2009年06月11日06:00 カテゴリ 画像 【画像】無職な画像 「画像」カテゴリの最新記事 【画像】無職な画像 【画像】かっこいい二次画像パート2 【画像】動物の赤ちゃんの萌え画像 【画像】シュールな画像 【画像】ロボ画像が見たいでござる!パート7 【画像】ペルソナの画像 【画像】綺麗な二次画像 【画像】カッコイイ銃の画像 【画像】まさに外道パラダイス 【画像】ミリタリーな画像 【画像】パラサイトイブの画像【おまけ】
言葉を持つこと、すなわちある程度の語彙と論理性に関する能力の訓練が可能な機会に恵まれた人生を一定期間過ごしたことがあるということは、やっぱり権力性を帯びないわけがない。そんなことは当たり前で、だからもちろん言葉を持つことというのは、特にその言葉が歴史的・社会的に権力を持っている/持って来たような文化のものであるとき、暴力的になり得るし、その取り扱いには注意しなければならない。しかもそれは西洋中心的な学問の言語であったり、あるいは啓蒙主義的で道徳的な語彙や定義であったり、色んな形態を取る。言語は文化と密接に結びついているから、例えばある種類の「人種」を名指す言葉があったとき、それはその語彙を用いる文化における「人種」という概念そのものの見方を反映しているし*1、同時にその語彙によってその概念自体が再生産されたり強化されているだろう。ある時代になって初めてある特権的な領域(例:医学、法学)から
1. 同性愛嫌悪やヘイトクライムへの否認・反発 この日記に「LGBTニュース」というカテゴリを作って以来実感しているのが、どれだけ「このようなホモフォビックな事件がありました」「こんなヘイトクライムがありました」という実例を挙げても、 「たいしたことない」 「日本は大丈夫」 「大げさに騒ぎすぎ」 「そんなのは特殊な例、一般化するな」 という反応が(時には怒りさえともなって)返ってくる、ということです。何故なんだろう、と常々考えていたのですが、これは、防災研究家の片田敏孝群馬大学教授の言われる「正常化の偏見」「認知的不協和」という概念で説明がつくような気がします。 2. 「正常化の偏見」とは 以下、片田敏孝教授の講演内容がまとめられている「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITproより引用。 「自分にとって都合の悪い情報を無視したり,過小評価してしまう人の特性」
フランツ・ファノンのいう「反省なき文化強制 imposition culturelle irréfléchie (unreflected imposition of a culture)」(参照)という問題意識は、まさに制度分析の話ではないだろうか。 そう読むのでなければ、「他者の文化を尊重しましょう」みたいな、文化相対主義的なナショナリズムになってしまう。 日本の「当事者主義」は、ほとんど全てが文化ナショナリズムでしかない。たいていの左翼は、「相手側の右翼」を肯定するだけの差別主義者だ。――私自身が、そういうものに加担してきてしまった。 マイノリティ自身が、「反省なき文化強制」を行なっていないか。 「マイノリティの文化」を絶対化することは、「反省なき強制」になる。 たとえば引きこもる人は、家族に「反省なき文化強制」をしている。 必要なのは、相対主義的・博物学的な並立や温存ではなく、制度分
被害者の精神症状が理解できる? 「裁判員が“にわか精神科医”になると怖い」と不安を募らせる裁判官 ジャンル : ニュース テーマ : 社会問題 blogについての説明 まだ、「これまでの経過」や「6/4最高裁・法務省との被害者・支援者側との意見交換会」について、まとめきれていない、書けてないので、初めてこのblogのことを知られた方にはわかりにくかったと思うのですが、 やはり、性犯罪は裁判員制度の対象外にするしかない、という結論に達し、そのために、被害者当事者からの情報発信の必要性を感じ、このblogをたちあげました。 また、被害に遭われた方へのメッセージも伝えたいと思い、「あなたは悪くない」というタイトルにしました。長い時間がたった私でも、今でも、何度でも、言ってほしい言葉なのです。 わたしに起きたことは、もう、どうにもなりません。それを認めるのは、とても悲しく、惨めでさえありました。そ
学外で、学校のカリキュラムの一環でもない、任意活動の場で起こった事件だから直接の責任はない。 同意の上だったら破廉恥な行為、同意がなければ犯罪行為だけど、同意があったかどうかは大学当局が調査すべきことではない。大学当局としては「学校の名誉をけがす破廉恥な行為」での処分しかおこないようがない。 警察は「連絡がなかった」といって怒っているらしい。しかし、集団強姦が親告罪ではないとはいえ、この行為が犯罪かどうかはっきりしない段階で警察に学生を売るような行為は大学がするべきではない。捜査のキックは大学からではなく、女性の被害届けとか刑事告訴とかの行動から始まるべき。 ただ記者会見で「教育的な配慮」などといったのはいただけない。被害者(とおぼしき人)よりも加害者(らしき人たち)の方をかばっているようにしか聞こえない。「合意があったかどうかはわからないし、捜査する権限もない。女性の判断に任せた」と法律
(京都教育大学・集団準強姦事件) 京都教育大学の集団準強姦事件について、少し気になっていることがあります。それは、大学が事件のことを警察に通報しなかったことについてです。 末尾に引用するように、マスメディアや文部科学大臣は、被害を訴えている人本人の意志と関わりなく警察に通報することを当然視する主張を繰り広げています。しかし、もし「私たち」が本当に被害者やサバイバーを支援する立場に立つのであれば、「大学が警察に通報しなかったこと」を無前提に非難することは、不適切ではないでしょうか。 そう考える理由は以下の通りです。 1)私も全ての記事を読んでいる訳ではありませんが、読んだ限りでは、大学が警察に通報しなかった主な理由は、被害を名乗り出た人のことを思ってではなく、加害者とされている人に対する「教育的配慮」からのことだという印象を持ちます。ですので、警察に通報しなかった京都教育大学のことを、サバイ
若い頃、ひどく疲れてカウンセラーに話を聞いてもらった。そのときに言われたことは、「あなたは愚かです。それがとても良かった」という意味のことだった。 「あなたは愚かでした。あなたは教えられたことを完全に学習しませんでした。お利口な子は、そんなふうに教えられたら、それを内面化する。でもあなたは理解が遅かったので、あなたという個人をうしなわずに済みました」 「あなたが教えられた内容を完全に内面化していたら、あなたはたぶん生きていません」 「あなたは彼らの言うことが理解できなかった。あなたは成長が遅くて、だから愚かだった。あるいは身を守るために愚かであることを選択した。どちらかは私にはわからない」 「ともかく、それがあなたを救った。あなたは可哀想なくらい強くて、ひどく愚かだったので、死ななかった。それはとても幸運なことです。わかりますか?あなたは死んでいてもちっともおかしくなかった」 「あなたが成
【転載】中学部設立にご支援をお願いします(明晴学園) 中学部設立寄附のお願い-BBEDワンピースDREAMブログ http://blog.canpan.info/bbed/archive/2 2008年4月、学校法人明晴学園幼稚部・小学部が開校しました。全国のみなさまの温かいご支援とご協力により日本で初めてのバイリンガル・バイカルチュラルろう教育を行うろう学校が誕生しました。厚く御礼申し上げます。 現在明晴学園では、約40名の子どもたちが学んでいますが、現在小学部5年生の児童が中学生となるまでにぜひとも中学部を設置しなければなりません。『自分たちの言葉でわかる授業を受けたい。』それがろう児の切なる願いです。聞こえない子が手話で学べる義務教育の実現を応援して下さい。中学部設立をめざして今年の6月末までに、設立資金3000万円の募金のお願いをしています。 子どもたちの夢にみなさまの温かいご支援
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