ナサニエル・セイヴァリーの墓碑 (父島・大根山墓地) ナサニエル・セイヴァリー(Nathaniel Savory, 瀬堀南山、1794年 - 1874年)は、初めて小笠原諸島に移民したとされるアメリカ人で、日本領有時に父島に居住していた欧米系島民開祖の一人。ナザニール・セボリーまたはナサニエル・セーボレーとも。 20世紀前半に撮影されたセイヴァリー家。 ナサニエル・セイヴァリーの直系子孫たち 1794年、アメリカのマサチューセッツ州ブラッドフォード(英語版)に生まれた。1810年代から船員として働き、その後イギリスの商船に乗り組んでいた[1]が、1829年、船がホノルルに入港した際の事故で右手指を負傷し、治療のため下船した[1]。ハワイでの療養中、イギリス領事のチャールストンが小笠原諸島への入植計画を進めていることを知ったセイヴァリーは、イタリアのラグーサ(現:クロアチアドゥブロヴニク)出