映像の一部をまだ残してますが、多摩美課題の採点もほぼ終わり、昨日、なんとか講評会にこぎ着けることができました。 今年は全体に低調だったという意見は変わりませんが、最終的には何本か評価しうる作品に遭遇することもでき、ほっとしております。面白いもので、毎年同じ課題(マンガかアニメを作って提出)を出しているんですが、その年ごとの「傾向」があるんですよね。 たとえば最初の年は、ドラえもんとかジョジョのパロディが悪目立ちしたりとか、それを注意したら、今年はパロディ系がぐっと減ったかわりに、自殺ネタが目立ちました。 アレですよ、青春の苦悩を抱えた主人公が、短い人生を回想しながら身投げしたりする。青春の一ページとはいえ、みんなそんなに死にたいんでしょうかねえ。首つりは大小便垂れ流しになりますし、飛び降りは痛いですよ~。 まあそれはともかく、本年度の課題で、個人的に一番ひっかかった学生さんのマンガを特別に
#589 Linktober tag 7 -sky-Sky Islands - auf den WolkeninselnVon:
ドラマ化やブログ 相乗効果でヒット マンガ界の1年を振り返る恒例の年末対談。今年は新進気鋭の評論家・伊藤剛さん(38)と、売り場の声を代表して日本最大級の書店、ジュンク堂池袋本店コミック担当の田中香織さん(27)の2人に、2005年の収穫を語り合ってもらった。(司会・石田汗太、佐藤憲一) 田中 店頭では、テレビドラマや映画化で話題となったものがびっくりするくらいよく売れた。『NANA』や『花より男子』ですね。グループや家族で買う人も多く、マンガがみんなで楽しむものになりつつある。 伊藤 少女マンガが100万部売れても、30代以上の男性はまったく知らなかったりする。ドラマ化はその垣根を越える一つの装置だし、全体を俯瞰(ふかん)できる立場にある書店が薦める作品は、僕も信用している。ブログなどの口コミで火がつくことも結構あるのでは。 田中 確かに、誰かが面白いと言う本に飛びつく人が多くなった。ネ
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
再び鷲谷花さんのブログから。 http://d.hatena.ne.jp/hanak53/20060105/1136454336(ハナログ) 一昔前、《マンガ》は《映画》の劣化コピーとして扱われることもしばしばでしたが、逆に現在になると、《映画》と比較した場合の《マンガ》のユニークさを肯定する試みが増えてきています。しかし、その際に、「《映画》にはこれができない。《マンガ》にはこれができる」という言い方が用いられることで、《マンガ》のもつ複雑さ、多様性、流動性に対し、《映画》がかなり単純かつ静態的なイメージのうちに限定されて語られてしまう傾向があるようです。 この問題提議を聞いて、自戒の念を改めると共に、まず連想したのが『BSマンガ夜話』の手塚治虫特集「メトロポリス」の回における、映画監督・大林宣彦の発言でした。 『メトロポリス』において手塚治虫が、映画の「パン」に相当する演出技法(横長の
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ 作者: 伊藤剛出版社/メーカー: NTT出版発売日: 2005/09/27メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 9人 クリック: 175回この商品を含むブログ (314件) を見る で、まず冒頭に置かれた夏目房之介・伊藤剛両氏とミヤモトによる座談会「キャラの近代、マンガの起源」ですが、当日しゃべった直後は結構だらだらしてしまったかなという印象で、自分としてもあまりちゃんと機能できなかった気がしたんですが、タイトにまとめてくれたおかげで、非常にいいものになってると思います。「テヅカ・イズ・デッド」を読み込むためのガイドとしてだけでなく、そこからさらにどう議論を発展させうるかまで見通せる感じになってるんじゃないかと。 ただ、少しずつ順を追って理解を深めていくためには、むしろ夏目さん・伊藤さん・東浩紀さんによる「「キャラ/キャラクター」概念の可
「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか (角川oneテーマ21) 作者: 大塚英志,大澤信亮出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2005/11/10メディア: 新書購入: 3人 クリック: 56回この商品を含むブログ (67件) を見る大塚英志というサブカル界きっての論客の面白いのは、功績といい脆弱さといい、無自覚にそのまま日本のオタクたちの内面を映し出した象徴的な存在になってしまっているところです。本人は否定するでしょうけどね。この本にもその二面性はとてもよく表れていて、前半の日本のまんがの起源は鳥獣戯画や北斎漫画などでは決してなく、元々はハリウッド的なものであるディズニーの模倣に、戦時下の国策統制が混ざって成立したものだということを看破しているあたりは、「教養としてのまんがアニメ」の続編とも呼ぶべき優れた論考です。まんがの歴史はイデオロギーの歴史になぞらえることが出来る、という主張は、
「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか (角川oneテーマ21) 作者: 大塚英志,大澤信亮出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2005/11/10メディア: 新書購入: 3人 クリック: 56回この商品を含むブログ (67件) を見る 清水氏に紹介されたこともあって読んでみました。タイトルから察する主張は私のものと似ていたのですが、さて。 この本は2部構成になっていてます。第1部では日本のアニメがいかにディズニーの影響を受けてきたか(=昨今の「アニメは日本の文化である」的な言説がいかに間違いか)を取り扱い、第2部では国をあげての漫画/アニメビジネス政策がいかに杜撰なものかが実証的に述べられています。 私が読み取れた本書のメッセージは以下の通りです。 第1部 現在の漫画/アニメの基本的構造はディズニーの影響によるものであり、伝統文化とは言えない。 現在の漫画/アニメの基本的構造は戦時下に国
なぜアニメやマンガにやたらと学校が登場するのか なぜアニメやら漫画やらには、やたらと学校が出てくるのか? 「子供向きの話だから主人公は読者と同世代に」 というような話が昔から言われているのだけれど、それだけでもないような気がする。明らかに対象が青年向けであったとしても、学園モノというジャンルは明らかに多いし。 ・・・要するに、現在の読者が「共通」に持っている「リアリティ」のある空間は、学校しか見つからない。 そういうことなのではないだろうか。 * ■シンボル・リアリティ・学校■ たいていの物語というのは、言葉とか、見慣れたシンボルとかを一つ一つの要素としてその上に構築される。 そのシンボルに 「過去の自分の体験」 が結びついていると 「リアリティのある想起」 ができるようになる。そうでないものについては、想像で埋めるしかない。 たとえば、藤子不二夫なら、リアリティのある空間は
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