実家のパン屋が厳しい経営状態に 田村陽至さんは広島市にある創業約70年のパン屋「ドリアン」の3代目だ。父は、典型的な街のパン屋だった。店には、食パンやフランスパン、菓子パン、総菜パン、サンドイッチなどたくさんの種類のパンが所狭しと並んでいたという。 でも田村さんはそんなパン屋を継ぐのが嫌だった。売れるために焼きそばもたこ焼きも入れ、その流行が去れば次の流行に飛び移る。そんな「なんでもあり」の日本のパンが軽薄に見えて、好きではなかったのだ。田村さんは東京の大学で環境学を学んだ後、沖縄の環境NPOやモンゴルのエコツアーの仕事をするようになった。だがバブル崩壊で、実家のパン屋は厳しい経営状況に陥ってしまう。 一時帰国した田村さんに、両親は「従業員には全員やめてもらい、2人だけで店を続けて借金を返していこうと思うんじゃ」と告げた。 いくらなんでも、それは現実的じゃないだろう……。そう思った田村さん
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