もっといっちゃえば「コミュニケーション能力はないんだけどコミュニケーションをとりたがるし事実とってる人たち」ね。 ぶっちゃけ自覚のないセクハラ加害者って多くはこれでしょ。コミュニケーションって双方向通信だから、片方が劣っていても、もう片方が負担を大きくすればとりあえず成立するんだよ。この負担の一形態が「たまのセクハラを我慢する」とかだったりする。地方の中小企業の偉い人とか、あれがコミュニケーションだと思ってるし、実際その人にとっては出せる数少ないコミュニケーションのカードだったりする。 そういう人は(その本人が認識していない相手側の多大な負担の上であっても)とりあえずは自分が参加してるコミュニケーションが成立しているんで、自分にはコミュニケーション能力が当然のようにあると信じ込んでいて、その能力が低いだなんて思っていない。 これは才能ある芸術家とかもそうだよね。手塚治虫の自伝とか読むと、も