日本人の「やらかい場所」 現代、特に最近は自由主義経済で生存を支えているから、誰もがリバタリアンなんだろうけど、なぜか日本人としていかに共同体を重視しているか語ることが避けられている。この奇妙さはなんだろうかと思う。 なんというか、心の中のやらかい部分をさわられるのを嫌がるように、見事に無意識に見ないようにする。これってほんと何だろうかと思う。自らの本心を除くのが怖いのだろうか。たとえば、父母のこと、子供のことのこと、生まれ育った場所のこと。その部分を哲学思想と繋げることへの強い拒絶反応。 サンデルのいらだち 仏教伝来から、日本人は外来文化にカブレながら、絶対に共同体的なやらかい部分はさわらせなかった。むしろ仏教を共同体的な部分に近づけ改良した、といわれる。西洋哲学にしても同じなんだろうね。日本人の思想議論のなんか嘘くさいさ。どこか小演劇で小芝居している。絶対に外来文化に心開かない日本人。