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ブックマーク / koheko.hatenadiary.org (2)

  • 「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ

    「当事者性」みたいな視点から議論すると,今回の民主党や公明党のマニフェストを「ばらまき」であるとして批判する人とかは,「金持ってんだろうなー」とか思ってしまうわけです。実際に保育や教育において苦労している人はなかなかそういう発想になれない。 心のどこかで,「持っている人」がいるから,自分たちは「持たざる人」のままなんだという気持ちがあるのかもしれませんね。持っている人たちは「自分は努力したからこそ持ってるんだ」と思うかもしれませんが,じゃあ持たざる人たちが「自分は努力が足らなかったから持ってないんだ」と思えるかというとこれはなかなか難しくて,何せ「努力」ということで言うと,持たざる人ってある意味で努力せざるをえない環境にありますからね。 少なくとも,例えば現在30歳の「持たざる人」が,同世代の持っている人と自分を比較して,「自分はあの人に比べて努力が足らなかったから持っていないんだ」と確信

    「持っている人」は「持たざる人」の気持ちはなかなか理解できないと思う(追記あり) - 諏訪耕平の研究メモ
    gruza03
    gruza03 2009/07/26
    「ばらまき」批判・・・なかなか理解できないと思う。
  • 居場所と自己責任論 - 諏訪耕平の研究メモ

    居場所の問題は当に自己責任論に帰されやすい。ある人がある集団の中でいつになってもパフォーマンスを発揮できないでいることに対し,周囲の人々は,「やれることはやった。あとは人の問題」というようなことを平気で言う。それはある面真実だろうが,人が居場所を獲得できないでいるという状況を「やれることはやった」などと言うことは僕にはできない。それと,その人に対する評価は結局その集団の持つ空気に従って行われているので,その点においても,ある人が居場所を獲得できないのは自己責任だけではないはずだ。その人をみんなして追い出そうなどと考えているならその方略は非常に効果的であると言えるが,「みんながあの人が居場所を獲得することを望んでいるのに,人がやる気を出してくれないことにはどうしようもない」などという考え方に支配されてしまっている場合は,ある人の居場所の構成要素においては人だけでなく周囲も相当な割合

    居場所と自己責任論 - 諏訪耕平の研究メモ
    gruza03
    gruza03 2008/10/22
    木と森 自己と自我 自由と欲求の担保
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