このサイトについて コネタ965 ▲トップに戻る コネタバックナンバーへ オモテ ウラ 個人情報保護ポリシー © DailyPortalZ Inc. All Rights Reserved.
2017.06.14 知ったかぶり対談 第二回:愛知県鬼まんが愛知県から出られない理由 デイリーポータルZがいろいろな場所で取材してきた記事を読むことで、その県の出身者に負けないくらい知ったかぶりできるんじゃないか。それが知ったかぶり対談です。 第二回目は愛知県。出身者は、ゴスペラーズ酒井さん、インタビューはデイリーポータルZ編集部安藤が担当します。 実は二人とも愛知県出身です 酒井さんは愛知県の刈谷市出身ですよね。僕も愛知県の大府市出身なので「知ったかぶり」というか二人とも知っていて当たり前なのかもしれないですが、今日はわれらが愛知県について話をさせてください。いきなり狭い話で恐縮ですが、僕が育った大府市からすると、刈谷市といえば大都会のイメージでして。 まじすか!確かに僕は刈谷出身ですが、大都会、、ですか? 大府市民にとって休みの日に買い物に行くとなると刈谷でしたから。主にカーマホーム
昨日に続いて、名古屋でのコネタハンティングのようすを振り返ります。 すでになにがコネタでなにがコネタでないのかわからなくなっていますが、炎天下の街をコネタ求めてさまよって得た情報をお楽しみください。 きっとエキサイトチームはすごいコネタをゲットしているに違いない、焦る気持ちが早足にさせますが汗でズボンがくっついちゃってうまく歩けませんでした。 さあ、コネタの神さまはデイリーポータルZにほほえんだのか。というか、そんな神さまはいたのか。 (text by 古賀 及子,林 雄司) 林:きのうの続きの名古屋コネタ対決ですが、昨日見てない人はとりあえずこちらを見てください。 古賀:今日もよろしくお願いします。大島いかがでしたか(林は月曜午後から火曜朝まで大島に取材に行っていた)。 林:大島は、大きいだけじゃないな、と思いました。また住さんとホモ旅行ですが。 古賀:……。木曜日の特集が楽しみです。
「ねた~、なんかおもしろいものはないか~。」 1日歩き回ったらいくつのコネタを探すことができるんだろう? 炎天下の名古屋を舞台にデイリーポータルZとエキサイトbit が競いました。ゲットしたコネタは今日からお互いのコネタのコーナーで毎日1本ずつ紹介しているのでぜひ見てください。 そして今日と明日の特集はそのコネタハンティングのようすと、あまりにもコネタ感あふれるコネタをどかっと紹介しちゃいます。これを読めばあなたもコネタ目線になること間違いなしです。 (text by 古賀 及子) 林:BBフェスタで名古屋に行くついでになんか企画ができないかと思ってまして、コネタ対決になりました。 古賀:デイリーポータルは常に「ついで」ですからね 林:交通費が出ませんから。 古賀:エキサイトチームにはわざわざ来ていただいたわけですが 林:偉そうに呼び出しました。 古賀:で、こちらが集合時の写真です。 古賀
先日ひさしぶりに名古屋に行った。その際見て回ったのが「名古屋根」だ。 以前から気になっていたこの「名古屋根」。今回改めてじっくり鑑賞してみた結果、「名古屋根」の行き着いた先がアレだったのか!と気がついたので、それをお知らせしたい。
だいすきや!といきなり送られてきたメッセージには写真が添付されていた。送ってきたのは30過ぎの男性で、受け取った僕は27。ラブレターというには余りにも似つかわしくない人物、内容。 何を言っているんだと思って写真を開くと、確かに大すきや!僕の名字は尾張というのだけれど、尾張大すき屋というお店の写真が送られてきていた。 尾張、という地名は中部地方にたくさんあるし、尾張と屋号の付いたお店も少なくはない。だが、こんなに直接的に大すきと言われる事なんて無い。行ってみたい、尾張が尾張大すき屋に行ってみたい。 (尾張 由晃) 自身は尾張大すきでも無い屋だった と、そうやって尾張大すき屋に向かう事を自分で決めたのだが、僕は尾張という苗字が好きではなかった。 小学校の時転校して、上手く馴染めなかった僕は、「人生終わり」 等と言って良くからかわれた。その内容は全く何も詰まってはいなくて、その言葉ではなく、後ろ
行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、本人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー) 前の記事:なぜ春日井製菓はトナカイ味のグミを作ったのか > 個人サイト むかない安藤 Twitter 愛知にある実家の近所には「まんじゅう屋」があった。僕が小学生の頃の話である。 まんじゅう屋といっても当時は駄菓子をメインに販売していたように思う。お店の奥が工場になっていて、そこでまんじゅうを蒸していたので近所では便宜上「まんじゅう屋」と呼ばれていたのだ。蒸したまんじゅうは、たぶんどこかへ卸していたのだろう、お店では売られていなかった。 僕たちはよくまんじゅう屋で駄菓子だとか消しゴムだとかジャンプだとかを買っていた。 まんじゅう屋には「まんじゅう屋のおねえさん」がいて、当時たぶん20代の後半くらいだったと思うんだけれど、毎日お店を手伝っていた。蒸し
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く