建築基準法等に基づく許可・認定については、郵送による申請等は受け付けておりません。 申請や相談などで来庁する必要がある場合は、来庁者の間隔を確保するため、事前に電話(044-200-3007)で予約を行い、来庁するようお願いいたします。 問合せ先:まちづくり局指導部建築指導課(川崎区宮本町1番地 川崎市役所本庁舎18階) 時間:午前8時30分~午前12時、午後1時~午後5時15分 休日:土曜、日曜、祝日
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3か月前、来訪した新聞の勧誘員に「いつでも解約できる」と言われ、新聞購読の契約をした。すぐに購読が始まり、2か月後に「解約をしたい」と販売店に連絡をすると「クーリング・オフ期間は過ぎている。6か月の契約期間が終わらないと解約できない」と言われた。生活が苦しいので解約したい。 パソコンやスマートフォンの普及により、新聞離れが著しいと言われていますが、訪問販売による新聞購読契約のトラブルは、高齢者から若者まで後を絶ちません。中でも、来訪時に新聞の勧誘であることを言わない、また、別の新聞社の名前を名乗って、強引にドアを開けさせて勧誘することもあり、トラブルの要因となっています。訪問販売で新聞の購読契約をした場合、契約書面を受け取った日から8日間は、理由を問わず、無条件で契約の解除ができます。これは特定商取引法で定められたクーリング・オフ制度です。クーリング・オフは書面または電磁的記録(電子メール
川崎市の水道水源は、4つの湖から供給されています。 遠く相模川上流の相模湖(さがみこ)、津久井湖(つくいこ)。そして酒匂川(さかわがわ)上流の丹沢湖(たんざわこ)。さらに中津川上流の宮ヶ瀬湖(みやがせこ)です。 宮ヶ瀬湖の貯水量は、相模湖、津久井湖、丹沢湖を合わせたよりも多く、約1億8300万m3。芦ノ湖(あしのこ)とほぼ同じ水量を誇っています。湖の広さは東京ドームのほぼ100倍。高さも156メートルあり、全国で第6位です。 ちなみに日本一高いダムは、黒部ダムの186メートルです。 なお、丹沢湖と宮ケ瀬湖は神奈川県広域水道企業団の水源で、川崎市に企業団の浄水場から水が送られてきます。
天照大神を祀る細山(ほそやま)神明社は、言い伝えでは鎌倉時代に祀り始められたといわれています。明治6年(1873)に細山村の村社となり、明治44年には細山村の稲荷社、杉山社、秋葉社、春日社及び金程村の杉山社等が合祀れました。 細山神明社は、関東に三社ある「逆(さか)さ大門(だいもん)」の神社の1つとして広く知られています。『新編武蔵風土記稿』に、「社前一丁余を隔てて鳥居をたつ ここより社前までは下り坂なる故土人これを逆大門とよぶ。尋常の大門は皆坂下より上へ登れるにここのみはかへりて下る故なり」という記述があります。普通、神社は鳥居をくぐって石段を上り社殿に到るように建てられているのですが、神明社の場合は鳥居が丘の上にあって、坂の下に社殿が位置しているため、「逆さ大門」と呼ばれているのです。この逆さ大門の由来については、次のような伝承があります。 当初、この神社を建築したときには社殿は東向き
小田急線鶴川駅で下りて、世田谷町田線を東京側へ少し戻り、岡上跨線橋を渡ると鬱蒼(うっそう)と繁った森の中に東光院があります。 東光院の創建の時期についてはわかっていませんが、江戸時代につくられた『新編武蔵風土記稿』には、「開山開基は詳らかにせずといえど、天正の頃(1573~1592年)までに十一代に及ぶ」と記されています。 当寺には江戸時代に建築された本堂(18世紀頃)、位牌堂(享保3(1718)年)、仁王門(18世紀頃)、庫裏(くり)、書院などの建造物の他、市重要歴史記念物に指定されている木造兜跋毘沙門天立像(とばつびしゃもんてんりゅうぞう)が伝えられています。 兜跋毘沙門天像は多くの場合、西洋風の鎧を身につけ、頭には兜を付け地天の上に立ち、左右に邪鬼を配する姿に造られています。 また、この像の多くは平安時代につくられており、関東では、東光院と南足柄の朝日観音堂だけにしか伝えられていませ
夕方のメロディチャイム(音楽)は、市内の避難所や広域避難場所、急傾斜地、大きな駅の駅前、臨海部などに設置している同報系防災行政無線屋外受信機のスピーカーから放送しています。同報系防災行政無線屋外受信機は、防災上緊急を要する情報等を迅速かつ的確に伝達するための設備であり、定期試験放送として夕方午後5時頃にメロディチャイムの放送を行っています。 放送するメロディは時期によって異なっています。 1月から4月まで 「浜千鳥」 5月から9月まで 「やしの実」 10月から12月まで 「この道」
わが国の土木技術に関しては、古代よりすぐれた文化遺産を遺していますが、一方の石造技術についても古墳の石室や城の石垣等に注目すべきものがたくさんあります。その点で、河原石を適宜に配した縄文時代の配石遺構は、わが国の歴史上に最初に出現した石造記念物といえます。 麻生区片平の公園内に保存されている仲町(なかまち)遺跡もその一つです。 この遺跡は、昭和45年(1970)に発掘調査されたもので、それは半地下式の竪穴(たてあな)の床面(ゆかめん)に扁平な河原石を敷き詰めた住まいの跡でした。その平面形は、直径4mほどをはかる円形の居住部分に菱形の張り出し部(出入り口)がついたもので、平面形が近世の和鏡・柄鏡(えかがみ)に類似しているところから、考古学的には柄鏡形住居跡と呼んでいます。住居がつくられた時期は、発見された土器から判断して、縄文時代中期末の今から4,000年ぐらい前と推測されています。 住居内
サンキューコールかわさき 市政に関するお問い合わせ、ご意見、ご相談 (午前8時から午後9時 年中無休)
麻生区が令和4年7月1日に区制40周年を迎えるに当たり、記念事業として区民の皆さまと一緒に麻生区の歩んできた歴史や思い出を振り返る写真を広く募集しています。このページでは、応募のあった写真を掲載します。
多摩川は、古くから水運に利用されてきました。 川崎においても、第一次世界大戦のによる好景気の中で、足りなくなった工場用地の拡大を図るため、運河・港湾計画が立てられました。 川崎河港水門は、この計画の一環として将来の発展に備えるべく、当時、多摩川改修事務所長であった内務技師金森誠之の設計により、大正15(1926)年11月に着工され、1年半後の昭和3(1928)年3月に完成しました。 この河港水門は、2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、そしてゲートによって構成されています。タワー頭頂部には、籠に溢れんばかりに盛られた、当時の川崎の名産品であった梨・葡萄や桃をあしらった巨大な飾りが施され、また、現在は残っていませんが、タワーをつなぐ梁の側面には、レリーフ状のエジプト形式の舟が描かれており、当時の金額で54万円を掛けて造られました。 その後、運河・港湾計画は、現在の川崎区を対角線に横切る大運河計画
麻生区は、神奈川県の北東部、川崎市の北西部に位置し、東京都稲城市・多摩市・町田市、横浜市青葉区及び市内多摩区・宮前区に接しています。 新百合ケ丘から東京駅まで約25km、川崎駅まで約20kmです。 麻生区の地形は、区の南部の岡上の飛び地との間を流れる鶴見川沿いの部分が海抜20mともっとも低く、北西部が高く黒川の町田市との境が海抜148mと川崎市で最も高い所となっています。 麻生区は多摩丘陵の一部を占め、谷戸川が丘陵の奥深くまで幾筋も入り込んだ高台と低地、丘陵と谷戸といったように地形的変化の大きいところであり、小田急線を中心としたクラスター(ぶどうの房)状に地形的に特徴のある地区の分布が見られます。また、区全体が尾根線によって囲まれており、地形的にも景観的にも他の地域から独立した地域を形成しています。
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