16日日曜日、大阪市西成区でおこなわれた、1970年代の大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の人たちの様子を映したスライドの上映と、お話を聞く会に行ってきました。 スライドは、当時日雇い労働者として働きながら写真を撮っていた小杉邦夫という人の撮ったもので、お話は、この地域でこどもや労働者の問題とずっと関わってきておられる釜ヶ崎キリスト教協友会の小柳伸顕さんに聞かせていただきました。 このスライド作品は、「釜ヶ崎 1976冬」という題がついていて、この年のいわゆる「越冬闘争」の記録を中心にしているそうです。当時の様子を生々しく伝える貴重な写真ばかりで、それらを見ながら、当時を知る小柳さんのお話をうかがうことで、たいへん多くのことを感じ、考えることができました。 以下、とくにぼくが強く印象に残ったところを中心に、お話の内容を紹介します。 なお、不明な点などがあったので、お話しを聞いた後に、釜ヶ崎などの事情
この日夕方、7時からの予定の越冬実行委員会会議を前に西成署の横を通ると、20人弱ぐらいの人がワイワイ言っていた。なんだこれとは思ったが、そのまま釜ヶ崎キリスト教協友会の施設の一つにコピーかなんかの用事があって行ってしまった。だが、その30分後くらいの帰り道では、その西成署横の人の数が100近くになっていて、もはや「騒然」という雰囲気になっていた。あとで知ったのだが、釜ヶ崎では顔なじみの(「わんがうまりあ沖縄」で知られる)富村順一さんの飼っていた犬が西成署員に噛み付いたとかで、騒ぎになっていたわけだ。 そもそもその日の朝刊には、西成署防犯課の刑事が暴力団からの賄賂を受けていたことが発覚して逮捕されたという記事が載っていた。要するに、暴力団対策の刑事が賭博捜査の情報の見返りに金をもらっていたということである。これはもちろんとんでもない話だが(でもこれは多分全国でいわゆる氷山の一角なのだろうが)
新宿にはかつてこの街にあったロマンを取り戻してほしい。街づくりも、お店も 歌手・俳優 美輪明宏さん 現代最高の女形として 妖しく美しい魅力を放つ美輪さん 今の社会、文化、街などを対象にした 明快で辛口なトークは、 世間の常識にとらわれず、 自分を信じて生きてきた人ならではの 力強さに満ちている 昔の新宿にはロマンがあった 昭和27年ぐらいかしら、新宿駅の西口にあった小さな公園でホームレスをやってたことがあるの。駅の地下道にはまだ戦争で焼け出された人たちが住んでた。高野の裏は屋台が並んでて、紀伊國屋もなくて、その前の通りは泥道。歌舞伎町は普通の家だけだった。でも街頭のスピーカーから流行りの音楽がいつも流れててね。みんな貧乏だったけどロマンティックな時代でしたよ。ここ(スカラ座)はきれいな音楽がかかってて雰囲気があるでしょ。こういうロマンティックな雰囲気がどこに行ってもあった
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