ホメオパシーに否定的な人の気持ちもわからなくは無いけど、私は効果があったから、いざ自分が必要性を感じる羽目になった時の事を考えてみてはどうかな、と思う。人に勧めて回る事はしないけど、否定してると、治癒の可能性を自ら潰してしまうかもよ。病を治すのは医学だけじゃないよ。
私は1977年入社。約30年前となる当時と今では、ソフトウェアテストはものすごく大きく変わった。この30年を振り返り、これから30年後にどう変わるか、という予想を紹介したい。 これがソフトウェア開発技術の歴史をざっくりと示した技術マップ。 一番左は1964年。仮想記憶を使った初めてのメインフレーム用OS「OS/360」の開発。これは人類史上最初で最後の超巨大プロジェクト。当時で5000人年、だいたい1200人が4年間働いた。 これはコンピュータが大発展する礎になるのだが、プロジェクトとしては大失敗だった。このときのプロジェクトマネージャがフレデリック・P・ブルックス Jr.氏。 1968年には「ソフトウェア工学」という言葉が誕生した。まだ言葉だけだが。このころ主流はアセンブラ言語。FortranとCOBOLが登場し、サブルーチンという概念が出てきて、これを使うとソフトウェアが格好よくできる
参考リンク:いま、香山リカ女史の無能さがヤバい: やまもといちろうBLOG(ブログ) 僕もあの『朝まで生テレビ』を録画して観たのですけど、それはもう、胸がすくくらいの打ち負かされっぷりでした、香山さん。 なんかもう、「さんせいのはんたいは、はんたいなのだ!」って感じにも見えましたし。 でも、こういうネットでの香山さんへの厳しい反応をみていると、「そこまで言わなくても……」という気がしてくるんですよね。 1年ほど前、香山さんの自伝が新書として発売されました。 『「だましだまし生きる」のも悪くない』感想(琥珀色の戯言) この中で、香山さんは、こんなふうに語っておられます。 自分の半生について、語る。 なんとむずかしいことか。いや、複雑すぎてむずかしいわけではない。 私の場合、人生があまりに単純すぎて、語るべきことも何もないのだ。 「約半世紀前に生まれて、大きな病気もせず、これといって目立った業
「そんな当てずっぽうで決めていいのですか?」。ある会社のシステム基盤の設計に関する打ち合わせをしている際、メンバーから言われたことがある。全体コンセプトを決めて積み上げたものなので、当てずっぽうなわけではないのだが、ユーザーニーズを聞いていない状態で決めるのは納得できない、というのである。 ユーザーからニーズを聞けない状況でも、そこにこだわるエンジニアが意外に多いと感じている。エンジニアには二つのタイプがある。一つはユーザーニーズがまずあって、それをどう実現するかという順序で考えるタイプ。もう一つは、新しいアイデアに沿ってシステムを構想し、ユーザーのニーズに後から合わせようとするタイプだ。前者はSI会社、後者はパッケージ会社や研究所の出身者に多い。 どちらが良いかは場合によるが、筆者の会社のように基幹業務システムの構築に関わる場合、ユーザーニーズを起点にするのが基本だ。ただ、基盤やフレーム
ソフトウェア開発プロジェクトでは、顧客への定期的な進捗報告を行うために、当然のことだが進捗を管理しなければいけない。中規模以上のプロジェクトではプロジェクトはいくつかのチームに分かれていて、さらにチームごとに担当する会社が異なることもある。ありがちな事だが、チーム別にプロジェクト内の進捗会議を行うようになってくると、これが壮大なムダになっていく。 チームリーダーはソフトウェア開発プロジェクトのボトルネック ソフトウェア開発プロジェクトは、ウォーターフォール形式であれアジャイル開発プロセス型であれ、膨大なコミュニケーションと意思決定を行うことで進んでいく。ソフトウェアの仕様や構成について決定するのは、たいていはチームリーダーの仕事だ。また、各開発担当者の仕事の結果が正しいのかをレビューやインスペクションによって判定するのもチームリーダーの仕事であることが多い。そして、チームリーダーはチームメ
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