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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/F1977 (6)

  • まなびつづける、ことば。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    「在日」として生きているわたしをすくってくれて、わたしに「在日」として生きていく勇気をあたえてくれた、ふたつの言葉があります。  ひとつは、オモニがおっしゃられた「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉です。 わたしは、オモニハッキョでオモニたちと一緒に、日語の読み書きを学ぶのが、当に、ずっと、つらかったのです。朝鮮語がわからないわたしが、オモニたちに日語を「教える」。オモニたちから言葉をうばった国の言葉を、同じうばわれた歴史をもつ、同じ朝鮮人のわたしが「教える」。いくら、オモニたちの生活のためと、自分を納得させようとしても、いつも、こころは納得してくれませんでした。頭では理解していても、どうしても、こころが日語に向き合ってくれないのです。だから、わたしは、オモニから、「日語おぼえても、朝鮮人」という言葉を教えていただくまでは、オモニたちと一緒に日語の読み書きを学びながらも、どこ

  • 自由なことばのために - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    金石範さんが、1994年に「週刊金曜日」(!)に書かれた「天皇制とチマ・チョゴリ」という文章があります。  金石範さんは、その昔、強制されていた外国人登録証の指紋押捺を拒否されていた方であり、トーロク(わたしは、こう読んでいます。外登証とは言いません)の「常時携帯」にも反対をされていて、ふだんは、机の引き出しの片隅へ放りこんだままにされていたそうです。もし、外出先などで「不携帯」が見つかり、警察へ連行されたとしても、それなりに対処しようと思われていたそうで、それよりも、毎日トーロクを軀(からだ)にまとって歩くことのほうが、面倒なだけでなく、他に原因のない気分の悪さに見舞われたりする、だから不携帯であった、そのように書かれていました。 この「天皇制とチマ・チョゴリ」の冒頭部のこのくだりを読みながら、わたしは、とてもうんうんとうなずいていました。わたしも、普段はトーロクは不携帯で、もし「不携帯

  • 「在日特権」という言葉の存在を許しません。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    ひと月ほど前、あるパレスチナ問題の学習会に参加をしたときのことです。  映画を見て、講演を聞き、そうして、その日の参加者がグループに分かれて分科会をすることになりました。わたしが参加をしたグループのテーマは、なぜパレスチナ問題に関心を持つようになったのか、というものでした。約20人弱の人が集まって、めいめい、自己紹介をしながら、パレスチナ問題に関心を持った理由を短い言葉で話していきました。 わたしは、自己紹介をするとき、せっかくこういう場なのだから、通名ではなく、名を名乗って「在日」であることを言ってみたほうがいいのかな、と少し迷いました。パレスチナ問題に関心がある人々で「在日」のことを快く思っていない人は、おそらくいないだろうと思うので、こういう場なら、安心をして名を名乗れるかなと思ったのですが、でも、パレスチナ問題から話がそれてしまうかも知れないことを思って、やはり通名を名乗ること

  • 倫理の鏡 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、いつも、何ものでもなく、ただ「わたし」でありたいと願っているのですが、でも、わたしが何ものでもなく「わたし」だと思っているものは、当に何ものでもない「わたし」であるのか、いつもわからなくなります。  わたしは、今、朝鮮舞踊とチャンゴを習っています。舞踊のほうは、今年で四年目で、チャンゴの方は、習い始めてまだ一年しか経っていません。どちらも難しいですが、でも、習い始めてよかったと思っています。踊りを習い始めたきっかけは、オモニたちのように「オッケチュム」を踊れるようになりたいな、そして、わたしも、オモニたちと一緒にほがらかな顔で楽しく「オッケチュム」を踊りたいな、そう思ったことでした。「オッケチュム」は、オッケ(肩)をつかって自由に踊る踊りで、もともとは、どこかに習いに行くというような、形式ばったものではないように思います。むしろ、そういう形式性とはもっともほど遠い、ひとりひとり

  • えらい子ちゃんです。 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    みなさんは、ちゃんと労働してますか?えらいですね。わたしは、あんまりちゃんと労働してません。えらいですね。  わたしも、少し前まではちゃんと労働してました。ちゃっちゃと手早く、ちゃちゃーんと労働しておりました。わたし、たぶん労働ってきらいではないんですよ。よく、もし働かなくてもべていける社会になったら、働きますか?という質問をされたりしますよね。わたしは、働かなくてもいい社会になっても、働くことができるなら働きます、と答えます。わたしは、労働がきらいではないからです。それに、働かなくてもいい社会がくることは、ないと思えるからです。太古の昔から、人は働いて生きてきたと思うからです。自分のために、または、誰かのために働いて、そうして、みんなで支えあって生きてきたと思うからです。だから、働くことは、自分と誰かと共に生きる社会をつくることだと思います。働けない人は、働かなくていいと思いますし、働

  • 家庭訪問3(世界愛) - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    その日は、Iオモニと授業中には、あまりお話できなかったようなお話を、たくさんすることができました。  Iオモニは、あまりIオモニご自身のことをお話になることはありません。自己主張のすくない、とてもひかえめでやさしいオモニでいらっしゃいます。ご家族のお話や、日に来てどのように生活してこられたのか、わたしたちは、あまり話されないIオモニが、時々話してくださるちょっとしたエピソードを聞きながら、Iオモニの生きてこられた人生を想像します。そうして、Iオモニがハッキョに来て何を学ばれたいだろうか、どのような授業をすれば、Iオモニがよろこんでくださるだろうか、そのようなことを考えることにしています。 ひとりのオモニの生きてこられた歴史を知るには、世界全体の歴史を知る必要があるくらい、わたしたちのほうが、いろいろなことを知り学ばなければならないように思います。オモニたちの存在というのは、歴史の影響をな

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