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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (57)

  • スゴ本オフ「音楽」まとめ

    好きなを持ちよって、まったり熱く語り合うオフ会、それがスゴオフ。 を通じて人を知り、人を通じてに会うことで、読みたいが何倍にも増えていく。ある意味危険な読書会なのだが、だけでなく映画ゲーム音楽、演劇、TV番組、展覧会、フェス、イベントまで広がってゆく。わたしの知らない凄いものを教えてもらえる嬉しい場なり。今回は「音楽」がテーマ。いつもより少人数で、いつも以上にのんべんだらりと楽しく語らうひとときでしたな。当日のtweet実況は、「パクリ経済」「つながりの進化生物学」から「さくら学院・歌の考古学」まで:音楽のスゴオフを見てほしい。 これはエモい! 感動したのが、あまのさんオススメのiOSのアプリ"PlayGround"。びゅーんで、みょにょーんで、シャラッパな気分になれる。一言なら「音にさわる」タンジブル・インタフェースであり、リズムを弄り、メロディを捻り、ハーモニーを玩ぶ

    スゴ本オフ「音楽」まとめ
  • 『グールド魚類画帖』はスゴ本

    傑作という確信が高まるにつれ、頁を繰る手は緩やかに、残りを惜しみ惜しみ噛むように読む。先を知りたいもどかしさと、終わらせたくないムズ痒さに挟まれながら、読み返したり読み進めたりをくり返す。そんな幸せな一週間を味わった。 同時に、物語に喰われる快感に呑みこまれる。はじめは巧みな語りに引き込まれ、次に溶けゆく話者を見失い、さいごは目の前のが消え、自分が読んできたものは一体なんだったのか? と取り残される。わたしが世界になったあと、世界ごと消え去る感覚。 これは感情移入ではない。19世紀、タスマニアに流刑になった死刑囚の運命だから。猥雑で、シニカルで、残酷な語り口は、けして同情も承認も誘っていないし、シンクロの余地もない。野蛮で下品でグロテスクな描写にたじたじとなるが、妙に思索的でときに質を掴みとった省察に、つきはなされるようにも感じる。 人臭くて生々しい顔をした魚の絵とともに、その魚にから

    『グールド魚類画帖』はスゴ本
  • 『分析哲学講義』はスゴ本

    「哲学が何の役に立つのか?」という疑問が愚問になる時がある。 それは、否が応でもせざるを得ない思考の格闘が、ずっと後になって哲学と呼ばれる活動であることを知ったとき。似たような思考の罠はハマった先達がたくさんいて、そこで足掻き、抜け出すために様々な議論の道具、視点、レトリック、そして観念そのものが成果としてあることが分かったときだ。 書を読むと、自分で見つけて取り組んできた「問題」に、ちゃんと名前があり、応答(≠解答)があり、さらに批判と解釈が続いていることに気づく。このせざるを得ない問答に、たまたま哲学という名前がついているだけであって、役に立つ/立たない以前の話なんだ。もういい齢こいたオッサンなのに、この格闘は終わらない。なしですませられるなら羨ましいが、それは畜生にはニンゲンの悩みがなくていいね、というレベルだろう。考えることを、やめることはできない。 語りかける講義調で、ときには

    『分析哲学講義』はスゴ本
  • ウンベルト・エーコ『異世界の書』がスゴい

    汝の名は冒険者か? ならば我を求めよ! 知の巨人が、また奇ッ怪なを出した。それは古今東西の「実在しない場所」を紹介したもので、ギリシャ古典から現代ベストセラーまで大量の文献を渉猟し、エーコ一流の案内と膨大な引用からなる幻想領国地誌集成だ。面白いのは、いわゆる「虚構の場所」を扱っていないところ。アトランティスやシャンバラ、ユートピアやフウイヌムなど、多くの人がどこかに実在する、もしくは実在したと気で信じ、その信念が幻想を生み出した場所が、書の俎上に上っている。 読み進むにつれ、この「伝説と虚構」の境界が揺らぎはじめて愉しい。想像力をどこまで信じられるかというテーマになるからだ。現実の世界は一つかもしれない。だが現実と並行して、先人たちの幻想が生み出す無数の可能世界を巡るうち、想像は現実の一部であることを、まざまざと思い知らされる。この幻想のもつリアリティこそが、書を貫くテーマになる。

    ウンベルト・エーコ『異世界の書』がスゴい
  • あなたの論文を学術書にする方法『学術書を書く』

    最初に答えを言うと、「良い編集者を持て」になる。 あなたの修論や博論は、どれほどユニークで面白かろうと、そのままにはならない。だから、潜在的な読者を見つけ、物理的なという形に仕上げ、配・流通に載せて、最終的に買って読んでもらうために、いくつかの準備や手直しが必要となる。その一番の方法が「良い編集者を持て」なのだが、そんなに簡単には見つからない。書は、こうした「ユニークで面白い論文」と「優れた学術書」の橋渡しをしている編集者が、どういう点に気をつけて、何をアドバイスしているかを、実際の出版事例を用いながら教えてくれる。 最も重要で、かつ全体を貫く勘所は、「誰が読むのか」だと言い切る。ふつうなら「何を書くのか」というテーマが大事ではないかと思うのだが、そのテーマですら、「誰が読むのか」によって揺らぐという。専門性の高い限定された研究対象を論じるのであれば、自ずとそれに興味をもつ読者も限

    あなたの論文を学術書にする方法『学術書を書く』
  • 「小中学生にお薦めする○冊」の欺瞞と、それでもオススメする10冊

    「小中学生にお薦めする○冊」を見かけるが、舐めてるだろ。それは大人のエゴイズムの押し付けにすぎぬ。選者のノスタルジックなブックリストであって、今それを手にする人を想像していない。そんな大人の自己満足を、子どもは正しく見抜いてる。 どうしてそんなに言えるのか? わたし自身が薦めてきたから。『モモ』であれ『星の王子さま』であれ、読まない。考えてもみろ、学校だけでいっぱいで、動画やラインやゲームを無理やり詰め込んでいる生活に、『モモ』読む時間があるものか。それな! それこそがエンデが描いたカリカチュアなのだが、気づくためには読むしかないという自家撞着に陥る。 さもなきゃ逆に考えろ、「愛読書はエンデです」なんて言う小学生がいたら気になるだろ。ふだん何してるの? ポーズなの? 気なら、気で親の顔が見たい。どうやって培養したのか知りたい。「愛読書は西村寿行」だったわたしには、得がたい世界だ。 お薦

    「小中学生にお薦めする○冊」の欺瞞と、それでもオススメする10冊
  • 『思考の技法』はスゴ本

    哲学するための装備を整え、著者自身の戦歴を踏まえながら自分のモノにする一冊。カタログ的なツール集というよりも、もっと大掛かりで強力な、知の増幅装置に近いイメージ。 「意味」「進化」「意識」「自由意志」といった、手ごわいテーマに対し、手ぶらで対峙しないための装備と考えればいい。オッカムの「かみそり」ではなく「オッカムのほうき」、藁人形論法ではなく「グールドの二段階藁人形」など、一般の思考道具よりも威力のある、77もの装備が手に入る。 たとえば、必要以上に多くの仮説を立てるべきでないとするオッカムの「かみそり」よりも、「ほうき」の方がより凶悪だ。なぜなら、自説に都合が悪いエビデンスや統計情報を掃き出して「なかったことにする」ほうきだから。著者ダニエル・デネットは、暗闇で犬が吠えなかったことが手がかりとなった、シャーロック・ホームズのあの推理を思い出させる。知的に不誠実な人が、不都合な事実を隠し

    『思考の技法』はスゴ本
  • 新しい目を得る『美術の物語』

    世界で最も読まれている美術の。 原始の洞窟壁画からモダンアートまで、西洋のみならず東洋も視野に入れ、美術の全体を紹介する。書ほど広く長く読まれている美術書は珍しい。「入門書」と銘打ってはいるものの、これはバイブル級のスゴなり。 おかげで、興味と好奇心に導かれるままツマミいしてきた作品群が、社会や伝統のつながりの中で捉えられるようになった。同時に、「私に合わない」と一瞥で斬ってきたことがいかに誤っており、そこに世界を理解する手段が眠っていることに気づかされる。さらに、美術品の善し悪し云々ではなく、人類が世界をどのように「見て」きたのかというテーマにまで拡張しうる、まさに珠玉の一冊なり。 まず、明快かつ達意の文に引きよせられる。このテのにありがちな、固有名詞と年代と様式の羅列は、著者自身により封印されている。代わりに、「その時代や社会において、作品がどのような位置を占めていたか」に焦

    新しい目を得る『美術の物語』
  • 『こころ』を読んだら、これを読め

    好きなを持ちよって、まったり熱く語り合うスゴオフ。 毎度まいど、収獲量が桁違いのブックハンティングで、やはり今回も凄かった。お題は夏目漱石の『こころ』。初の課題図書なのだが、これ読んで感想を言うありきたりな読書会ではない。『こころ』を読んだ人にオススメする作品を紹介するというメタ的な読書会なのだ。 あまりにも有名な『こころ』を、いかに教科書的でない読み解きをするか? ここが肝でスリリングなところ。みなさまの発想力と独創性により、意外だけど納得できるが集まった。わたしもアクロバティックな読みを目指したつもりだけれど、予想のナナメ上を飛翔する想像力にやられましたな。集まった作品の書影は[リブライズ]に、tweetはTogetterまとめ[『こころ』はミステリだった? ハードボイルド? 恋愛小説? スゴオフ「漱石の『こころ』の次にオススメする」]にまとめてありますぞ。 まず、『こころ』

    『こころ』を読んだら、これを読め
  • 美は、見る人のなかにある『美しい幾何学』

    これを紹介するのは、とても簡単で、すごく難しい。 というのも、簡単なのは、これは「見る数学」だから。ただ眺めているだけで、その美しさが伝わってくるから。教科書ならモノクロで印刷される定理や図形を、鮮やかなモダンアートにして魅せてくれるから。オイラー線やサイクロイド、シュタイナーの円鎖など、単体でも美しいフォルムをカラフルにリデザインしており、ページを繰るだけで楽しくなる。ひまわりやオウムガイの螺旋に見られる、形のなす必然に心が奪われるだろう(たとえフィボナッチ数の話を知っていたとしても)。 同時にこれは、「知る数学」でもある。だから、伝えるのは難しい。直感だけで受け取った美には、そのパターンを支えるシンプルな定理が存在し、かつそれは、なるべくしてそうなっていることに気づかされる。この必然性を知るためには、やはり定理を解き、式を理解する必要がでてくる。編集方針なのだろう、数式を控えめに、なる

    美は、見る人のなかにある『美しい幾何学』
  • 夏目漱石『こころ』の次に読むべき一冊

    とある女子高生が、国語の授業をきっかけに『こころ』を読んだとする。拒絶から同化まで、彼女の反応は想像にお任せするとして、次にお薦めする一冊は何だろう? ……というテーマが、次回のスゴオフ。「スゴオフ」とは、を持ち寄ってお薦めしあうオフ会なのだが、詳しいことはfacebook[スゴオフ]をご覧くだされ。もちろん、お薦めする作品は、に限らない。映画音楽、コミック、ゲーム何でもござれ。 現国(なのか最早?)のお伴として、読書感想文の定番として、『こころ』は有名になりすぎた作品だ。いまだに「Kが自殺した当の理由」とか「実は先生は死んでない」「あんなの、そもそも恋じゃない」といった挑戦的なネタが定期的に上がってくるのはその証左。映画漫画で扱われたことで、未読でもなんとなく知っているという方も多いのではないだろうか。おかげで、ストーリーを語ってもネタバレ扱いされない、珍しい小説でもある

    夏目漱石『こころ』の次に読むべき一冊
  • 読書の世界の広げかた

    同じを読んでも、こうも違うのか!! 驚き慌てて読み戻り、互いの違いを話すうち、別の視線で眺めてた。読書が「ここでないどこか」の疑似体験なら、読書会は「誰かにとってのどこか」を重ね合わせたものになる。 アイヴァス『黄金時代』の読書会に参加したのだが、すごい経験をした。十数人が集まって一冊を語り合うと、十人十読になる(10*10よりむしろ10^10)。同時に、「わたしの読み」に固執する愚を思い知る。たまに見かける、裁定者みたいに振舞う「プロ書評家」の唯我読尊が、いかに貧しく寂しいかが、よく分かる。 なぜなら、自由だから。読みきった上で、「これは合わない」とか「ここは眠くなった」と言えるから。「つまらない」という感想でも、その理由を権威やレトリックで飾らなくていいから。「けれども私はそこが良かった」「いやそれならアレを読め」と交わせるくらい、互いの許容度が大きいんだ。海外文学好きって、他人に厳

    読書の世界の広げかた
  • ヌードが誘うアートの世界『官能美術史』

    ほんとこれ。 “女性の身体から生み出される様々な曲線は、男という生き物の生きる糧となっています” via tumblr[utiar] 視覚や嗅覚のどこかにインプリメントされていると思うくらい行動原理となっている。愛を求め死を避ける動機は、生存戦略なのかも。愛と死は人類の二大関心事に他ならず、書はその半分を視覚化したものになる。 書は、西洋美術における性愛の歴史をとりあげ、その広がりと奥行きを味わおうとするもの。同時に、文化史における愛の定義の歴史を追いかけ、さらに美術史におけるヌードと身体意識の変遷を解説する。文庫という制約はあるものの、きれいに一冊にまとめている。 著名な画家が、強烈な性愛の作品を残していたことを知って、驚くというより納得する。むしろ、「あれはこの人だったのか」と結びつく作品もしばしば。光と影の画家レンブラントの官能的で冷たい裸体や、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた

    ヌードが誘うアートの世界『官能美術史』
  • 古典は、頭を鍛え、社会を学ぶ、最強の格闘場だ『闘うための哲学書』

    手に汗握る、言葉による殴り合い。 哲学書をダシに、理想主義と現実主義が、足を留めて殴りあう。丁々発止が凄まじく、知的興奮は否が応でも漲ってくる。哲学とは対話を通じて考え抜く、動的な行為である。静的な書物とは、薪であり、燃料であり、知的な土俵なのである。なかでも古典は、時代のフィルターを経て結晶化されている。現代の価値観から裁定するのではなく、現代の問題に引き付けて、どこまで説明原理が可能かを模索することにより、古典は、最高の爆薬になる。 ブックガイドとしても優秀だ。二人の現役哲学者が、プラトンから和辻哲郎まで、22人22冊の哲学書を引用し、「いま」「ここ」の問題に実践的に適用する。非常に面白いのは、理想主義の小川仁志と、現実主義の萱野稔人とで読みが異なってくるところ。アクチュアルに読む、とはどういうことか、実例をもって示してくれる。 たとえば、カント『永遠平和のために』を俎上に乗せ、「平和

    古典は、頭を鍛え、社会を学ぶ、最強の格闘場だ『闘うための哲学書』
  • 無知ほど完全な幸福はない『続・百年の愚行』

    『百年の愚行』は、人類が20世紀に犯してきた愚行を、100枚の写真で見える化したもの。奇形化した魚、エイズの子、鮮やかなガス室、貧困の究極形、人類が成してきた悪行とツケ100年分は、絶句するほかない。 その続編が出た。これは、人類の狂気を見える化したもの。まだ21世紀のはじめなのに、911と311に挟まれてはみ出てきた、おぞましい恥部が写っている。戦争、弾圧、差別、暴力、貧困、環境破壊と核という切り口で、映像として残る人間の愚かさを、思う存分飲み下し、腹下せ(精神的な下痢になる)。どんなに言葉を尽くしても、圧倒的な狂気の前に、声を失うだろう。 最初の『百年の愚行』と比較すると、センセーショナルなどぎつさが、抑え気味になっている。新疆ウイグル自治区での弾圧は、もっと血みどろor火まみれな映像があるが、煽らないよう避けられている。代わりに、「シンジャンのパレスチナ化」という寄稿で、当局の迫害は

    無知ほど完全な幸福はない『続・百年の愚行』
  • 良い本で、良い人生を『読書案内』

    人生は短く、読むは多い。だから、これを読め。 なぜなら、この薄い一冊に、あなたの人生にとってのスゴ(凄い)が必ずあるから。読書と文章の達人サマセット・モームが、人生を豊かにする作品を厳選し、鋭い寸評とともに「読みたい!」気分にさせてくれるから。 ただ単に、名著や傑作と呼ばれる作品を挙げるだけならGoogleればいい。だがモームは、「読んで楽しい」という第一条件でピックアップする。なによりも、読書は楽しくあらねばならぬという原理主義だ。文学はどこまでも芸術であり、芸術は楽しみのために存在するものだと言い切る。 だから、紹介文そのものが魅力的だ。わたしのレビュー[大学教師が新入生に薦める100冊]と比べてみてほしい、モームは『カラマーゾフの兄弟』をこうお薦めする。 身の毛のよだつほどおそろしい場面があるかと思えば、美しいが上に美しい場面もある。わたしは、人間の高貴な姿と邪悪な姿が同時にこ

    良い本で、良い人生を『読書案内』
  • 入門にして傑作選『大江健三郎自選短篇』

    つくづく恵まれている。 ノーベル賞作家が、自作ぜんぶを読み直し、選びなおし、加筆修訂した定のベスト版、これが1500円で釣銭くるなんて。どれだけ日って有り難いのだろう。中毒性の高い大江節を読みながら、嬉しさにまみれる。 同時に、通して読むことで、時代性と普遍性のトレードオフが浮かび上がる。デビュー作『奇妙な仕事』や初期の『死者の奢り』『飼育』『セヴンティーン』を横断する、戦後日の閉塞感やグロテスクな性のイメージが見える。面白いことに、この閉塞感やドロヘドロ感、もはや戦後ですらない現代にあてはめても伝わってくる。 たとえば、初期作品に共通して出てくる「粘液質の膜」や「無関心の甲冑」という概念。何かに熱中したり、怒りを持続させることもなく、あいまいで、疲れやすい「僕」を包んでいるものとされる。生の現実に触れられないもどかしさと諦めを正当化するための「膜」だ。作品によって、外部から隔絶され

    入門にして傑作選『大江健三郎自選短篇』
  • ウィトゲンシュタインの読み方『哲学探究』入門

    ウィトゲンシュタインを読むのは、認識の仕様が知りたいから。 中二病の宿題を終わらせる『論理哲学論考』で、彼がやりたいことを知った。日常言語を用いる限り、数学のように論理を引き出して直接扱うことは難しい。だから、せめて「ここまでは語り得ますよ」という限界を示すのだ。そして、言語の誤謬を避けるため、厳密に論理的なシンタックスに則った記号言語を構築してゆく。 これをリバースエンジニアリングすると、認識のモデリングになるのではないか、というのがわたしは目論み。人であれAIであれ、知性はどんなやり方で(自分も含めた)世界を理解しているのかが分かれば、すなわち意識とは何か、そして「私とは何か」に近づけるんじゃないかと。アフォーダンスや数学、認知科学の近辺をウロウロ読んでいる動機は、これなのだ。 ただし、『論考』のプロセスの論理学は厳密だ。完全な純粋さを目指すあまりとっかかりがない。plainすぎて摩擦

    ウィトゲンシュタインの読み方『哲学探究』入門
  • 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本

    一生モノの一冊。 「スゴ=すごい」の何が凄いのかというと、読んだ目が変わってしまうところ。つまり、読前と読後で世界が変わってしまうほどのこそが、スゴになる。もちろん世界は変わっちゃいない、それを眺めるわたしが、まるで異なる自分になっていることに気づかされるのだ。 『GEB(Godel, Escher, Bach)』は、天才が知を徹底的に遊んだスゴ。不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの業績を"自己言及"のキーワードとメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。 ざっくりまとめてしまうと、書のエッセンスは、エッシャーの『描く手』に現れる。右手が左手を、左手が右手を描いている絵だ。「手」の次元で見たとき、どちらが描く方で、どちらが描かれている方なのか、

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本
  • 宿題を終わらせる『論理哲学論考』

    ようやく読めた。岩波青で適わなかった宿題が、やっとできた。新訳はとても読みやすく、かつ、驚くだろうが理に適ったことに、横組みなのだ。 そもそもこれは、どういうなのか、なぜこれが20世紀最大の哲学書なのか、そして、ずっとたどり着けなかったラストが、なぜ「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わっているのかが、わかった。わたしが難しく考えすぎていたんだ。 これは、数学なんだ。 哲学的なことについて書かれてきたことの大部分は、意味がないという。なぜなら、「哲学的なことについて書かれてきたこと」は、言語を使っているから。プラトン以来、西洋哲学の歴史は、言語の論理を理解していないことによるナンセンスな言説の積み重ねなんだと。なぜなら、「言語の論理を日常生活から直接引き出すことは、人間にはできない(No.4.002)」から。 このあたりの説明は、書の冒頭にある野家啓一「高校生のための『論

    宿題を終わらせる『論理哲学論考』