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wikipediaと鉄道に関するgoldheadのブックマーク (16)

  • 宇部新川駅 - Wikipedia

    駅全景(2016年8月)。手前が新山口方面。 宇部新川駅(うべしんかわえき)は、山口県宇部市上町一丁目にある、西日旅客鉄道(JR西日)宇部線の駅[2]。 宇部市の中心市街地に位置し、市を代表する駅である[2]。 線路名称上は宇部線単独駅であるが、運転系統上は小野田線の列車も当駅を発着する(実際の小野田線の起点は隣の居能駅である)。 1914年(大正3年)に宇部軽便鉄道の駅として開業。当初は現在の宇部中央バス停付近に所在したが、1923年(大正12年)の助田停留場 - 宇部新川駅間の線路付け替えおよび床波駅までの路線延伸に伴い、現在地に移転した。 初代駅舎(1914年) 1914年(大正3年)1月9日:宇部軽便鉄道開業と同時に、宇部新川駅として開業[1]。 1921年(大正10年)12月21日:社名変更により宇部鉄道の駅となる[3]。 1923年(大正12年)8月1日:助田停留場から宇部

    宇部新川駅 - Wikipedia
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    goldhead 2021/03/09
    もしも自分の地元の駅(湘南モノレール片瀬山駅)などがいきなりエヴァンゲリオンの掉尾を飾る場面で出てきたらビビるだろうな。
  • 西中島南方駅 - Wikipedia

    大阪で初めて2つの地名を合体させた駅名といわれている[2]。駅名の決定にあたっては、周辺住民から旧自治体名(西成郡西中島町)に由来する広域地名である「西中島」と、西中島町の9大字の一つで、阪急の駅と同名である「南方」の2つの案が提示されていたが、両案を合体させる形で決着した経緯がある。ただし、阪急の駅は「みなみかた」と清音であるのに対し、当駅は「にしなかじまみなみがた」と濁音である。異なる地名が合体する例はOsaka Metroの駅名ではよく見られ、特に谷町線に多い。 幅4.2メートルの相対式ホーム2面2線を有する高架駅[3]。 軌道およびホームは国道423号(新御堂筋)の双方車線に挟まれる位置にあり、地上を走行する阪急京都線を高架でまたいでいる(高さ地上約5メートル)。改札口は駅の南北両端の地上部にある。 他の御堂筋線の高架駅は島式ホームなのに対して、当駅は唯一相対式ホームとなっている

    西中島南方駅 - Wikipedia
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    goldhead 2019/08/15
    "全国で初めて2つの地名を合体させた駅名といわれている"
  • 殖民軌道 - Wikipedia

    殖民軌道(しょくみんきどう)とはかつて日北海道で見られた軌道の一形態である。1942年(昭和17年)以降は簡易軌道(かんいきどう)と改称された。 現在では広義の軽便鉄道の範疇で捉えられることが多いが、未開地での道路の代替手段という性質を持ち、根拠法令を異にしていたという歴史的経緯がある。この点で一般の鉄道・軌道とは異質なものであった。 旧北海道庁が開拓民の入植地における交通の便を図るために拓殖計画に基づいて建設したもので、「地方鉄道法」や「軌道法」に準拠せず敷設された。最終的に廃止に至るまで法的根拠は曖昧だった。建設された場所は泥炭地など泥濘で通行困難な地帯が多く、軌道を設けることで輸送費の高騰を防ぐものとして整備されたのである。当初の動力は馬だった。 1924年頃以降から昭和初期にかけて建設が盛んとなり、総延長は600kmを超えた[1]。建設予算は内務省が支出し、動力となる馬などは入

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    goldhead 2017/12/15
    "「地方鉄道法」や「軌道法」に準拠せず敷設された。「軌道」とは名付けられているが「道路の一変形」というべき存在"
  • 新島々駅 - Wikipedia

    1922年(大正11年) 9月26日:筑摩鉄道の波田駅 - 島々駅間開業に伴い[2][4]、赤松駅(あかまつえき)として駅開業[3][5]。所属線を島々線とする[2]。 10月31日:筑摩鉄道が社名を筑摩電気鉄道に変更する[2]。 1932年(昭和7年)12月2日:筑摩鉄道が社名を松電気鉄道に変更する[2]。 1955年(昭和30年)4月1日:路線名を島々線から上高地線に変更する[2]。 1966年(昭和41年)10月1日:島々駅からのターミナル機能移設に伴い新島々駅に改称[2][1]。 1983年(昭和58年)9月28日:台風10号による土砂災害で不通、当駅 - 島々駅間が休止となる[2]。 1985年(昭和60年)1月1日:当駅 - 島々駅間が廃止、終着駅となる[2]。 2002年(平成14年)7月20日:駅舎を改築[6]。 2011年(平成23年)4月1日:松電気鉄道の合併に伴い

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    goldhead 2017/07/28
    しんしましまえき。
  • 新幹線E926形電車 - Wikipedia

    JR東日管内の新幹線では1982年の東北新幹線および上越新幹線の開業以来、架線・軌道検測には925形(921形含む)が使用されていたが、営業列車の速度向上に加えて、山形新幹線と秋田新幹線という925形では入線不可能なミニ新幹線の開業[注 1]、さらに車両自体の老朽化といった課題に直面した[3]。これに伴い、営業列車の最高速度275km/h(当時)と同じ速度での検測データが必要とされたこと、最高速度が上昇したダイヤの都合や検測時間の短縮が必要とされたこと、新幹線と在来線を直接行き来できる新在直通可能な検測車両が求められたことなどを受け、2001年に在来線の車両限界に合わせたE3系をベースに開発された[3]。最高速度275km/hは登場時、検測車両としては世界最速であった(この記録は後に中国のCRH2C-2061によって破られた)。 愛称名の「East i」は、次世代の総合試験車に相応しい愛

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    goldhead 2017/04/06
    今日、こういうのが京浜東北線の線路を走ってた(と思う)。
  • 横浜線 - Wikipedia

    横浜線(よこはません)は、神奈川県横浜市神奈川区の東神奈川駅と東京都八王子市の八王子駅を結ぶ、東日旅客鉄道(JR東日)の鉄道路線[2](幹線)である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJH[注釈 1]。 全ての快速電車と一部の各駅停車は、東神奈川駅から横浜駅を経由して根岸線に直通し、桜木町駅・磯子駅・大船駅へ乗り入れる。なお、記事では根岸線 - 横浜駅 - 東神奈川駅 - 八王子駅間について、実際に運行されている列車の列車番号の付け方に合わせ、桜木町方面行きを「上り」、八王子方面行きを「下り」と記述する。 横浜線は東京地区の電車特定区間(E電)の路線のひとつであり[3]、横浜市から町田市および相模原市を経由し、八王子市に至る首都圏の郊外を結ぶ全長42.6 km[2]の路線である。「横浜線」という路線名称ではあるが、起点は東神奈川駅であり、京浜東北線・根岸線に直通する列車を除いて横浜

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    goldhead 2017/02/26
    "1908年(明治41年)に「横浜鉄道」という私鉄として開業したのが横浜線の始まりであり、当時は八王子や甲信地方で生産されていた生糸を横浜へと運搬することを目的としていた"
  • カウキャッチャー (鉄道) - Wikipedia

    カウキャッチャー カウキャッチャーを持つ鉄道車両の例:釧路鉄道 進善号 後退形カウキャッチャーを持つ中国国鉄東方紅3型ディーゼル機関車 救助網を装備した初期の路面電車(復元) カウキャッチャー(cowcatcher)とは、鉄道車両の前部に付けられる牛避けの犂(すき)状の部品。排障器の一種。 蒸気機関車やディーゼル機関車などの前面下部に付けられることがある、牛などをできるだけ傷つけずに、すくうように受け止めて、左右に跳ね飛ばすための犂またはバンパー状の金属部品である。受け止めるという意味の「キャッチャー」という名が付いているが、実際の用途はむしろ逆である。 もともとは、19世紀のアメリカ西部の蒸気機関車に多く装着されていた。明治時代の北海道開拓で使用された有名な蒸気機関車である義経号や弁慶号も、当時のアメリカの機関車をそのまま輸入したため、これを装着している。 原野を走る区間が長いアメリカ

    カウキャッチャー (鉄道) - Wikipedia
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    goldhead 2014/02/18
    機関車の先頭についてるアレ。
  • 第101建設隊 - Wikipedia

    第101建設隊(だい101けんせつたい、JGSDF 101st Railway Construction Unit)は、陸上自衛隊で唯一の鉄道部隊である。 1960年2月17日に編成され、1966年4月1日に廃止された。 概要[編集] 発足当初の隊員数は約120名で、建設隊の目的には鉄道連隊とは異なり、外地での活動は含まれていなかった。主目的は、災害などで被害を受けた鉄道の復旧や自衛隊の補給任務であり、また、国鉄のストライキ時の輸送の確保、日領土内が戦場となった際の国民への料輸送であった[1]。 経緯・実績[編集] 昭和30年代までの日は道路網が未発達であったが、交通輸送手段としては日国有鉄道(国鉄)の路線が全国津々浦々に展開しており、有事の際にはこれに依存し最大限活用しなければならなかった。しかし、当時国鉄においては労働運動が活発で、労働争議(ストライキ)が頻発しており、事態を

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    goldhead 2014/02/04
    "1960年2月17日に編成された陸上自衛隊で唯一の鉄道部隊であった。1966年4月1日に廃止された。"
  • 通勤五方面作戦 - Wikipedia

    通勤五方面作戦(つうきんごほうめんさくせん)とは、1965年(昭和40年)に日国有鉄道(国鉄)がそれまで東海道新幹線などの幹線系路線の建設や輸送力増強に重点が置かれ予算が圧迫されて遅れをとっていた、都市間旅客輸送、長距離貨物輸送、大都市通勤輸送力増強を一気に遂行するように策定した、同年度を初年度とする1971年(昭和46年)度までの7年間にわたる第三次長期計画のうち、大都市通勤輸送力増強、特に、首都圏の国鉄路線の中で、東京都心への輸送を担っている東海道線・横須賀線、中央線、東北線・高崎線、常磐線、総武線、これら各路線を複々線化するなどして抜的な輸送力増強策を計画・実行を目指したプロジェクトの通称である。「通勤五方面作戦」と呼ばれる所以は、各線が東京南西から時計回りに放射状に5方面へ延びていることからであり、別名「東京通勤五方面作戦」ともいわれる[1][2]。 第二次世界大戦後の

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    goldhead 2014/01/16
    こんな作戦があったのか。
  • 武蔵白石駅 - Wikipedia

    当駅は川崎市内にあるが、JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅として扱われる。 大川支線の始点・分岐駅で、駅の南側で大川駅へ向かう路線が分かれて行く。かつては大川支線ホームがあったが、現在は無く、隣の安善駅が運転上の分岐駅となっており、当駅には停車しない。しかし、運賃計算上の分岐は当駅となっているため、鶴見方面から大川までの定期券でそのまま当駅で乗降可能である。#旧大川支線ホーム及び鶴見線#大川支線の項も参照のこと。 1926年(大正15年)3月10日:鶴見臨港鉄道浜川崎駅 - 弁天橋駅間開通時に、武蔵白石駅(初代・貨物駅)が開設[1]。 1930年(昭和5年)11月15日:武蔵白石駅(初代)の廃止届を提出[1]。 1931年(昭和6年)7月25日:武蔵白石停留場が開設(旅客営業のみ)[1]。 1936年(昭和11年)3月17日:駅への昇格が認可され、武蔵白石駅(2代目)となる。

    武蔵白石駅 - Wikipedia
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    goldhead 2013/07/09
    武蔵の名のつく駅は県内に5つ……!
  • 京浜急行電鉄 - Wikipedia

    ^ 当時の東京急行電鉄から分離する形で、新設の当社が陸上交通事業調整法による合併前の旧京浜線を引き継いだ。なお、当社鉄道事業を創業した会社の設立(創立)は1898年(明治31年)2月15日(大師電気鉄道株式会社)。 京浜急行電鉄株式会社(けいひんきゅうこうでんてつ、英: Keikyu Corporation[2])は、神奈川県横浜市に社を置く鉄道会社である。略称は「京急」(けいきゅう)、「京急電鉄」(けいきゅうでんてつ)。日の大手私鉄の一つで、東京都区部南部から神奈川県東部の三浦半島にかけて5つの鉄道路線を運営している[3]。東京証券取引所プライム市場に上場し、大手私鉄では東武鉄道と共に芙蓉グループ(みずほ銀行〈旧:富士銀行〉の融資系列)を構成する企業の一つで[4]、京急グループの中核企業[5]である。 東京都区部南部から、羽田空港や、神奈川県川崎市、横浜市を経て三浦半島へ至る鉄道路線

    京浜急行電鉄 - Wikipedia
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    goldhead 2013/05/23
    "京浜急行発祥の地記念碑(川崎大師駅)"というのがあるのか。
  • 喜連瓜破駅 - Wikipedia

    1980年(昭和55年)11月27日:谷町線天王寺 - 八尾南間延伸時に開業する。 2005年(平成17年)2月1日:ICカード「PiTaPa」の利用を開始する。 2006年(平成18年)11月30日:駅構内の壁面工事が完了する。 2008年(平成20年)6月30日:駅の防火工事が完了する。 2018年(平成30年)4月1日:大阪市交通局の民営化により、大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の駅となる。 工事期間中の仮称駅名は喜連駅(きれえき)だったが、当駅が喜連と瓜破の町界(駅北側が平野区喜連2丁目、駅南側が平野区瓜破2丁目)にあたることから瓜破側住人が反発。両者の境が摂津国(旧喜連村)と河内国(旧瓜破村)の国境であること、喜連も瓜破も古くからの由緒ある地名であること[1]も相まって議論は平行線を辿り、結局、『喜連』と『瓜破』を一緒にしてこのような駅名となった。なお、この両町名

    喜連瓜破駅 - Wikipedia
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    goldhead 2012/09/13
    難読アンド難読やな。
  • 発寒駅 - Wikipedia

    発寒駅(はっさむえき)は、北海道札幌市西区発寒9条13丁目にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館線の駅である。駅番号はS05。電報略号はサム。 歴史[編集] もともと、この地一帯は牧場や畑が広がっていた。函館線開通後昭和後期まで、手稲・琴似駅間には駅が無く、両駅は遠く離れていることから、不便を感じた当時の地主が土地を提供し発寒駅が開設された、という話が駅南口の「発寒駅開設記念碑」に記されている[1]。またその土地(牧場)の跡地は、駅南側にある札幌市立西小学校の東隣にある。 年表[編集] 1986年(昭和61年)11月1日:日国有鉄道の駅として開業[新聞 1]。旅客のみ取扱い[新聞 3]。駅業務は、日交通観光社(旅の日交観)が受託。[要出典]1日上り93・下り86の全ての普通列車が停車[2]。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道

    発寒駅 - Wikipedia
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    goldhead 2012/08/24
    思ってたより大きい。>"駅番号はS05。電報略号はサム。"
  • 後三年駅 - Wikipedia

    旧駅舎(2005年9月) 1921年(大正10年)12月12日:鉄道省奥羽線横手駅 - 飯詰駅間に新設[1]。 当初は仙北郡飯詰村に所在。 1976年(昭和51年)4月1日:貨物・荷物扱い廃止[3]、無人化[2]。 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR東日の駅となる。当時は簡易委託駅であった[4]。 2012年(平成24年) 12月22日:新駅舎の使用を開始[5][6]。 12月24日:オープニングセレモニーを開催[5][6]。 2024年(令和6年)10月1日:えきねっとQチケのサービスを開始[7]。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線を有する列車交換・待避・折返し可能な地上駅である。両ホームは跨線橋で連絡している。 横手駅管理の無人駅である。2012年(平成24年)4月20日に、JR東日は2013年(平成25年)に開催される秋田デスティネー

    後三年駅 - Wikipedia
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    goldhead 2012/01/20
    "駅名の由来は、一帯が後三年の役の古戦場であったことから"
  • 信濃川発電所 - Wikipedia

    信濃川発電所(しなのがわはつでんしょ)は、新潟県の信濃川流域に位置する東日旅客鉄道(JR東日)が所有する水力発電所である。管理業務は同社エネルギー企画部の管轄下にある。 千手(せんじゅ)・小千谷(おぢや)・新小千谷(しんおぢや)の3つの発電所の総称である。合計最大出力は44万9,000キロワットで、JR東日で消費する電力量の4分の1に当たるが[1]、JR東日信濃川発電所の不正取水問題の発覚により、2009年2月13日から2010年6月9日まで発電が停止された。 1919年(大正8年)に出された「国有鉄道運輸二関シ石炭ノ節約ヲ図ルノ件(鉄道運輸に関する石炭の消費量を節約せよ)」と云う議案により整備が開始された[2]。 構成[編集] 千手発電所 1939年(昭和14年)に運用を開始した水力発電所。信濃川に建設した宮中取水ダム(みやなかしゅすいダム)左岸の宮中取水口より取り入れた水は、浅

    信濃川発電所 - Wikipedia
    goldhead
    goldhead 2011/06/24
    この水利権に関する不正・隠蔽なんてのは、それこそGO TO JAILじゃねえかと思うのだけれども。
  • 東京都交通局日暮里・舎人ライナー - Wikipedia

    日暮里・舎人ライナー(にっぽり・とねりライナー)は、東京都荒川区の日暮里駅から足立区の見沼代親水公園駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する案内軌条式鉄道(AGT)である。駅ナンバリングで使われる路線記号はNT[4]。 概要[編集] コンピュータ制御による自動運転を行う新交通システムで、東京都区部北東部の9.7 km、13駅を結んでいる[5]。東京都電車(都電)や東京都地下高速電車(都営地下鉄)と同じ都営交通の一つで、分類上は「東京都日暮里・舎人ライナー」、路線名は「日暮里・舎人ライナー」である。これは法令上の正式な路線名であり、愛称などではない。都の軌道事業管理者(交通局長)の分掌の下、都電、都営地下鉄と同じく交通局が担当している。「東京都日暮里・舎人ライナー条例[6]」に基づき運営されており、東京都が経営するAGTは路線の1路線のみである。 なお、都市計画事業としての名称は、東京都市計画

    東京都交通局日暮里・舎人ライナー - Wikipedia
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