『ジョーカー』と並んで、最近の「格差社会映画」ブームの代表的な作品だ。 この映画は「寓話」的な作品であると言われることが多い。寓話であるということは、作品のテーマを鮮烈に描くために細部のリアリティはあえて捨象しているということだ。 実際、この作品に対してリアリティの観点から文句を付けるのは野暮な行為であるように思える。たとえば、話の根幹となる、主人公の半地下一家が金持ち一家の使用人たちを追い出して取って代わって"寄生"していく過程にはリアリティは全くないが、ここに関してはリアリティを求めることは映画の邪魔になるし「そういうものだ」と受け入れるしかない。 …しかし、この映画では、根幹には関わらない他のシーンでもディティールに違和感を抱かされて物語への没頭を妨げられることが多過ぎる。 私が特に気になったのが、物語の「転」となる事象が発生する直前、主人公一家が金持ち一家の酒や食料を拝借して宴会を