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ブックマーク / yamaiga.com (27)

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側) 

    【第3攻略区】 起点:鉄塔下(←現在地) 終点:柄沢尾根 全長:2.0km 高低差:170m ひきつづき、約12kmある廃道区間全体から見れば序盤である。 この区間も全線にわたって登川の谷に面しているが、さらに比高を広げ続け、柄沢尾根上の海抜1050m地点に至る。 区間の前半は、「第3の九十九折り」と呼ぶべき大スパンのヘアピンカーブ2連で構成され、JRの所有する2系統の送電線を繰り返し潜る。 「鉄塔上」(3.4km)を経て区間の中盤となり、等高線の密な斜面を東進する。そして、柄沢岳が登川に落とす急峻なガリーに達する。 ガリーを横断して進行方向を南南東に変えて、再び急傾斜の斜面をしばらく進むと、区間の終点「柄沢尾根」(4.6km)に至る。 2007/10/7 9:46 鉄塔下 廃道を歩き始めて3時間を経過。 最初の九十九折りで極端に時間を要した他は、まあ路面状況も想定の範囲内であった。 しか

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    gui1 2024/04/20
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側) 

    【第2攻略区】 起点:追分(下分岐) 終点:鉄塔下 全長:2.4km 高低差:140m 清水国道の廃道区間約12kmの冒頭を占める区間だ。 ここを踏破すると、ちょうど全体の五分の一ということになる。 地図上から想定されるルートの概要。 まず序盤、4つの切り返しからなる第1の九十九折りから始まる。ここで一気に70mの高度差を詰める。 そこから緩やかに上りながら東進し、東屋沢を渡る。この沢は、地形図に水線が描かれていないのでさほどの水量ではないだろうが、幅の広い沢の中央部に凸部が描かれていて、やはり太古の氷河地形を感じさせる。 東屋沢を渡った後、海抜800~850mの山腹急斜面に沿って南東に進み、スタートから2.4km地点にてJR送電線の直下に達し、区間を区切る。 2007/10/7 6:50 追分。 第一次探索でもこの国道の入口を見てはいたが、実際に少しでも踏み込むのは、これが初めて。 近く

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    gui1 2024/04/20
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側) 

    2007/10/7 6:00 《現在地》 清水峠の北の口である清水集落は、六日町の市街地から登川伝いに約13kmほど南下した位置にある。 魚野川沿いの盆地にある六日町(現:南魚沼市)の海抜は約150m~200mだが、清水の集落(旧:塩沢村、現:南魚沼市)は既に600mの高所である。 清水峠にとって唯一の晴れの舞台となった明治18年9月7日の開通式の御列は、式典の後この清水集落にて止宿している。 (同行の土木局長・三島通庸も、この集落のどこかで寝たのだろう…) これから私とくじ氏は、122年前にこの騎馬車一行が通った道を逆に辿って、峠を目指すこととなる。 清水峠は海抜1448m。 彼我の距離は直線(平面上)にて約7km、国道経由(我々のルート)で地図読み約16km、最も一般的な登山ルートである居坪坂経由で約10km、戦国武将が駆け抜けた最古の謙信尾根ルートは約8kmである。 それぞれが運転す

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    gui1 2024/04/20
  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側 

    おそらく、日でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

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    gui1 2024/04/20
  • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路 (県道中塩原板室那須線) その1

    塩那道路を走りたい。 それは、私の長年の夢であった。 私には、全国に幾つも、そんな道がある。 生涯で、一度は走りたい道。 これまでの山チャリ人生十数年間で、そのうちの幾つかは、幸運にも走ることが出来た。 例えば「仙岩峠」に「万世大路」、それに「大峠」などだ。 そしてまた、夢の一つの実現を懸け、私は旅立った。 ターゲットは、東京から北に175kmの地。 走り慣れた東北地方を離れ、関東の北端、栃木県は塩原町。 今回の同行者は、千葉県より参戦のゆーじ氏(サイト『銀の森牧場』)ひとり。 彼とは、丸一年以上もこの計画を温め合ってきた仲だった。 彼もまた、塩那に取り憑かれた男の、一人だ。 2005年10月9日早朝、まだ日の明くる前の道の駅「塩原」に、二人の姿はあった。 残念なことに、天候は雨。 前日夕方に当地に集合した我々は、近くのファミリーレストランで対顔を祝うと共に、今回の計画の成功を誓い合った。

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    gui1 2021/07/20
  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧三原山ドライブウェイ

    2016/2/6 14:57 《現在地》 ここからは、全長4.1kmだった「三原山ドライブウェイ」の後半戦にあたる行程だ。 目指すは1.8km先の御神火茶屋、この道の“当の終点”である。 写真は、再出発直後に振り返って撮った。 道は行き止まりに向かって真っ逆さまの急下りだが、傍らの古ぼけた道路標識には、左カーブが予告されていた。 …予告してくれたけど、その部分はもうなくなってしまったんだよ…。 そんな風に教えてあげたくなる。 “実在しない”カーブの標識を撤去せずそのままにしていることは、道路管理上の怠惰だが、遺構的にはGJ! 地の底から甦った上り坂は、再び地に呑まれることを怖れるように、一目散で上り続けた。 自転車の私のことなんて、少しもいたわる気配はない。 もとは自動車専用道路なんだから、当然か。 その一方で、道幅は不自然なほどに広かった。 たった2日間の伊豆大島での道路体験ではあった

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    gui1 2021/04/01
  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧三原山ドライブウェイ

    2016/2/6 14:35 《現在地》 分岐から1.5kmの地点で突如鋪装が綺麗になったと思ったら、直後に道は不思議かつ不自然な状況になっていた。 写真では分かりづらいと思うが、前方30mほどの地点で上下線が左右に分かれており、その先は方向転換のためのループカーブになっている。 このことで、分岐地点の青看に行き先として表示されていた「割れ目火口」に到着したのだと分かった。 旧ドライブウェイは噴火活動により寸断され、今なお自動車の通れる道としては復旧されないままになっているのだろう。 だが、実際にはこの折角のループカーブも通行する事出来ない。 なぜなら、向かって右側の道は、大量の瓦礫のようなもので封鎖されていた。 ところで、この“終点”の直前には、小さな建物が二つ、道に面して建っていた。 いずれの建物もコンクリート製である。 噴火以前の航空写真には見あたらないので、ここが“終点”となった際

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    gui1 2021/04/01
  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧三原山ドライブウェイ

    2016/2/6 14:16 《現在地》 それでは題の旧「三原山ドライブウェイ」へと進行しよう。 もし何事も無く全線を通行できれば、約4.1kmで三原山外輪山上の御神火(ごじんか)茶屋に到達するはずだが、手元の地図では、ここから1.6kmの地点で道は歩道を示す破線に変わり、その破線が450mほど続いた後で、何事も無かったかのように再び広い車道に戻っている。そして、破線区間の脇には「割れ目噴火口跡」との注記がある。 つまり、この0.4km強の区間が、昭和61(1986)年11月に発生した三原山の噴火に伴い廃止されたものであろう。 火山噴火で生じた廃道というのはこれまで経験が無いので、どんな状況が待っているのか楽しみである。 いざ進入と思ったが、入口をバリケードが塞いでいた。 傍らに設置されている観光客向けの案内板には、割れ目噴火口跡まで普通にクルマで行けそうに描かれていたが、少なくともこの

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    gui1 2021/04/01
  • 【山さ行がねが】道路レポート 旧三原山ドライブウェイ

    “島さ行がねが”シリーズの次なる舞台は、大島へ。 私に島の楽しさを教えるためにあつらえられたかのような絶妙さで、東京の沖合に浮かぶ個性豊かな多数の島々からなる伊豆諸島。 このうち大島、またの名を伊豆大島は、同諸島中最大の面積と最大の人口を有する土に最も近い島である。伊豆半島との最短距離は22kmほどで、東京港から約100kmの南方海上に浮かぶ。 島には観光名所が豊富にあり、海路・空路とも便数は潤沢であるから、同諸島中では圧倒的に訪れやすい。 長径15km、短径9kmの南北に細長い楕円形の島は面積91㎢で、中央に聳える複式成層火山の三原山(標高758m)が営々と形成した、我が国の中でも活発な活動を続ける火山島のひとつである。 直近では昭和61(1986)年11月に大規模な噴火が発生し、当時の全島民約1万人が1ヶ月にわたって島外避難を余儀なくされた出来事は、ブラウン管に写し出された鮮明な噴火

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    gui1 2021/04/01
  • 【山さ行がねが】道路レポート  

    2008/2/25 13:30 約100分間の東海道線旧線の廃線跡探索を終え、再び国道150号の旧道である県道416号に戻ってきた。 そこには、路肩に乗り捨てられた私のチャリが待っていた。道の対面にあるのは、廃線マニアを当て込んでいるのかは分からないが、時間極100円の駐車場。 それではここから再び道路レポの再開だ。 再出発から間を置くことなく、すぐにこの大崩海岸における道路マニアにとってのハイライトが現れる。「石部海上橋」とその旧道である。 これより挑まん! 希有なる海上橋が待つ、 旧道踏破の最終難関へ! まずは、前衛。 石部隧道。 気の利いた銘板の代わりに、落石の危険を知らせる黄色い回転灯だけがポツンと取り付けられた坑口から、薄暗い洞門の中に入る。 すぐ間近に海がある割に、洞内の空気は乾ききっている。 その冷たい空気からは、微かに、土埃と排気ガスの混ざったような臭いがした。 それは、

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    gui1 2021/03/16
  • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道

    2009/1/25 7:34 “渡らずの橋”と呼ばれる「第六水窪川橋梁」には、途中まで工事が進められながら、土砂災害により放棄された未成の旧線が存在していた。 南から北へこの3~400mほどの旧線跡を辿ろうとしている私は、やがて蒼とした杉林の中で致命的崩壊の現場となった「向皆外隧道」の南口に接触。 辛うじて開口している状態ではあったが、余りに禍々しさに進入を躊躇った私は、先にこの旧線の全貌を確かめることにした。 しかし、隧道を掘るほどの急斜面である。 山腹をへつって先へ進むことはすぐに出来なくなった。 やむなく一旦、眼下の水窪川の水際に下ることにする。 目線の高さに、対岸へと迂回した現在線が見えた。 杉の木立に身体を預けながら半ばまで下ると、傾斜がいくらか緩くなった。 そこは古い崖錐と思しき、苔生した岩礫混じりの安定斜面だ。 この場所が崩壊地形だということを思い知らされる地形だ。 そして

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    gui1 2020/12/05
  • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 向皆外隧道

    【周辺図】 JR飯田線の向市場駅と城西駅の間には、“世にも珍しい”橋が架かっているという。 その名も「第六水窪川橋梁」。 しかしこれ、“珍形式”の橋かと言えばそうではなく、よくあるディックガーダー(上路プレートガーダー)らしい。 それが15連も連なっていて全長は400.7mあると言うから、山中の橋としてはかなり長いのだが、その理由が“珍”なのである。 この橋が変わっているのは、地形図で見て一目瞭然であるとおり、水窪川を渡るように見せかけてそのまま戻って来るという“珍線形”だ。 一名、「渡らずの鉄橋」というそうだ。 道路橋でもたまにこういう線形を見ることがあるが、なるほど鉄道では初めて見るかもしれない。 そしてこの“珍線形鉄橋”(←この言葉10回言ってみれ)にも、その建設に関わる旧線が放棄されているとの情報を読者さんから頂いていた私は、前回の「第一久頭合隧道」解決後、すぐこの場所へ向かうこと

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    gui1 2020/12/05
  • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

    2008/1/3 7:55 《現在地》 真新しい歩道に“囚われ”、遂に海抜500m超の湖を俯瞰する山の上まで来てしまった。 この登りには50分を要しており、今日一日をこの探索だけで終えるつもりなど無い私にとって、出鼻を挫かれる迂回となった。 だがこの高度は、目指す「村道10号橋」への筋道を明確にする効用はあった。 いまこそ、手間と暇をかけて耕した畑から、達成という果実を収穫するときだ。 7:58 稜線上は左右に湖面を見据えつつ南高北低に推移し、200mほど労せず北上したところで、ここまで登ってきた尾根の北隣となる別の尾根の取り付きに達する。 そこに特に目印のようなものはないし、今度の尾根筋には明確な歩道もつけられていないようだが、それでも尾根上には地界標らしきものが点々と指されていて、よい指針となった。 下りはじめはかなりの急勾配で、落ち葉の斜面で転倒しないように歩くことに注意を要した。

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    gui1 2019/11/04
  • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

    2007/1/10 13:24 《現在地》 県道から厳重なゲートを乗り越えて侵入した村道土山高畑線。 市販の多くの地図はこの道を既成のものであるかのように描いているが、約650mの長い清川トンネルを出た先で、余りに唐突に道は終わっていた。 ゲートから数えて1.8kmの地点である。 しかし、よく見ると斜面に道は続いている。 それは、これまでのような車道ではなく、人が一人ずつようやく通れるような小径。 だが、道がある限り行くより無い。 記憶の中の”辿り着く術のない橋”は ─きっとこの先にある! この小径の幅は50cmほど。 雑木林の急斜面の土の地表を削って、なんとか道の体裁としている。 路面はゴツゴツしているわけではなく滑らかな傾斜で、そこはチャリに乗って進むことも不可能ではないように思われ…実際、それは楽しそうであり、“MTB乗り”として当然の誘惑に駆られるのだが…、 すんでの所で私は自分の

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    gui1 2019/11/04
  • 【山さ行がねが】道路レポート 清川村道土山高畑線

    <周辺地図> 首都圏を代表する水瓶の一つ、宮ヶ瀬ダム。 神奈川県の中北部、丹沢山系の麓に県内最大級の貯水池「宮ヶ瀬湖」が湛水を開始したのは、平成10年のことである。 都心からわずか50kmという好立地に加え、豊富な自然が色濃く残っていることから、現在では「ダム湖百選」にも選ばれる一大レクリエーションゾーンになっているのだが、この巨大な人造湖の湖畔に通常では辿り着く術のない…“不思議な橋”がある。 そしてこの橋は、観光客や釣り人など湖を訪れる大勢の目に、大変奇異な光景として映っている。 私が“この橋”について興味を持ったのは、かれこれ5年以上も前のことだ。 当時の私は当然秋田に住んでいて、また、20年ほど前まで横浜に住んでいた時分には、この宮ヶ瀬のまだ沈んでいない道を走った事はあった筈だが、ともかく、見ず知らずの「宮ヶ瀬ダム」が興味の対象になる環境ではなかった。 それなのに私が“この橋”につ

    gui1
    gui1 2019/11/04
  • 【山さ行がねが】廃線レポート  

    入口は、県道416号(旧国道)の石部(せきべ)隧道から50mほど焼津側に戻った地点にあった。 これから向かう場所は、私の感覚としてだが、廃線の中で日屈指の有名物件である。 ここ最近の鉄道廃線ブームを考えれば、既に現地は観光地化しているのではないかという懸念を持っていた。 だが幸いにして、廃モノ相手に関係行政も足並みを揃え難かったのか、入口にそれと分かる看板一つ出されてはいなかった。 ただ、この物件との関連性は断定できないものの、なぜか入口の真っ正面に私設の時間極駐車場(1時間100円)が存在する。(当には人家など無い) 付近の駐車スペースとしては、石部隧道の静岡側に10台ほど入る路側駐車スペースがあるが、廃線跡に最も近いのはこの時間極駐車場と言うことになるだろう。 …やはり、相当に訪問者は多いのかも知れない。 今回、探索前に私が事前資料としたのは、廃線ファンにはお馴染みの『鉄道廃線跡を歩

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    gui1 2019/03/05
  • 【山さ行がねが】廃線レポート 奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡

    私を魅惑して止まない日原の壮絶な山道風景。(過去のレポ1,2) しかし、その景色を彩るものは天然の山河ばかりではなかった。 むしろ、彼の地で最大の存在感を有するもの…それは現役石灰石鉱山による、未曾有の地形改変によるものだった。 この地での石灰石採掘は歴史は意外に短い。 少なくとも明治、大正、そして昭和の頭まで、日原地区に埋蔵される6億トン以上といわれる石灰石は眠り続けてきた。 だが、日の近代化と共にコンクリートの需要が爆発的に増え、全山石灰石と言っても過言ではない日原の山々が初めて認知されるに至る。 昭和12年、「奥多摩電気鉄道会社」発足。 同19年、同様の目的で鉄道を開設していた「青梅電気鉄道会社線」の終点御岳から、氷川(現:奥多摩駅)まで延伸が完了。そして開業と同時に国有化となって(→国鉄青梅線)、社名も現社名「奥多摩工業」に改称される。しかし結局、同社は戦前戦中において石灰石の採

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    gui1 2017/05/14
  • 【山さ行がねが】ミニレポート第136回  大庭トンネルの横穴

    読者さんから寄せられた情報をもとに私が突撃調査を敢行する、『読者からの調査指令』シリーズの第一弾。 いくつかのネタ情報を懐に、梅雨の合間となった2008年6月27日に神奈川県中南部へと向かった私が、その第一番目の突撃ポイントとしたのがこの、藤沢市の街中にある大庭トンネルであった。 まずは Nh3526氏 からの情報を、ほぼ原文のままご覧頂こう。 神奈川県藤沢市に「大庭トンネル」というごく普通の隧道があるのですが、北行の隧道内に、左へ分岐してるっぽい穴を見つけました (^_^)v が・・・バリケードが堅くて入れませんでした。また、外側からも狙いましたが、坑口が見つからず・・・・・ そこで是非、山行がに探索していただきたいのです。また、それが何の為の穴なのかも調べて頂けると幸いです。 場所ですが、「辻堂駅」から1Kほど北上した所です。 写真などは添付されておらず、この文章から私はいろいろと想像

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    gui1 2016/12/14
  • 道路レポート 中央自動車道 旧道 

    今回紹介するのは、数多くの道を紹介していた「山行が」でも初めてのジャンルである。 それは、高速道路の廃道である。 そんなものがあるのかと思われるだろうが、確かに高速道路で廃道になった路線はない。 昭和38年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC開通以来、日の高速道路45年の歴史の中で、一度開通した高速道路は今日まで継続的に利用されてきた。(ただし一例のみ、北陸道において一般道路に格下げとなった区間が存在する) 今回採り上げる“高速道路の廃道”とは、線形改良によって生じた部分的廃道である。 一般道路においては線形改良による路線の更新は頻繁で、全国にそれこそ無数に存在しているわけだが、ことさら大がかりな工事と、それ故十分な事前調査を行って産み出される高速道路においては、そういったケースでさえ稀で、私がネット上で調べた限り全国でもわずか2例しかない。 そのうちの一例が、中央自動車道の上野原IC~大月

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    gui1 2015/11/22
  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

    8:28 いよいよ地図の上からは廃道区間も残り少なさそうだ。 だが、景色はそれを感じさせない。 道は相変わらず際どい斜面に、ぎりぎり車一台分の幅だけをもってへばり付いている。 それにしても、関東へ来て一発目の廃道としては出来すぎな感あり。 なんというか、これほど廃道然としていながら、かつ自転車にほぼ乗ったままに走れるという好条件。 ありそうでいて、なかなかこういう道は少ない。まして、なにかの旧道というのでもなく現役の県道なのだから珍しい。 はっきり言って楽しい。 どこへ行っても舗装路は車で溢れている。 それが関東へ来て数日間の感想だったが、ここは例外だ。 ここで振り返ると初めて、“幻のダム”こと沼ダムが、その姿を見せた。 今日は津久井湖の水位が高く、沼ダムはまったくダムとしての用を成していない。堤体の越流水位よりも湖面が高いのだ。 よって、この日の沼ダムはダム湖に架かる不思議な橋か、

    【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線
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    gui1 2015/09/06