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ブックマーク / www.mishimaga.com (8)

  • ウクライナ侵攻について(藤原辰史) | みんなのミシマガジン

    歴史学者の藤原辰史さんと数学者の伊原康隆さんによる、往復書簡の連載です。伊原さんから藤原さんへの前回の便りはこちらから。 今回は、歴史学者が現在の出来事をどうとらえるか、そのおりにどう歴史を学び直すのかについてのお話をさせてください。歴史学の営みは、単に過去の事実を学ぶのではなく、過去を通じて現在を理解しようとする試みでもあることは、よく言われる通りです。今回、ロシアウクライナに侵攻したという衝撃的な事実を前に、私たちはどう頭を整理できるのか。歴史学をはじめ人文学の知はこのようなときに、悪い意味にも良い意味にも、威力を発揮します。悪い意味、というのは、歴史の歪曲と国威発揚と「非国民」の確定のために用いること、良い意味というのは、過去の愚行の背景を知り、現在に生かすために用いること、と取っていただいてかまいません。 この問題が起こる前にウクライナ情勢について私が考えたことは、『毎日新聞』(

    ウクライナ侵攻について(藤原辰史) | みんなのミシマガジン
    gcyn
    gcyn 2022/03/18
    『ヒトラーがクレイジーだったので第二次世界大戦と大量虐殺が起こったという説明では、誰がヒトラーを支持したのか、どういう国際情勢がヒトラーを追い込んだのか、という問いが消し飛んでしまい』
  • 胸痛む夏 | みんなのミシマガジン

    第72回 胸痛む夏 2020.08.05更新 都内の大学の教員をやっているので、2020年春から、否応なしに、オンライン授業に移行した。オンライン授業など、それまで、やったことがあるはずがない。大学の教育は、対面の教育にこだわり続けていたのだし、とりわけ私の勤務先の小さな女子大は、現実はどうであれ、少人数教育にこだわり続けてきた。自分自身の「学生と会う」ことへのこだわりも大きかった。対面で学生と出会う時間、そこでのやり取り、そこでの共時性、そこでの言葉も介在しないようなひと時、そういうものが、全て大学での教育であり、自らの研究室は、そのための重要な場を提供していた。 新型コロナ・パンデミックとともに、そのような当たり前の時間と場は、はかない夢だったように消えてしまった。自分の研究室に入ることができなくなるなんて、考えたこともなかったが、入れなくなってもう5カ月になる。やったこともない、慣れ

    胸痛む夏 | みんなのミシマガジン
    gcyn
    gcyn 2020/08/06
    『実によくできていた』『遊ぶこともバイトすることもデートすることもサークル活動することも、何もできなかったから、勉強したんだな、と思う。普段にも増して』『出来の良いレポートを前に、胸が痛む夏』
  • 特集『凍った脳みそ』後藤正文インタビュー(2) | みんなのミシマガジン

    第3回 特集『凍った脳みそ』後藤正文インタビュー(2) 2018.10.17更新 『凍った脳みそ』。なんとも不思議なタイトルである。いったい何のなのか? と題名だけ見てわかる人はかなりのゴッチファンにちがいない。「ああ、ゴッチの個人スタジオ、コールド・ブレイン・スタジオの邦訳でしょ」。そんな方は、私がどうこういうのはかえって失礼。ぞんぶんにお好きなように書を楽しんでくださいませ! 実は、アジカンファンだけど「このはどうしようかな」と思っている方や、必ずしもアジカンやゴッチのファンでもないけど音楽は好きという方や、ゴッチもアジカンも音楽もとりわけ好きなわけじゃないけど面白いは好き! という方にも、書はおすすめなのです。その理由の一端に迫ることができればと思い、著者の後藤正文さんに直接お話をうかがいました。昨日に続き、2日連続での掲載です。 (聞き手・三島邦弘) 『凍った脳みそ』後藤

    特集『凍った脳みそ』後藤正文インタビュー(2) | みんなのミシマガジン
    gcyn
    gcyn 2018/10/18
    『やっぱり感覚を整えていかないと無理なんですよね。自分が何をいいと思ってるかということが変わらないかぎり音は変わらない。「あぁ、恐ろしいことだな」と思いました。だから、いい音楽聴くしかないんですよね』
  • 奪われた言葉(2) | みんなのミシマガジン

    奪われた言葉(1)はこちらから 実は、クミさんはこの事件の前にも一人の子どもを出産している。 母親が、彼女を関東から連れ戻したあと、娘の身体の異変に気がついた。しかし既に人工中絶が可能な時期は過ぎていて、もはや出産という選択しかなかった。 「このことを周りに知られたら、まともに生きていけると思いなさんな」 母親はそう言って娘を責めながら産院を手配し、出産。また、母親は「こうのとりのゆりかご」で知られている熊の慈恵病院に相談し、生まれた子どもは特別養子縁組により養子に出されることになった。 特別養子縁組は、原則6歳未満の子どもが対象で、親の同意があることなどの要件を満たせば、実父母および親族との法律関係を断ち、戸籍上でも養父母の「実子」として記載されるという制度だ。 事前にそのことが決まっていた子どもの出産直後、クミさんは耳にした産声を「かわいい」と感じたという。赤ちゃんの顔が見たいと思っ

    奪われた言葉(2) | みんなのミシマガジン
    gcyn
    gcyn 2018/10/14
    『わたしはそのくだりを聞きながら、母親が娘から言葉を奪ったのだと確信した。そして言葉を奪うことで、その後どれだけ多くのものをクミさんから奪ってきたのだろうと暗澹たる気持ちになった』
  • 「聞こえる」と「聞こえない」のあいだ。(2) | みんなのミシマガジン

    「聞こえる」と「聞こえない」のあいだ。(1)はこちらから 少し前の話になるが、1年半ほどのあいだ、淀川キリスト教病院のホスピスに不定期で通いながら、入院されている14名の患者さんにお話を聞かせてもらったことがある(『人生最後のご馳走』というになっています)。 内容は、そのホスピスが独自に行っている「のケア」をテーマに、皆さんににまつわる思い出を語っていただくというシンプルなものだ。 命の限りを受け入れて、そのホスピスをある意味「終の棲家」として選んだ皆さんは、それぞれの状態にあわせて行われるきめ細やかな緩和ケアや、スタッフによる手厚い看護によるものなのか、お会いした誰も苦痛を訴えることなく、穏やかに日常を過ごしている方々ばかりだった。 そのため、末期のがん患者だからといって特別な方法を用いるわけでもなく、いつものように簡単な質問を投げかけ、それにお答えいただき、自由に話してもらうとい

    「聞こえる」と「聞こえない」のあいだ。(2) | みんなのミシマガジン
    gcyn
    gcyn 2018/08/08
    とっても面白く、関心深く読みました。
  • 『上を向いてアルコール』発刊直前、ひと足先に一部ご紹介!!(1)|今月の特集1|みんなのミシマガジン

    『上を向いてアルコール 元「アル中」コラムニストの告白』小田嶋隆(ミシマ社) 今月26日、あの天才コラムニストの小田嶋隆さんが、ついに20年間封印していた、アルコール体験を語った『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』が発刊となります。 SNS等ですでに話題の書、待ちきれない、という読者のみなさまに、今日から三日間、書の一部をひと足お先にお届けいたします。 まずは、まえがきをどうぞ。 告白─ 「まえがき」に代えて 二〇代の終わりから三〇代にかけて、私はアル中でした。 朝からジンの水割りを少しずつ摂取する生活を長年続けた結果、水さえ喉を通らない体調の日が定期的に訪れるサイクルに陥っていました。それでも、点滴を打って、飲むことを続けていました。自分は絶対にアル中なんかではない、と。疑うことさえしませんでした。 やがて、あることがきっかけで病院に行くと、そこで医者に宣告を受け

    gcyn
    gcyn 2018/02/23
    『アル中は遠くにありて思うもの』
  • 第8回 徳ポイントと若者|凍った脳みそ|みんなのミシマガジン

    2016.11.14更新 スタジオの移設にまつわる様々な問題も一応の解決を得て、日々の音楽作業は順調に進んでいた。 地下のプライベート空間は、大きな音でレコードを聴いたり、作りたてのメロディを大声で歌い試したり、親の仇でも討つかのように金属弦を掻きむしったり、打楽器を叩き狂ったり、ということを誰に気を使うことなく存分に行える、夢のような場所に仕上がった。 けれども、俺はスタジオの移設、というかコールド・ブレイン・スタジオの新設にあたって、この夢空間とでも呼ぶべきスペースを独り占めする気がなかった。なぜならば、このような夢空間を独り占めすると大小様々な祟りや罰(ばち)のような災いに見舞われることは、「まんが日むかし話」などを観れば明らかで、空間そのものだけでなく金銭や機会などを含めて仲間たちとシェアしたり、若いミュージシャンに無償で貸し与えたりしないと、大きなつづらを選んだ意地悪爺さん的な

    gcyn
    gcyn 2016/11/14
    『誰の手も借りずに自分らの手で切り開きたい、世の中をひっくり返したい、ということを、語尾に「ッス」をつけながら熱く語ってくれた。わかるような、わからないような、何とも言えないところもあったけれど』
  • 第1回 胡散臭いのが嫌いです。|なめらかな会社が好き。|みんなのミシマガジン

    こんにちは。近藤と言います。「はてな」というインターネットの会社を経営しています。2001年に会社を作ってから、13年目になりました。思えば随分長い時間になってきました。 会社を作ったのは25歳の時。就職活動をちゃんとやらず、進んだ大学院も中退してぶらぶら、いや、悶々と過ごしていたんですが、ふとしたきっかけで会社を作ろうと思い立ち、気付けば13年もやっています。 よくここまで続いているな、という感覚もありますし、まだこんな所までしか進んでいないのかよ、という気持ちもあります。まあしかし、それが自分です。それ以上でもそれ以下でもない。たぶんもう一度やってもたいして違いはないでしょう。 なぜきちんと就職活動しなかったかというと、ひとことで言うと胡散臭かったんですね(笑)。 だいたい、中学生になったあたりから、僕は世の中とうまく折り合いがつかなくなってきました。だって、なんだか胡散臭くないです

    gcyn
    gcyn 2013/05/31
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