマがしゃべる、みたいな決まりはないのだ。新入生たちがきょろきょろするのは、社会がいっせいに語りかけるからだ。 今年はじめて思った。自分の思い出の解像

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    gcyn 2018/05/09
    『新入生たちがきょろきょろするのは、社会がいっせいに語りかけるからだ』
  • 病理の話(194) 患者の幸福とは何だ

    医療の目的はなにか。 「患者の幸福」というのがまあ一番なんじゃないかな。 これに反論する人もいるかもしれないけれどいったんおいとく。 で、「患者の幸福」の定義は、それほど簡単ではない。 たとえば、糖尿病という病気は、 ・後などにおいて血糖値が高め ・だけど特に症状とかはない という時期が、比較的長く続く。 この時点で、血液検査などによって”ひっかかる”ことが多い。 ひっかかるというのもまた一筋縄ではいかない言葉だ。なんとなく投げやりなニュアンスを含む。 ひっかかった人はどう思うかというと……。 「えっ、俺、病気なの?」 「なんともないのに?」 そこに医者からコメントが入る。 「このままの状態を続けると、いずれやばいですから。生活を見直しましょうね。運動をしましょうね。」 この一連の流れは、患者にとって「幸福」だろうか? とつぜん病気だといわれて生活を制限されるのだから、ま、ちっとも幸福

    gcyn
    gcyn 2018/04/25