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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (23)

  • 恋愛なんか好きじゃなかった - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために停滞したもののひとつが恋愛活動である。僕らの世代では(少なくとも僕の周囲の同世代の友人の間では)「恋愛したいなら『自然な出会いを待ちたい』などというのは寝言であって、自分から動かないやつにはなにも起きない」という認識が一般的である。恋愛したけりゃ恋愛活動をするものなのだ。 そしてその恋愛活動の多くが停止し、いくらかは強行され、全体に様変わりしたのがこの一年数ヶ月である。 僕は疫病流行が一度落ち着いたところで今の彼女に出会った。そうして彼女が「つきあおうよ。わたしとつきあうと楽しいよ」と言うので即つきあうことにした。その後ふたたび新しく人と会うのが困難に(あるいはためらわれるように)なったので、いわば出会いの滑り込みである。滑り込めたのは彼女の腕力のおかげだ。デート一回目でつきあおうなんて言えないですよ、少なくと

    恋愛なんか好きじゃなかった - 傘をひらいて、空を
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    gimonfu_usr 2021/12/08
    (むしろ恋愛より友人関係のが築くのむづかしい)( まあ、どっちも苦手だが 〔隙アレバ自分語リ〕)
  • オマエ ヨクハタラク オレ シッテル - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それで僕の職場でも重い腰を上げて部分的にリモートワークを導入し、紙とはんこの文化を一部刷新した。というか、せざるを得なかったのだと思う。だって取引先はみんなとうにやってるんだから、最低限は合わせないと先方のワークフローに影響する。「この業務では電話の使用を差し控えていただきたい」とか、その程度のレベルの要求でも僕の会社では一大事なのである。 この会社には年長者が多く、ITに対する関心の低い社員が多い。能力はそこそこあるので、PCくらいは使える。しかし、仕組みをがらりと変えることにはきわめて消極的だ。新しいシステムを覚えるのは面倒だからなるべくしたくない、という雰囲気に充ち満ちている。Zoom導入で一騒動、Slack導入でまた一騒動、僕は担当してないけど給与明細の電子化あたりも相当大変だったらしい。 疫病前は紙の明細を出し

    オマエ ヨクハタラク オレ シッテル - 傘をひらいて、空を
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    gimonfu_usr 2021/10/20
    "給与明細にだけ語らせるってなんなんだ。照れ屋か。"
  • あなたブスでモテないんでしょ - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしはあなたにずっと会っていない。 オンラインで飲んでるって? あんなの会ってるとは、わたしは言わない。通話に近いと思ってる。あなたはオンライン飲みも「会ってる」にカウントするけどね。なんせアイドルのコンサートに行って「誰それに会った」って言うような人だからね。 あなたはアイドルに会ってないですー。見ただけですー。観覧しただけですー。会うっていうのはお互いがお互いを個別に認識してコミュニケーションが成立した状態を指すんですー。アイドルはあなたなんかどうでもいいんですうー。 あなたはオンラインで愚痴をこぼす。出会いがないという、いつもの愚痴だ。彼氏ほしいってあなたは言う。それなのにアプリでのアピールはど下手。あのさあ、自信がないない言いながら自信がないまま薄ぼんやりしたビジョンで彼氏作ろうとして何になるのよ。女

    あなたブスでモテないんでしょ - 傘をひらいて、空を
  • さよなら、わたしのシモーヌ - 傘をひらいて、空を

    シモーヌとは十四年のあいだ一緒に暮らした。シモーヌは冷蔵庫である。名の由来は冷凍庫に霜が降りることであった。わたしの家に来る友人たちが「いまどきそんな冷蔵庫があるのか」と話題にし、誰からともなくシモーヌと呼びはじめ、わたしもその名を使うようになった。 シモーヌはわたしと出会った段階ですでに新しい冷蔵庫ではなかった。大学を卒業して寮を出るとき、一人暮らしをやめる友人からもらったのである。大学生の一人暮らし用としては大きめのサイズだった。わたしは自炊をするのでありがたく貰い受けた。 はじめて一人暮らしをした部屋の中のものはみんな貰い物だった。家具も家電も買った覚えがない。そうした大物にかぎらずわたしはよくものを貰う人間だった。貧しかったからかもしれない。自分では「愛されているからだ」と言っていた。わたしを嫌いな人からは「乞の顔をしているからだ」と言われた。正直なところ、どちらでもかまわなかっ

    さよなら、わたしのシモーヌ - 傘をひらいて、空を
  • セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を

    仕事の都合で別の業種の女性と幾度か会った。弊社の人間が、と彼女は言った。弊社の人間が幾人かマキノさんをお呼びしたいというので、飲み会にいらしてください。 私は出かけていった。私は知らない人にかこまれるのが嫌いではない。知らない人は意味のわからないことをするのでその意味を考えると少し楽しいし、「世の中にはいろいろな人がいる」と思うとなんだか安心する。たいていはその場かぎりだから気も楽だし。 彼らは声と身振りが大きく、話しぶりが流暢で、たいそう親しい者同士みたいな雰囲気を醸し出していた。私を連れてきた女性はあっというまにその場にすっぽりはまりこんだ。私は感心した。彼女は私とふたりのときには同僚たちに対していささかの冷淡さを感じさせる話しかたをしていた。 どちらがほんとうということもあるまい。さっとなじんで、ぱっと出る。そういうことができるのである。人に向ける顔にバリエーションがあるのだ。私は自

    セフレですよ、不倫ですよ、ねえ、最低でしょ - 傘をひらいて、空を
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    gimonfu_usr 2019/09/18
    ( "ネクタイが太い" )( 俗物の描き方が本当にうまい。うまいけど、たまに自分に該当するので、読むたびになかなか緊張する。)
  • 手札を並べよ - 傘をひらいて、空を

    なあ、焼豚。その場に集まっていた友人のひとりが言った。学生が「起業するから大学を辞めます、起業の内容はこれから考えます」って言ったら、どう回答する?つまり、教授として。教授じゃない、と焼豚は応えた。准教授。 焼豚というのはもちろんあだ名だ。この場にいるのはみな中学校の友人で、全員がそのころから彼を焼豚と呼んでいる。やきぶたともチャーシューとも読む。彼は質問した友人を見て、きみの息子じゃないよな、まだ小学生だもんな、じゃあ親戚かなんかの子か、と確認し、それから、平坦な声で宣言した。 そういう若者には、外野がとやかく言ったって意味はない。親戚でも親でも教師でもだめ。親はまあ、かじられるスネを提供している場合には経済力でもって若者の行動に影響できるかもしれないけど、内心を変えさせることはできない。十八を過ぎてそんな状態だったら、人が自分で気づくのを待つしかないんだ。僕はそう思う。 冷たい、と別

    手札を並べよ - 傘をひらいて、空を
  • ごく普通の家族の話 - 傘をひらいて、空を

    そうだこないだわたし養子に入ったの。うん、母が、わたしと妹ふたりに、死んだら貯金とかくれるっていうからさあ。そう、父の再婚相手。正確には再々婚相手。あ、そのあたり話してなかったっけ。 わたし七歳で実母を亡くしてるの。わたしと上の妹を産んだ母ね。大きくなってから「母が」って言ってたのはだから、養母。父親がほんと色ぼけじじいでさあ、養母が来たのって私が高校生のときなの。父親が「この人と結婚するー」って連れてきたわけ。当時、上の妹が中学生で、すごいけんかしてた。 うん、わたしたち、ぐれてもしょうがなかったと思うよ。継母二人目だもの。めんどくさいから、たいしてぐれなかったけど。ね、事実婚でいいじゃんって思うよね、でもぜんぶ法律婚なの。法律婚三回。親が恋愛したからっていちいち結婚して、離婚して、また別の人と結婚して、子どもはいい迷惑だよ。 ひとりめの再婚相手?ああ、彼女はね、死別じゃなくて、ふつうに

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  • 悪いメビウス - 傘をひらいて、空を

    その男の顔立ちは中学生の面影を強く残してはいなかった。けれども私にはすぐにわかった。私が知るかぎりもっとも卑しい声をその男は持っていた。大人になってもそれは変わっていなかった。よりくっきりと、臭気を強くしているように思われた。それは背後から聞こえた。いいとこ勤めてんじゃん、保証人とかどうしたの、あの会社いいかげんなんだなあ、ネットに書き込みしとかないと。あ、それとも福祉枠みたいな?そういう系? シセツ、と男はよく言った。まだ少年だったころ、児童養護施設から通っているクラスの女の子について、まるでそれが名前であるかのように。シセツって生きてて恥ずかしくないのかね、人の税金使ってメシって。給くってるの目に入ると気色悪い。施し受けてる豚じゃん。 私が振り向くとすでに施設育ちの彼女の親友だった人(今でもきっとそうなのだろう)が立ちはだかり、黙っている彼女の手を引いた。ふたりを背に回して私が立ち

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  • 死にまでいたる恋の完成 - 傘をひらいて、空を

    結婚は死にまでいたる恋の完成である、などというせりふがありますが、あんなのは嘘です。なぜ嘘かといいますと、多くの家庭では、恋をしたといって結婚して、そのあとはすっかり、稼ぐなり世話をするなり、家庭での役割になじんで、恋もへったくれもなくなるからです。ええ、それでよろしいのです。なぜって、恋というのはほんとうはおそろしいものだからです。出会った当初のときめきから少々のあいだに恋を手仕舞いにして、あとはそれなりの情愛と役割におさまるのがよろしいのです。 しかし、なかには家庭におさまっても不満な者があって、たとえばここに、小さいながらその業界では名の知れた新興企業の責任者がおります。この男は三十代半ば、も同世代、同じ会社の取締役です。 結婚して数年たつと、男はどうにも気が晴れなくなりました。男とそのは社内で同じ程度の責務を負い業績を上げています。は家事もします。しかし半分しかしません。残り

    死にまでいたる恋の完成 - 傘をひらいて、空を
  • 感情の解像度 - 傘をひらいて、空を

    一昨年の四月、私のチームに新人が入った。まっさらな新卒だ。経験はもちろんなかった。しかし、驚くほどよく勉強する。ひとつ知らないことが出てくれば十は調べてくる。作業スピードが異常なまでに速い。しかも長持ちする。長時間の残業や休日出勤のあともけろりとしていて、代休や有給を取るようにと促さなければならない。 なにか彼女にとって正しくないと思われることがあれば、相手が直属の上司である私でも、さらに上の管理職でも、平気でものを言う。恨みがましさがまったくなく、言葉遣いがぱりっとしているので、文句を言われても(そしてそれが多少の見当違いを含んでいても)、ほとんど気持ちがいいくらいだ。 そういうわけで私は彼女をおおいに評価している。けれども彼女にももちろん欠点がある。彼女はとんでもない見落としやミスをすることがある。感情的には繊細だと私は推測しているのだけれど、仕事ぶりはとにかく力まかせだ。スピードはす

    感情の解像度 - 傘をひらいて、空を
  • のらりくらりと逃げている - 傘をひらいて、空を

    今は毎日なにしてるのと訊くと掃除、と彼はこたえた。古いものって手をかけてやらないとあっというまに荒廃して人の気分を悪くさせるから。ボロ屋はボロ屋でも清潔であればそう悪くないものなんだ。僕は掃除に関してはけっこう有能で、一週間と一ヶ月と半年のローテーションを組んで作業を決めてる。だから抜け漏れはない。なかなかいい大家さんだろ。彼は中年の前半に似つかわしくない笑いかたをする。私も笑ってみせる。彼の笑いかたは子どもじみているようにも老人みたいにも見える。生活が老人ふうだからそう見えるので、予備知識がなかったら子どもめいた人間だと判断するかもしれない。口調はたいていほんのりと愉快そうで、振れ幅が非常に小さい。 掃除が終わったら104号室の長峰さんの新聞受けを見る。外から見るだけだよ、それで生きてるってわかるから。保証人の息子さんに頼まれて三日に一回声かけてたら長峰さん参っちゃってさ、おい俺は都会人

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  • 人間性をうしなうためのほとんど確実な法式 - 傘をひらいて、空を

    彼は早めに結婚し、二十代のうちに離婚して、それからというもの彼女をとっかえひっかえするようになったのだそうだ。離婚から数年たって現在に至るまで、私は何人かの共通の知人から、彼に関する派手な、あるいは醜い噂を聞いていた。誰かがその話をするたびに、そうかい、と私はこたえた。たいして仲良くもない知人が他人の彼女を横からかっさらおうが、その彼女を三ヶ月で捨てようが、「基的には二十代前半がいいけど尽くしてくれるなら三十までOK」だろうが、どうでもいいことだ。だって彼は私の友だちではなかったし、彼にまつわる噂に登場する人物も誰ひとり、私のだいじな人じゃなかった。彼はもともとそんな人間ではなかったと評する人もあったけれども、彼がどんな人間かを私はそもそも知らなかった。学生時代のあいまいな人間関係の端のほうにいたようないないような、その程度の間柄なのだった。 彼をふくめた集団で久しぶりに顔を合わせる機会

    人間性をうしなうためのほとんど確実な法式 - 傘をひらいて、空を
  • 働いているだけで背後から石を投げられる話 - 傘をひらいて、空を

    だからさあ槙野さんみたいな人は俺の嫁さんみたいな人に感謝してほしいわけよ。突然の大声に視線を向けるとすこし離れた席に私の嫌いな同僚がいて私の嫌いな笑いを笑っていた。この人と話をすると不愉快になると入社当初から思っていた。幸いなことにふだんの仕事で直接やりとりすることはごく少なく、あっても事務的なやりとりだけですむ。 私は情熱的に人を憎むことがあるが、それは戦うべき何らかの理由があるとき、あるいは嫉妬などがあるときだ。彼はその対象ではなく、ただいると不愉快なのでいないほうがいいと、そう感じている相手だった。そういう相手とは同じフロアに勤めていてもなぜだかあんまりすれ違わない気がする。そう言ったら昔、そりゃあ脳みそがよぶんなものを認識しなくていいようになにか処理しているんだ、と言われたことがある。私の脳にはそんなに便利な機能がついているのかなあと思った覚えがある。そんなだから今日も、その人がそ

    働いているだけで背後から石を投げられる話 - 傘をひらいて、空を
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    gimonfu_usr 2015/02/17
    ( う~む。)/(ノンフィクションとして扱えば「妻にも働いてほしいけど事情があって働けない。不満だ」みたいなのを、こういう行為で発散してる親父もいないことはない。)
  • 分母を大きくする - 傘をひらいて、空を

    すこし足を伸ばして深夜営業のスーパーマーケットに寄るのが面倒だった。頭のなかにアスパラガスとトマトとバターと白身魚の姿がよぎる。面倒だったから無視して買い置きのレトルトカレーで済ませる。シャワーを浴びていてシャンプーとコンディショナー、石鹸が二種類、シャワージェルが二種類、アロマオイルの小瓶が四つ、ちまちま並んだ籠に足を引っかける。舌打ちをする。バスタオルを洗うのが面倒でハンドタオルを適当に使う。髪をがしゃがしゃかきまわす。布団にもぐりこむ。クーラーの温度を適切に設定していないことに気づくけれども腕を動かすのがいやだ。暑いとか寒いとかいちいちモニタリングして調整してやるなんて、そんな面倒なことはしたくなかった。 彼女はそのように話す。私はそれを聞く。そういうことは私にもあるよと言う。それから付けくわえる。クーラーをがんがんにつけたまま寝たら風邪をひく、風邪をひいたらとっても不便だ、温度だけ

    分母を大きくする - 傘をひらいて、空を
  • 彼らは値札を殺す - 傘をひらいて、空を

    あの子みたいな、なんていうか作ってるの、俺、ダメだな。近くの席から男の声が聞こえた。だいぶ大きい声で、そうでなければ言葉遣いの端々まで聞き取ることはできない程度の距離が空いていた。声は断続的に高まりながらしばらく続いた。可愛らしさを取り繕っている女性について話しつづけているようだった。サメル、ナエル、というような音声が、何度か挟まれた。私と彼女は目を見交わし、彼女の夫は声のするほうをちらりと振りかえって、口の端を上げた。中年になってもこの夫婦の容貌の優れていることに変わりはなく、いけすかなさには拍車がかかったと私は思う。高慢で口さがなく姿勢が良く、いつも磨かれたを履き、生活は意外と地味で規則正しい。 このいけすかない夫がいけすかない若い男といけすかない若い女であったころを私は知っている。そのころの彼らには虚勢の気配があり、緊張感があった。他人をこきおろすからには自らの品質を保たなければ

    彼らは値札を殺す - 傘をひらいて、空を
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    gimonfu_usr 2014/06/17
     ( コメント欄:ババアだからかな。『無邪気な不思議ちゃん』的発言も、練りこんだナチュラルメイクと思えば面白いよ。)
  • パーフェクト・ウーマン最後の課題 - 傘をひらいて、空を

    可愛いねえと言うとありがとうと彼女は言った。でもそれ見のまんまなの。見のまんまにできるなんてすごいなあと私は感心してしまう。そもそも保育園の子の持ちもののすべてを手作りして刺繍まで入れるなんてすごいし、子どもを産んでいることもすごいし、仕事の量と質もすごいし、結婚相手と二人でがんがん働いて家まで建てたし、全体に偉業を成している人というかんじがする。いつだって感じのいい服を着て、ものやわらかなようすをしている。この人は私みたいに「めんどくさい」という理由のみで化粧もせず出勤したり、大鍋でカレーを作って三日間べ続けたりしないんだろうと思う。いつのまにかシャツにそのカレーが落ちていることもないと思う。大鍋で両手がふさがっていても足でドアを閉めないんだろうと思う。 でも可愛くないでしょう、見のまんまじゃあ。彼女は珍しく少しばかりバランスの崩れた表情をちらりと見せる。私は刺繍を見る。花柄だ。

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  • 十五歳までにしておくべきこと - 傘をひらいて、空を

    私が中学生だったころ、誰かとつきあっている女の子は、ときどき自転車に乗らずに学校に来ていた。男の子の自転車の後ろに乗せてもらって帰るためだ。彼女たちは少しはずかしそうに、でもどこか誇らしげに、幼い「彼氏」の肩に手をかけて河川敷を走っていった。ときどきどちらかが何か言い、ふたりで笑っていた。何を話しているのかな、と私は思った。とってもうれしそうだ。私もいつかああいうことをするのかしら。 十九になったとき、仲の良かった男の子が川の近くに住んでいた。私は彼に訊いた。自転車もってる、あのね、自転車の後ろに乗せてほしいの、そういうのやってみたかったの。 彼は親切な男の子だったので、もちろんそうしてくれた。春の終わりの晴れた日の、風の弱いきれいな昼下がりに。でもそれはただの二人乗りだった。その日はただの春の日で、私たちがしたことはただのデートだった。 私はありがとうと言った。私はかなしかった。私はもう

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  • 良い恋人と悪い恋人 - 傘をひらいて、空を

    あーん、と彼は言う。きまじめな顔をして果物をべている。桃とさくらんぼ、と彼女は思う。ピンクばかりの組み合わせだなあと思う。それを彼自身の口に運ぶよりほかに彼の手は使用されていなくて、もちろん彼女も同じだった。彼らは落ち着くべき年齢で、少なくとも表面上は落ち着いたふるまいを身につけていた。だからそれは彼らの語彙としてはあまりに奇妙なのだった。あーん。彼女は小さい声でそれを繰りかえす。親しい相手の言うことが不審であるとき、彼女はときどきそのようにする。その声音からは非難がましさの棘がきれいに抜けている。 彼はそれをさくらんぼのへたと一緒につまみあげる。あーん、って、いつかやろうと思って。いつかって。あなたがうんと年をとったら。あなたが年をとって弱って、面倒な事情も感情もみんな摩滅したら、そうやってものをべさせたいなあと思って。彼はそのように言う。四六時中なにもかもについて面倒を見るのはじい

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  • どうしてあなたは死ななくていいのか - 傘をひらいて、空を

    そのとき彼は動かなかったし、なんにも言いやしなかった。けれども彼はあきらかにどうかしていて、そのことは幾人かの人には自明だった。会議の途中の休み時間で、コールバックしたばかりと思われる電話を、彼は手にしたままだった。誰かが私とあとひとりに目くばせして、それからひどく上手に、彼に声をかけた。なにかありましたね。帰ってもだいじょうぶです、あとのことは僕らがぜんぶやります。声をかけた人はそのようなことに慣れているのかもしれないと私は思った。それくらいそのせりふはつるりと整えられていて、だから彼だって、それをいつのまにか飲んで、気づいたら胃に落ちていたのだろう。 彼は仕事上のいくつかのこととそれ以外のひとつのことを、仕事仲間である私たちに依頼した。仕事でない依頼は彼の委任状を携えて職場の近くの託児所に行き、そこにいるふたごの女の子を、何時間かのあいだ預かるというものだった。はあいと私は手を挙げ、控

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  • その世界を保存する - 傘をひらいて、空を

    結婚退職する社員の送別会に出て、けれども部署もちがうしそんなに多くの接点があったのでもないから、一次会で手を振って別れて、親しくしている同僚ふたりと、別の場所に移動した。夜で、金曜日で、洞窟めいた細長い店の、いちばん奥のテーブルのぐるりに座って、女ばかりで、私はなんだか、嵐の終わりを待っている原始人になったみたいな気持ちする、と思う。 後輩がフルートグラスを軽く掲げ、いやあ正直ほっとしました、と言った。先輩が自分のグラスを手に取ろうとしてやめ、手の置き場に困ったように動かしたあげく、膝の上に置いた。磯西さんとなんか、あったの、と訊くと、後輩は大きい声でいかにも愉快そうに笑い、マキノさんはのんきでいいなあと、そんなことを言う。後輩は入社四年目で、そのあいだ三度ばかり、辞める社員とふたりで話す必要が生じたのだけれども、いちばん小さい会議室でおこなわれた話の半分以上が業務内容から離れていて、では

    その世界を保存する - 傘をひらいて、空を