今日は少しボヤキです。 私が使っている無料のseesaaブログが、順次強制的に新デザインシステムに移行することを知って、ある日突然強制的に移行されて慌てるよりはと思い、自ら『カスタマイズ内容を引き継ぐ』として手動で移行してみました。 よく分かりませんが、スタイルシート中心になるということなんだろうと思います。 一応、旧デザインでHTMLカスタマイズしたバックアップは取っておきました。 移行に際して、修正しないといけない項目が数10件表示されて気が滅入ったが、やってみました。 要するに、殆どデフォルト状態にするということらしい。 嫌な予感を感じながら、新デザインシステム移行ボタンを押してみました。 案の定、文字色・バックグラウンド色・文字ピッチ・サイドバー・・・等々、結局手動で修正する羽目になり、 大変な労力と時間を費やしてしまいました。 知識がある人なら、もっと簡単にできるのだろうと思いま
私はこの世に果たして「絶対」というものがあるのか、疑問に思っている。 そこで、「絶対零度」などという言葉以外には、できるだけ絶対という言葉を使わないようにしているが、つい、話の流れで強調形として使ってしまうことはある。 ただ、『絶対にない(or ある)という訳ではない』という否定形で使う分には、気にならない。 また訳の分からない書き出しになってしまったが、恥ずかしながら9月7日(木)のニッポン放送ラジオの『ザ・ボイス 高橋洋一』で初めて、「核シェアリング」という概念を知った。 記事としては、夕刊フジのzakzakに出ている。 【日本の解き方】北核開発の現実的解決策は日米韓の「核シェアリング」 中露を競わせる外交上の得策 https://t.co/d2d9Jh0hVH @zakdeskさんから — 高橋洋一(嘉悦大) (@YoichiTakahashi) 2017年9月13日 私の中の時系列
クリスチャンでもない私が、聖書のことを語るのもどうかとも思いますが、昔の想い出ということで少し書いてみます。 内容に間違いがあったら、申し訳ありません。 今は昔、かなり若い頃、友人が創世記の記述について、得意そうに質問してきたことがある。 キリスト教の聖書の最初の、創世記のまた最初の「天地創造」の箇所で、『7日目以外で神が「良し」とされなかった日は、何日目か知っているか?』という内容であった。 その当時、私は聖書を持っていなかったが、文庫本の「創世記」を読んだことはあった。 そんな箇所は思い浮かばず、降参した。 「良し」としなかった理由を尋ねても、彼は『知らない』と言い、どこかで偶々聞いた話なのかと思った。 家に帰って文庫本をよく見てみると、本文に注釈が付いていて、巻末に『原文には記述がないが、意訳して「良しとした」を挿入した』と書いてあった。 『それはないだろう』と思ったので覚えている。
20年くらい前に心療内科に入院したことがありましたが、その時に受けた心理検査について、少し書いてみます。 主治医である若い女性の研修医との相性は余り良くなかったんですが、その原因を後で、自分なりに冷静に考えてみると、研修医からの療養計画のようなもの ーーー例えば「あなたは今、こういう状態と考えられるので、このようなことに注意しながら治療を行っている。今後このような状態になれば、こういう治療を試みる。それで症状の改善が見られれば、こういうことに気をつけながら通院治療に切り替えたいと考えているが、患者であるあなたの意向はどうか?」といった説明がまったくなかったことが、一因だったと思います。 それで、ある日突然、その研修医から「心理検査を受けてみますか?」と訊かれた。 何のために検査を行い、その結果がどのように治療に反映されるのか、といった説明は、やはり例の如くまったくなかった。 拒否することも
長い間更新をせず、失礼しました。 病気と言う訳ではないのですが、身体のあちこちが痛いし、気持ち的にも元気が出ないし、ということで、バイタルエネルギーが低下して何をするのも億劫になっているという感じでした。 満を持して練りに練った記事を書ければ良いのですが、お察しのとおり、そのようなことにはならず、今まで以上に余り考えずに、思いつきで書いてしまうことになります。 トニオ・クレーゲルの、「この世ではそのようなことは起こらないのだ」という言葉を思い出します(全然関係ありませんが)。 それで少し考えてみたのが、余り科学的な話ではありませんが、この不調は、良い食生活をしていないことが一因ではないか、ということです。 若い頃と違って、摂取カロリーも少なく、食欲が減退しており、特に昼食を抜くことが多い。 そして、肉類を余り食べなくなった。 貧乏くさい話で恐縮ですが、私の昼食は日替わり定食やラーメンが多い
先週来、記事の本文を少し左寄りにして、右サイドとの間を空けよう、などとブログのデザインをいじったところ、右落ちしたり、記事が表示されなくなったりと散々でした。 その間に覗きに来てくれた人がいたら、申し訳ありませんでした。 継ぎ接ぎだらけコマンドなので、どれが有効なのかよく分からず、重複していると思われるコマンドを削除したりすると問題が起きたりします。 まだエラーは出ていますが、なんとか表示は改善されたと思っています。 さて、The Beatles に「Hey Jude」という曲があります。 私がこの曲を初めて聴いたのは、ビートルズが解散してかなりの年月が経過した後でしたが、「良い曲だが、とにかく長い」というのが、当時私が抱いた印象でした。 その頃は英語が全くできなかったので、歌っている内容も分かりませんでした。 たまたま『ヨーロッパで柔道の人気が高まっている』というTVニュースを観たせいか
昨年読んだ渡部昇一さんの「95歳へ!」か、その後に読んだ同著者の別の本だったかよく分からないが、渡部昇一さんがパスカルの話を引用していた内容があったことを想い出した。 それぞれの本の内容は、もうかなりの部分を忘れている。 そういえば私の友人のヒツジさんは、自ら自身のことを「活字中毒」というほどの読書家だが、最近小説を読んでいて、途中で本を閉じると主人公の名前を忘れてしまうと嘆いていたが、やはり年のせいなのかも知れない。 私はかなり前から、何かをしている途中で別のことが入ると、『さて、何をしてたんだっけ?』と思うことがよくあった。 しかし、例えば仕事中に歩いてきた元の場所に戻ると、何をしていたか思い出したりする。 同世代の人に訊いてみると、私だけではないようだが、少し辛いものがある。 さてパスカルは、「パスカルの原理」や『人間は考える葦である』という言葉で有名なフランスの思想家ですが、残念な
生活保護の問題に関する報道が時々流されるが、私は生活保護制度は必要だと思っている。 予期せぬ病気・障害・失業・倒産などによって生活が立ち行かなくなった時に、最低限食べていける生活保護があることは、心強い。 自己責任で生命保険や各種の救済制度で対応すれば良いという意見があるが、そうはいかない現実がある。 困窮しているので生保を受けるのが当たり前という考えはどうかと思うが、困窮しているときに一時的に生保を受給することに卑下する必要はない。 日本に産まれたことに感謝し、捲土重来で、将来社会に還元すれば良いと思う。 何らかの理由で一度失敗したら再起不能となるというのでは、冷たい、厳しい社会となってしまい、貴重な社会資源を失うことにもなりかねない。 問題は不正受給である。 収入があるのに申告せず、働けるのに働けないと言って生活保護に寄生するのは、本来救済されるべき人々を排除してしまうことにも繋がり、
数年前から話が出ていた「第2青函トンネル」の建設構想に関するニュース記事を今年の新年早々読んだが、最近また新しい記事が出ていた。 私は、鉄道やトンネル工事の知識がある訳ではなく、意見を言うのは無責任かとも思いますが、建設には賛成です。 全国的なアンケート調査を行えば、「賛成」よりも「反対」「分からない」「関心がない」の方が、大多数になるのかなと思います。 報道では詳細がよく分からないのですが、現在の青函トンネルの直ぐ近くに、単線の貨物専用のトンネルを造るという計画のようです。 何故単線なのか、よく分かりません。 通行量から考えて単線で間に合うということなのでしょうか。 第2青函トンネルを造る理由として挙げられるのは、 ①貨物列車の擦れ違い時の安全対策のため、新幹線が140㎞/hに速度を落としているのを改善してスピードアップを図る。 ②軌道の保守点検作業に余裕を持たせ、より安全性を高める。
時々報道される政党支持率などの世論調査の記事は、私は見出しだけ見て深入りしないことが多いが、昨年12月に報道された「産経ニュース」の『民進“シルバー政党”化 支持層の62%が60歳以上』は少し気になった。 『産経新聞社とフジニュースネットワーク(FNN)の合同世論調査で、主要政党の支持層に「60歳以上」が占める割合を見たところ、民進党は62%で、共産党(60・5%)や自民党(41%)などを上回った。過去の調査からも、民進党がじわりと“シルバー政党化”していく傾向が浮かぶ。支持層の高齢化は政策面ともリンクしているようだ。(千葉倫之) 今回の合同世論調査で「民進党を支持」と答えた人の内訳は、60歳以上62%▽50代8・7%▽40代13%▽30代7・6%▽18~29歳8・7%-で、平均年齢は60・23歳だった。一方、自民党支持者は、同じ順に41%▽14%▽14・3%▽13・5%▽17・2%-と民
相変わらず、私には実存というものがよく分からないので、南直哉さんのブログの話も理解できないところが多い。 それで今日は余り考えず、検証もせず(「あなたはいつもそうじゃないか」と言われるかも知れませんが)、私の中にある素朴な疑問を書いてみます。 「実存主義」は19~20世紀頃、キルケゴール、サルトル、ニーチェなどによる思想で、その後、日本語で「実存」という言葉を当てたのだと思います。 一方、仏教発祥は紀元前2~3世紀で、インドから中国を経て日本に伝来したのは、6世紀のことだと思います。 私が学生の頃は「仏教が来てご参拝」と西暦538年と語呂合わせで覚えていましたが、今では諸説があって数十年の違いがあるようです。 疑問は、「悟り」「解脱」「無常」「無我」などの仏教から派生したと思われる言葉がありますが、当時はなかった「実存」が何故、今出てくるのかということです。 現代人には「実存」という説明の
昨年末から、自分のブログの背景が暗過ぎたり、タイトルの文字が読みにくいので何とかしようと色々やっていましたが、そのうちpc自体に不具合が起きてしまいました。 最初のうちは、普通にニュースを見ている画面で、『最近、ちらつきが多いな』と思っていた程度でしたが、時々急に画面の背景が暗くなってしまい、ニュースが読めなくなった。 色々とやってみたのですが回復せず、やむ無く不安ながらブラウザをアンインストールして、再インスト-ルしてみたところ、数日前にやっと復旧したようです。 一部の機能はまだ使えないままです。 閲覧に来ていただいた方には、更新されず、汚い画面のままのブログでご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。 ブログのデザインは追々直していくつもりです。 そしてまた、ぼちぼちと記事を更新したいと思います。 愚痴はここまで。 『愚痴をこぼしたぁ~ら、笑われるし』(山崎ハコ、「気分を変えて」。結構
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