2011年02月11日23:13 カテゴリ物語の哲学 『物語の哲学』、野家啓一、岩波書店 <序 「歴史の終焉」と物語の復権>・8-10、それでは、終焉すべきものが終焉した後で、言い換えれば「起源とテロスの不在」のただ中にあって、われわれにとっての「歴史」はいかにして可能なのか。このように問いかけるとき、われわれに一つの示唆を与えてくれるのは、やはりコジェーヴが先の長大な「注」に続いて付けた二行ばかりの短い「注」である。対応する本文とともに、以下にそれを掲げておこう。 まず実在する歴史が仕上げられなければならず、次いでこの歴史が人間に物語られ(raconter)ねばならない。(本文) 加えて、歴史的想起なしには、すなわち語られ(oral)たり書かれ(écrit)たりした記憶なしでは実在的歴史はない。 コジェーブは前半の本文において、まず実際の歴史的出来事が生起し、さらには完結し、しかる後にそ
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