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慰安婦問題に関するgirly_red_armyのブックマーク (5)

  • 慰安婦問題から「日韓ともに売春差別への自覚を」 朴裕河教授に聞く

    2014年は、慰安婦問題で日韓関係が再び大きく揺れた年だった。1990年代に外交問題に浮上した慰安婦問題は、20年以上たっても解決の兆しを見せず、日韓両国民の相互の感情は悪化している。2015年は日韓国交正常化50年。節目の年に、もつれた日韓の糸を解くことは可能なのだろうか。 朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授は、2013年に韓国で「帝国の慰安婦」を出版し、「連行された無垢な少女」だけでも「自発的な売春婦」だけでもない、多様な慰安婦の声に耳を傾けるべきだと訴えた。韓国の元慰安婦らから刑事告訴されてもいる。日語版(朝日新聞出版刊)が2014年11月に発売され、年末に来日した朴氏に聞いた。

    慰安婦問題から「日韓ともに売春差別への自覚を」 朴裕河教授に聞く
  • 日韓請求権協定関連の動き - 誰かの妄想・はてなブログ版

    政府のプロパガンダと嫌韓バカのデマばかりがネットでは目立っていますので、まともな情報を紹介。 韓国の被害者が果たした日韓会談文書公開 このような経緯を打開したのが、日韓基条約および諸協定に関連する公文書の開示でした。2004年2月13日、ソウル行政法院で、韓国人被害者100名を原告とする日韓会談文書の情報公開請求訴訟において、原告一部勝訴の一審判決が出ました。韓国政府は2005年8月26日までに161件、合わせて約3万6千枚をすべて開示しました。 このとき、韓国政府の「韓日会談文書公開後続対策関連民官共同委員会」は「日軍慰安婦問題など、日政府、軍などの国家権力が関与した反人道的不法行為」が請求権協定によって解決されていないとして、「日軍慰安婦問題は日政府に対して、法的責任の認定など、持続的な責任追及を行なう一方、国連人権委員会などの国際機構を通じてこの問題を引き続き提起する」

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  • 嘘も100回言えば・・・を地で行く産経 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    相変わらず、吉見氏らの研究で明らかにされた資料をトリミングして都合よく捏造する手法を使っています。 「米側資料の慰安婦は「大金稼ぎ欲しいもの買えた」 韓国主張の性奴隷とは異なる風景」 産経が「米国戦争情報局資料「心理戦チーム報告書」(1944年10月1日)」と何故かこれまで使っていた名称とは違う名称をつけて紹介している資料ですが、3ヶ月前にもブログで紹介した「心理作戦班日人捕虜尋問報告(Japanese Prisoner of War Interrogation Report)四九号」と同じです。産経では、文書中の軍事郵便番号であるAPO689を文書名だと勘違いして使っていたこともありました*1。 まじめに調べようと思う人は、従軍慰安婦関係資料の米国国立公文書館・国立国会図書館所蔵資料にある「III.米国戦争情報局(United States Office of War Informa

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  • 「慰安婦問題」の基礎知識 Q&A /小菅信子 - SYNODOS

    橋下徹大阪市長の発言「慰安婦は必要だった」が引き金となって、あらためて、内外で、慰安婦問題に対する批判と憂慮が高まっています。各国メディアの日報道が橋下発言を辛辣に紹介・解説するいっぽう、国連の社会権規約委員会は5月21日、日政府に対して、慰安婦を「売春婦だ」と侮辱するヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返す国内の排外主義的グループの行動に関して状況改善を求めました。 私も現下の状況を深く憂慮しています。なぜならば、橋下氏はいうまでもなく、石原慎太郎元都知事、一部の国会議員が、慰安婦と慰安婦問題についての日政府の公式見解を逸脱する発言をくりかえしており、そのことが人目をはばからない被害者への侮辱の素地のひとつになっているからです。 さまざまな歴史問題について、日政府の公式見解やこれまでの施策は、内外を問わず、一定の評価を受けるいっぽう強い批判も受けてきました。この論稿では、慰安婦問題の

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  • 李容洙氏証言を否定する根拠は年齢のみ - 誰かの妄想・はてなブログ版

    歴史修正主義者や極右、嫌韓レイシストなどの慰安婦問題否定論者によって「嘘つき」などと誹謗中傷している元従軍慰安婦・李容洙氏証言ですが、誹謗中傷の根拠としているのは基的に、連行された際の年齢を正確に覚えていなかった、というただそれだけです。 李容洙氏は1928年12月13日生まれです*1。この日付が旧暦か新暦か不明ですが、旧暦12月13日であれば新暦1929年1月24日となります*2。 従って、李容洙氏が強制連行された1944年秋の時点での年齢は以下のようになります。 誕生日 1944年秋時点の数え年 1944年秋時点の満年齢 新暦1928年12月13日 17歳 15歳 旧暦1928年12月13日 16歳 15歳*3 つまり、誕生日である1928年12月13日が新暦か旧暦か、数え年か満年齢か、で強制連行当時の年齢は15歳〜17歳の幅を持つわけです。 さらに新暦1928年12月13日誕生日の

    李容洙氏証言を否定する根拠は年齢のみ - 誰かの妄想・はてなブログ版
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