【桶狭間の戦い】で、見事に今川義元の首を取った織田信長。 しかし、その勝利は織田家の問題点を強く浮き彫りにしました。 尾張の城が戦国武将としては恥ずかしいほどショボく――籠城戦に耐えられず、他国で野戦(先制攻撃)に出るしか防衛できない――という事情を鮮明にしたのですね。 要は、城が弱い。 安土城のネームバリューから、城に強いコダワリのあるイメージの信長ですが、桶狭間でエポックメイキングを迎えるまでは大したことありませんでした。 では一体いつ頃から城に対する考え方が変わっていったのか。 中世の「館」から戦国の「山城」へ! 今回は清州城から小牧山城への変遷に伴う、織田家の城戦略の進歩に目を向けてみたいと思います。 ※著者は城郭検定保持者の【お城野郎!】がお送りします