タグ

2007年5月31日のブックマーク (5件)

  • https://freecommander.com/

  • Welcome to Vizacc

    gugugonta
    gugugonta 2007/05/31
    Help Authoring Tool. with IconMaker,Image Maker,ButtonMaker,SHG and Map Editor,Image Exchange.
  • 著作権がイノベーションを阻害する - 池田信夫 blog

    きのうの話はかなり込み入っているので、少し問題を整理して補足しておく。今回の判決は、日の判例の流れの中では、それほど異例ではない。しかし問題は、法律を普通に(判例に沿って)解釈すると、こういう常識はずれの結論が出るということだ。こういうときは法律論ではなく、政策目標に立ち返って考える必要がある。 著作権を与える理由は、松零士氏や三田誠広氏が錯覚しているように、芸術家に特権を与えるためではない。工芸品や宝石などにも「名匠」とよばれる人がいるが、彼らの芸術的価値は著作権で守られない。その価値は、作品を売ることで回収できるからだ。著作物についてだけ、買った後も複製を禁止する排他的ライセンス権を与えるのは、買い手が情報を自由に複製すると、競争的な価格が複製の限界費用(≒0)に均等化し、著作者が情報生産に投資するインセンティブがなくなるからだ。 他方、対価を払って買った商品(私有財産)を複製

  • Passion For The Future: 誤解された仏教

    誤解された仏教 スポンサード リンク ・誤解された仏教 来の仏教は霊魂の存在をはっきり否定している。 「肉体はなくなっても、霊魂は残る。祭りを怠ると、その先祖が祟る。ーーーーーーーなどというのは、まったく仏教とは何の関わりもない話である。事実、長いあいだインドの仏教では、死者儀礼とは何の関わりももたなかった。」 「死者の祟りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで仏教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。」 霊魂がないのだから祟るわけがない。あの世もない。来の仏教では死んだら終りなのである。生まれ変わりということもない。そもそも輪廻というのは解脱すべきものであって、転生は永劫の生き死にを繰り返す苦しいイメージなのだ。 これは仏教=無神論・無

  • 対象が限定されればそれで良し、というのは厨房の反応だ - ものがたり(旧)

    Winny事件の時も、今回のMYUTA事件の時も、同じような反応がネットでは散見される。最初にまず「この判決では無限定に過ぎる」という批判的な意見が、あまり深い洞察を伴わずに一人歩きし、やがて判決文が出て、そんなに無限定ではなくて、いくつもの条件に合致しているから著作権侵害だって言っているじゃないか、だから妥当だ、というような類の反応である。 見当違いも甚だしい。 問題は、権利侵害扱いが無限定であるか否かではなく、限定条件が妥当であるかどうかだ。無限定に違法扱いすることは当然ながら問題があるが、特定の条件に合致するものだけを違法扱いすれば直ちにOK、ということは全くない。その条件が適切なものであるか否かが問われるべきなのである。そんなことを言っていると、最後にナチスに逮捕されてしまうだろう*1。 判決文が出てから「この判決には問題がある」というコメントを取り下げた人々がそれなりに居るけど、

    対象が限定されればそれで良し、というのは厨房の反応だ - ものがたり(旧)