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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (30)

  • ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp リンク先の文章には、近隣の公園の喧騒に過敏になり、クレームをつけるに至った人の体験談が丁寧に記されている。いつものようにはてなブックマークにはたくさんのコメントが集まっていて、さまざまな意見、見解、感想が入り混じっている。 コメントのなかには、筆者の体験を病的であるとみなし精神科病院に行くよう勧めるもの、逆に精神科病院に行くよう勧めることが問題の個人化を促し、環境の改善がおざなりになってしまうのを懸念する声も見受けられた。なるほど。とても現代的だ。ここでは、近隣での騒ぎ声についての悩みが医療化されていると同時に、行政にクレームをつけることで改善を期待するさまが読み取れる。どちらも昭和時代以前には稀なソリューションだったに違いない。 昭和時代だったらどんなソリューションになっただろうか。 決まっている。「コラー!」である。 「子供が公園で自由に騒げた時代」

    ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠
  • 「僕たちの文明では感情は精神疾患」まであと何歩? - シロクマの屑籠

    私の気持ちは、誰のもの?(熊代亨:精神科医)#もやもやする気持ちへの処方箋|「こころ」のための専門メディア 金子書房 リンク先は、金子書房さんのnote記事に寄稿させていただいた「私の気持ちは誰のもの?」という文章だ。 社会から不適切な感情がどんどんなくなり、怒りや気分の落ち込みや不注意がどんどん治療やマネジメントの対象になっていくとしたら、私たちの気持ちはいったい誰のものなのか──そういった疑問を書き綴ったものだ。 でもって、この文章の終盤で、私は『魔法少女まどか☆マギカ』のキュウべえのセリフを拝借した。 10年ほど前にヒットしたアニメーションで、効率主義の異星人が「僕たちの文明では、感情という現象は稀な精神疾患でしかない」と主人公に言い放つ場面を見たことがあります。当時はその異星人の非-人間性に戦慄しましたが、最近の私には、それが他人事には聞こえません。効率性や生産性の妨げとなる感情や

    「僕たちの文明では感情は精神疾患」まであと何歩? - シロクマの屑籠
  • そうだ「ヤンキー的なもの」は規範だったのだった。 - シロクマの屑籠

    ゆうべ、twitterをぼんやり眺めていた時に、哲学者の千葉雅也さんの何気ないツイートが流れてきた。今日は、そこから色々と考えさせられたことをログとして残しておきたい。 学校をサボって昼に出かけていた、だがヤンキーではない、というのが僕にはわからないんだよなあ。学校をサボるなんて1ミリ秒も考えたことがなかった。— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年4月21日 僕はこういうティーンエイジを過ごしたので、人なんて放っておいても逸脱するのだから、逸脱を許すようなことをわざと言う必要はなく、まずいことの制約、禁止を言うことこそ大事だ、というのにはぜんぜん、わずかも共感できない。あの頃の僕は、逸脱を許可する言葉を切実に必要としていた。— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年4月21日 「学校をサボって昼に出かけていた、だがヤン

    そうだ「ヤンキー的なもの」は規範だったのだった。 - シロクマの屑籠
  • 「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」とそのコンセンサス - シロクマの屑籠

    私の場合、診察室はもとより、私生活でも「大人の発達障害」と診断された人によく出会う。私が好きで好きでしようがないインターネットやサブカルチャーの領域にも「大人の発達障害」と診断される人がごまんといて、彼らなりに活躍していたり苦労していたりする。 「大人の発達障害」と診断される人々に診察室で出会っても、プライベートで出会っても、彼らの大半は礼節や礼儀作法をしっかり身に付けている。少なくとも、そういったTPOがなっていない人にはあまり出くわさない。もちろん、空気を読んで当意即妙の発言ができる/できないであるとか、会話中の手足の挙動とか、そういった部分から発達障害の特性が垣間見えることは、ある。けれども古典的な自閉症のような重度の発達障害ならいざ知らず、「いまどきの大人の発達障害」と診断されている人のなかには一定のTPOを身に付けている人がたくさんいるし、そのおかげでプライベートな付き合いが成立

    「TPOのできた発達障害な人でも働きにくい社会」とそのコンセンサス - シロクマの屑籠
  • テレビがまとめサイトに見える - シロクマの屑籠

    ゴールデンアワーのバラエティ番組が、周回遅れの「話題の動画」を放送していた。NHKの、それよりは若干真面目そうな番組が、twitterのネタをテレビっぽく切り取って放送しているのも見かける。テレビで動画やtwitterの切り貼りをみると、なんだかまとめサイトみたいだな、と思えてしまう瞬間がある。いやいや、かかっている金額や放送される帯域の広さを考えれば、それはまとめサイトと同列のものではないのだけれども。 かつて、志村けんは素人の投稿したホームビデオをテレビコンテンツとして成功した。当時はもちろんインターネットが普及していなかったから、志村けんのあの番組、あの企画にはオリジナリティがあった。今はそうでなく、まず素人が投稿したコンテンツがインターネットにあって、そこで人気を獲得した上澄みが、テレビ番組に紹介される。 テレビテレビであってネットではなかったはず。 それでもテレビが「まるでネッ

    テレビがまとめサイトに見える - シロクマの屑籠
  • 「釣りの終焉」と「フェイクの時代」 - シロクマの屑籠

    インターネットスラングに「釣り」というものがあった。たとえば00年代の2ちゃんねるでは、「釣り」「釣り乙」という言葉がしばしば用いられた。釣りを釣りだと理解していることは、ちょっとしたネットのリテラシーだったものだ。昔の2ちゃんねるの管理人が言っていた、「ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい」という言葉が支持されていた時代でもあった。 はてなダイアリー(現はてなブログ)やはてなブックマークでもそれは同じで、「釣り記事」「釣りエントリ」といった言葉が並んでいたものである。わざと突っ込みどころのあるブログ記事を書いたり、たくさんの人の反応を集めるための仕掛けをほどこされたブログ記事などに、そうした言葉があてがわれていた。「大きな釣り針」「錆びた釣り針」といった派生語を用いている人もいた。人は大真面目にブログ記事を書いたつもりが、「釣り」扱いされて、憤慨している人もいた。

    「釣りの終焉」と「フェイクの時代」 - シロクマの屑籠
  • ヒカキンを眺めていたら軽躁だらけの社会が恐くなった - シロクマの屑籠

    【フォートナイト】ライトセーバーでついにビクトリーロイヤル!?【ヒカキンゲームズ】【スターウォーズ】 先日、いろいろあってヒカキンのゲーム実況を久しぶりに眺めた。ヒカキンがフォートナイトを実況するさまは、滑らかで、楽しそうで、ゲーム内容をきちんと紹介もしていてとても良かった。 ゲーム実況中のヒカキンは、テンションが高い。 大げさに笑い、大げさに驚き、よく喋り、ポジティブだ。口調にもよどみがない。 そのおかげで視聴しやすい、というのはあるだろう。 でもこれって、まるで軽躁状態じゃないか? 軽躁状態とは、双極性障害などの精神疾患でしばしばみられる、ハイテンションな精神状態だ。上機嫌で、頭の回転が速くなって、心身が好調だと感じることの多い反面、この軽躁状態の最中に迂闊な決定をしてしまい、金銭トラブルや人間関係のトラブルなどを起こす人も多い。だから精神医療の現場では軽躁状態はハイリスクな状態のひと

    ヒカキンを眺めていたら軽躁だらけの社会が恐くなった - シロクマの屑籠
    geopolitics
    geopolitics 2020/02/03
    youtubeはものすごくテレビ的なんだね。テレビは終わったというけどテレビ局とテレビは違う。本質は残った。
  • 「おっさん」は強ければ叩いて構わず、弱ければ忌避される - シロクマの屑籠

    なぜ「おっさん差別」だけが、この社会で喝采を浴びるのか(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) リンク先は「おっさん差別」に関する文章だ。 リンク先でテラケイさんは、「差別が許されない社会のなかで、差別主義者だと後ろ指をさされることなくバッシングできる対象属性」としておっさんを挙げている。弱者と認定されている属性やマイノリティとみなされている属性をバッシングすれば即座に差別主義者とされる現代社会でも、おっさん(という属性)へのバッシングは社会的に認められている、といった話だ。 この文章を読み、私が最初に思い出したのは、歴史的にみて強者だった成人男性と、いまや強者とは言い切れない現代日の成人男性だ。 法のもとの平等が行き届かなかった長い歴史のなかで、権力を握る者・暴力をふるう者は専ら男性だった。もちろん、個別の男女の力関係のなかには、女性が強者だった例もあるだろうけれども、社

    「おっさん」は強ければ叩いて構わず、弱ければ忌避される - シロクマの屑籠
  • 東浩紀さんの回想と、はてな村周辺の話 - シロクマの屑籠

    blogos.com —— とすると、もう我々にはネットで議論することは難しいという感じなんでしょうか いまはもう難しいですね。議論というのは来、論点を抽出して、その勝敗を決めれば誰もが納得する結論が出るというものではないわけです。そもそも最初から意見は違うんだから。その最初の「意見が違うということ」の意味を深く考えず、勝ち負けだけ決めようとすると、不毛な罵倒合戦しか生まれない 自分はAが正しいと信じている。にもかかわらず、こっちには全然違うBが正しいと信じている人がいる。これはなんでなんだろう。まずはそう考えるのが大事なんです。説得や論破が大事なのではなくて、違う意見が存在するのはなぜなんだということを考えること。これは、違う考え方を持っている人に対する一種の尊敬の念がないとできないことです。そして、それがどうやって生まれるかというと、時間だったりコミュニティの感覚だったりが必要です。

    東浩紀さんの回想と、はてな村周辺の話 - シロクマの屑籠
  • どんどん清潔になっていく東京と、タバコ・不健康・不道徳の話 - シロクマの屑籠

    ironna.jp 先日、iRONNAさんの「喫煙ヘイト どうにかならぬか」に寄稿した記事への反応が予想どおり、いや予想以上だったので、関連したことを書きたくなった。 記事に対するはてなブックマークの反応をみると、喫煙に対して比較的穏健な意見から非常にアグレッシブな意見まで、さまざまな意見があることがみてとれる。記事のなかで私は、 また、会員制交流サイト(SNS)をはじめとするネットメディアで先鋭化したオピニオンが集まりやすくなったことも、喫煙ヘイトを際立たせる一因として見過ごせない。世間では100人に1人しかいないような極端に排斥的なオピニオンでも、SNS上では仲間同士で群れ合い、そうした極論への同調者がたくさんいるかのように錯覚できてしまう。 と書いたが、はてなブックマークの反応はまさにそのようなものだった。今回は喫煙というテーマだったが、なるほど、これなら思想的に極端な意見もSNS

    どんどん清潔になっていく東京と、タバコ・不健康・不道徳の話 - シロクマの屑籠
  • ヤン・ウェンリーが「なろう小説」の主人公に思えて仕方がない - シロクマの屑籠

    銀河英雄伝説 Die Neue These 第1巻(完全数量限定生産) [Blu-ray] 出版社/メーカー: 松竹発売日: 2018/07/04メディア: Blu-rayこの商品を含むブログ (2件) を見る 新アニメ版の銀河英雄伝説、『銀河英雄伝説 Die Neue These』を楽しみにしているけれども、タイトルに書いたように、最近、ヤン・ウェンリーが「なろう小説」の主人公みたいに思える病気にかかってしまった。 原作を読んだのも旧アニメ版を観たのも二十五年以上前で、当時は「小説家になろう」なんて存在していなかった。web小説どころかライトノベルというジャンル名すら存在していなくて、ノベルスと呼ばれていたように記憶している。 それはともかく、新アニメ版のヤン・ウェンリーが、今は「なろう小説」の主人公みたいに見えてしまう。 アスターテ会戦でもエル・ファシルでも、ヤンは奇跡のような活躍をみ

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  • 自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先を読み、自主性が乏しいけれども仕事が優れている人っているよね、と思った。 出しゃばらず、言われた仕事はきっちりこなし、上司やパートナーの采配次第では抜群の仕事をやってのける人材が、自主性を求められる状況に直面し、困惑して、メンタルヘルスを損ねて来院する……というパターンは精神科では珍しくないものだった。 今では死語になりかかっている感があるけれども、「メランコリ―親和型うつ病」などと呼ばれていた類型の患者さんのなかには、そういうタイプが少なくなかったように思う。フリーハンドを与えられるまではものすごく重用されて、人も報われた感触を得ていたけれども、フリーハンドを与えられた瞬間にマゴマゴしてしまい働けなくなってしまうタイプ。そういう患者さんは2000年頃に比べて減ってしまった。ひょっとして、自主性が乏しいけれどもしっかり働く働き手は淘汰されてしまったの

    自主性の乏しさが罪になってしまう社会 - シロクマの屑籠
    geopolitics
    geopolitics 2018/01/06
    エースで四番は世界レベルで戦争する。それ以外のローカルはどうするか。ちなみにその日本製エースで四番は弱い。
  • 発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠

    精神医療が世の中を変えて、世の中が精神医療を変えていく。 そういう視点で、精神医療と世の中の相互作用を眺めていると、つい、ブロガーっぽいことを考えたくなる。 1.昔の精神医療には「狂気」しか無かった。 「発達障害」も「社交不安性障害」も「境界性パーソナリティ障害」も昔は存在していなかった。今日ではよく知られている心の病気が出揃ったのは、20世紀になってからのことだ。 十八世紀には、たったひとつしか心の病気が存在しなかった。狂気 insanity である。狂気という診断が意味していたのは、今日の臨床家が精神病という語で意味しているもの、あるいは口語的に「狂った crazy 」と言われているものだった。「狂気」とは、多くの場合妄想や幻覚を伴ったり、重いメランコリ―や高揚状態を伴うなど、患者が現実となんらかのかたちで接触を失っている状態のことを意味していた。 (中略) 狂気というひとつの病気だけ

    発達障害のことを誰も知らなかった社会には、もう戻れない - シロクマの屑籠
  • 内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠

    「あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。ほとんどの場合、このセリフは人望が無い人の口から出てくる。 いつも哲学している人や、いつも世界の重要事についてだけ考えている人は、世間には滅多にいない。いや、実のところ、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」と言っている人だってそうなのだ。有意味なこと・重要なことだけを喋る人間など、まずもって存在しない。仮にいるとしたら、事務的な内容や数学の解法のような内容しか喋らない、ロボットじみた人間になるだろう。 少なくとも、「あいつらは内容の無いことばかり喋っている」などという、内容の無いことをペラペラ喋ったりはしないだろう。 「コミュニケーションの内容」より「コミュニケーションしていること」のほう

    内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠
    geopolitics
    geopolitics 2017/05/08
    定時連絡みたいなものかな。
  • コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠

    syakkin-dama.hatenablog.com 世の中には、上記リンク先で「茶番」と言われているような場面が尽きません。 その典型が就活面接ですが、似たような「茶番」は、仕事に就いた後もずっと人生についてまわります。 必要な時に、大きくハッキリした声を出せること。 嘘ではないが音どおりでもない「夢」や「目標」を語ること。 無意味に思える指示にも、「わかりました」と答えること。 こうした「茶番」に対し、はてなブックマークには「未開民族の儀礼や慣習に似ている」って書いている人もいます。ですが、それを否定的にでなく、肯定的に捉えるべきだと私は思いました。 もし部族Aで、会った者同士が頭を下げる慣習があるとわかっているなら、それを身に付けておいたほうが部族Aではコミュニケーションしやすいでしょう。その慣習を突っぱねたら、無用な誤解や無礼を招くかもしれません。 同じことは、相手が部族Bや部

    コミュニケーションのプロトコルを「茶番」って呼ぶのは、身に付けてからにしましょうね - シロクマの屑籠
  • 「フォロワーにあわせてアウトプットしていたら、フォロワーに呑まれてしまった」 - シロクマの屑籠

    対機説法、という言葉がある。 kotobank.jp リンク先にあるとおり、これは「相手の精神状態や理解力にふさわしい手段で説法すること」を意味する。世の中には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるので、通り一辺倒な説法ではうまく伝わらない。相手にあわせて説法するのが上手な説法、ということになる。 これはインターネット上で説法、いや、説法に限らず色々なアウトプットをやっている人にもある程度あてはまる。 ネットの読み手や視聴者には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるのだから、ひとつの表現だけですべての読み手をカバーすることはできない。もし、自説をできるだけ広範囲の人に届けたいなら、わかりやすいもの~難しめだが緻密な内容のものまで、相手にあわせて提供する必要がある。あるいは、twitterならtwitterのフォロワーの、ブログならブログの読者の、動画配信なら動画配信の視聴者の理解力や精神状

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  • ネットで薬を調べまくる患者さんも、自分が何を知らないのかまでは知らない - シロクマの屑籠

    最近は、スマホやタブレット片手に、インターネットで薬や精神疾患について調べながら来院される患者さんが増えました。薬の名前をペラペラ列挙し、先生あれどうですか、これどうですかと、あたかも製薬会社のセールスマンのようです。 副作用もよく調べてますね。先生、これはパーキンソン症候群ですか、先生、のどが渇くのは抗うつ薬の副作用ですか、といった指摘は、ときに的を射ていることもあります。 でも、精神科医からみると、こういうインターネットにべったりな患者さんの知識はやはり偏っているようにみえます。 薬の名称、効果、副作用は余計なほど知っているのに、どれぐらいの用量でどれぐらいの期間使用したら効果が出やすいのか、薬ごとにどのぐらい副作用を避けやすいのかまで知っている人はまずいません。薬の効果を引き出すためにどういった手順や療養態度が必要なのかの知識も、たいてい欠落しています。シンプルなうつ病と妄想を伴った

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    geopolitics
    geopolitics 2015/04/14
    薬学というか医療系は変に勉強が出来る人がはまると抜け出せないらしい。立ち位置が分からないと情報の取捨選択が出来ないからだそうだ。
  • 「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠

    釣りっぽいタイトルだけど、実際、そうなってきている。形式としては子どもの自由な学業選択は成立しているが、実情としては、生まれた家庭の環境によって大きなハンディやボーナスがつくようになっていて、個人の努力で覆すのは大変難しい。そのさまは、さながら新システムの“世襲制”のようだ。 子ども自身の努力で、どこまで“這い上がれる”のか 戦前の日では、子どもの進路や学歴は限りなく運命に近かった。身分・家庭環境・経済事情・性別・きょうだいの出生順といったものによって、入れる学校や選べる進路が決まっていた。そうした運命に抗らうためには、ずば抜けた素養と、なによりも幸運が必要だった。 戦後はこれが緩和されていった――家庭環境や経済的問題は依然として大きかったが、高校進学率は向上し、やがて大学進学率も高くなっていった。そうした状況下で私立大学や受験産業がマンモス化していったけれども、それらを飛び越え、地方の

    「良い大学に行きたければ、恵まれた家庭に生まれなさい」――成人の自由にもとづく新しい“世襲制” - シロクマの屑籠
  • 「あの時代」のオタク差別の風景と「脱オタ」について - シロクマの屑籠

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子 リンク先の記事を読み、90年代のオタク差別を思い出した。実際、90年代〜00年代前半にかけて、クラスメートに向かって「アニメ大好き人間です」「ゲーム趣味です」と表明できるオタクは少なかったと思う。ネットの論調も“オタクは差別されるもの”という前提で、だからこそオタク自虐芸が流行していたわけで。 ただ、中森明夫さんの「おたくの研究」や宮沢章夫さんの『80年代地下文化論』を引用したうえで「サブカルがオタクをバッシングしていた」と看做しているのは、ちょっと違うかな、と思う。中森さんや宮沢さんはサブカルだったのではなく新人類だったのであって、対立の図式は「オタクvsサブカル」ではなく「おたくvs新人類」だった。私が文献的に調べた範囲では、「サブカル」という四文字スラングは80年代にはま

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  • 学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠

    最近、建設業の人手不足の話を耳にする。帝国データバンクの2014年調査によれば(参照:pdfファイル)、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良いのではないか――そういう年配者の声を聞いたこともある。一昔前まで、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたぐらいだから、肉体労働なら誰にでもできると見做しているのかもしれない。 だが、そういう見方は時代錯誤も甚だしい。建設業の高度化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせる若者は今どれぐらい存在しているのか?持続的に身体を動かす能力は、若者の大半が持っているものではなくなったし

    学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠