僕はもう20年くらいインターネットに触れているんだけど元来集団への帰属意識が薄いもんで俺は俺、他人は他人と思ってやっていたのだけれど、ブログで頓珍漢なことを言っていたフリーアナウンサーがそれが原因でテレビ番組を降板させられたというニュースを聞いていわゆるネットスラングでいうところの「大勝利」という感覚を生まれて初めて覚えたので、「俺はこの件にけっこうよっぽど怒ってたんだなぁ」ってことと「年取ったんだな俺、気をつけよう」ってことを同時に思った。 それで、頓珍漢な人は頓珍漢なのでまぁいいとして「言い方は悪かったが考え方としては間違ってない、一理ある」みたいな評価を一定数見かけて、それに対してなんだかなぁと思っていた。 先日、「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」というタイトルのブログを書いたのだけど*1つまりはそういうことで、結局世の中のたいていの炎上・失言・暴走した正義ってのは
よく出来た言葉ではあるんだけど、なんでもかんでも感動ポルノってことにしてしまうと、そもそもの意味が揺らいできて、かえって批判が容易な言葉になってしまうってのが他の新しい用語と同じような道を辿りそうな気がしてならない。 感動ポルノ批判の最右翼に「だから障害者に配慮する必要なんてないんだ」みたいな言説が出てきてクローズアップされたこともあったように記憶している。そうじゃなくて、「感動に値する存在であるべき」みたいな押しつけをやめてくれろという話でしかないはずなんだよな。 こういった言葉がカジュアルに蔓延すると、当然だけど感動を誘うものは全部感動ポルノみたいな雑な話が出て来るし、批判する側も雑なところを批判して元の言葉を批判した気分になって結局ネガティブイメージしか残らない、ということはよくある。 こういうあまりに分かりやすい言葉は原義とは関係なく字面で汎化されて広まっていくからね。 ただね、そ
2016 - 09 - 07 「あなたたちの言う正論ってホントに正論ですか?」問題 最近 はてブ で、 正論でもなんでもない、自分に都合のよいだけの意見を 「正論だ」とどや顔で書く人が増えてきて非表示化作業が忙しいです。 正論とは、「道理にかなう」正しい理論や主張などのことである。 http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%AD%A3%E8%AB%96:emebed 正論の取り扱い 「正論は嫌われる」とはよく言われる言葉であるが、それに至るまでの理由は実際の所様々である。何にせよ、正論は刃物にも似た非常に危険を伴う物でもあるため、その扱いには非常に注意を要する。 ①主張する人への信頼性の無さ いわゆる「お前が言うな」というやつである。 例え発せられた主張だけは正論であっても、現実では誰が言ったかと言うことも重要視される ため、どんな裏があるか分からないような人間の言
2016 - 09 - 07 「言ってることはわかるがお前のことが気に入らない」を軽視しすぎたらあかんのちゃうかな 読みました。 うーんとね。 言ってることは間違いじゃないと思う。 でもね。この文章読んだあとの読後感を正直に書くと 「はてこさんやkotneiさんのやり方がまずすぎるし、これで人が話を素直に聞いて動くと思ってるならただのバカだろ」です。 もっというと、「最初から対話するつもりなんかなくて、気に入らないやつをバカだと切り捨ててさらし者にしようとしてるんじゃねえの性格悪いなぁ」くらいのことを思いました。 私が正確歪んでるからってのも多分にあるんでしょうが とにかく「読んでて腹立つ記事の書き方だなぁ」と。 確かに「定義上」こういう表現は ヘイトスピーチ にあたるだろうとは思います。だから「たしかにその表現はよくないよ」っていう主張自体はむしろしていくべきかなと。 にした
昨日書いたエントリについては端的にいうと「もっとちゃんとコミュニケーションしないと結局差別的言動は解決しないぜ?」って話をしただけなんだけど、なんか言ってない「名誉白人」みたいな返しがあってもにょっていたら返答エントリみたいなのがあって、そこでもどうもちょっと違うことを言われていた感じになったので念のため。 元より、「漫画に出てくるおっさんの発言」については差別的言動であろうという判断を僕もエントリの中で下している。そもそもタイトルが「コミュニケーションエラーによる差別的言動について」である。で、それを糾弾している人はその言葉がおっさんに強力な差別意識に根ざしていないと我慢できないわけ?って思っちゃうんだけどさ、エントリで指摘したようにあれはカジュアルな差別的言動であり、よくコミュニケーションすることで解決可能な可能性が高いものじゃないのって僕は考えているわけです。つまり、数多くのイラン人
言葉にセンシティブ過ぎるとかえって差別を「あぶり出す」ってことがあると思うんだけど、実際にそこで行われているのは差別ではなかったりするよね。 格差や差別を無視するときにやりがちな言動 - はてこはときどき外に出る たとえば、「日本人以上に日本人」ってのは別に同化させたいという意識の表れではなくて、「場によく馴染んでいるし、俺はお前の事好きだよ」って表明にすぎないじゃないここでの意識って。で、それは受容する側からすると差別と表裏一体の面を持っているのは確かなんだけど、実際にはそこで行われるであろう差別的行動は差別ではなく「俺はよく知らねー奴は嫌いだ」という行動に過ぎないことがほとんどだよね。 この手の差別的な言動のほとんどの原因はコミュニケーションエラーで、それは「よく知らないし、知ろうとしない」ことから起きている。だから「よく知る機会があった」だけで簡単にこちら側になるし、こちら側になった
ここでの「無償の熱意信仰」に対する批判自体は、それなりに正当なものだと思う。 「報酬が出れば、お金目当ての人が来るかもしれない」という一言に見る「無償の熱意信仰」について: 不倒城 んだが、引っかかるのはきちんと対価を払うことが責任を持たせることに繋がる、ということもまた信仰じゃないのかという点。だってさ、金払ってるのに責任感のない輩なんてさんざん見てきているわけで。 だから、ここで言うカネ目当ての人たちってのは、ボランティアというそもそも責任が曖昧なカテゴリの仕事において、報酬があると「意識高い」人が集まってくれないのではなかろうか、という危惧にすぎないんだと思う。で、今の世の中、そんなんで人集まるわけないじゃんwwwwってのが現実なだけだと思う。まある意味コミケスタッフみたいなのが理想形なのかもしれないんだけど、オリンピックとかは負荷高すぎるよね。だから世の中がもっと乗り気じゃないと難
こんにちは、小野ほりでいです。 みなさん、「ダサい」って言われるの怖くないですか?「ダサい」の定義から見なおして、真にダサいのは誰かはっきりしてやりましょう。 <登場人物> エリコちゃん 何も考えずに生きて何も考えずに死んでいく。普通のOL。 ミカ先輩 考えすぎて何もできずに死んでいく、エリコの先輩。 国税庁 内国税の適正かつ公平な賦課及び徴収の実現、酒類業の健全な発達及び税理士業務の適正な運営の確保を図ることを任務とする財務省の外局。 炎上大好き 先輩! 先輩! 炎上案件ですよ~! ほんと!? どこ? どこ? 炎上大好き~! 38歳童貞とデートしたらティファニーのオープンハートをプレゼントされた!! ギャイーーーッ!!!!!! うぅ~…。 ギャッハッハ! また騙された! ひどいわエリコちゃん…。 この案件はダメだと言ったわよね…。 何をそんなに怖がることがあるんですか? 性差…ジェネレー
http://anond.hatelabo.jp/20160713084827 元増田は悪くはないんだけど、いろいろと指摘したくなるので、申し訳ないが書き直してみた。 前提知識この知識を頭に入れてくれないと、誤解しやすい。 生物学上の性(とりあえず遺伝子がXXかXYか)性自認(自分を男性と思うか女性と思うか)性指向(異性を好きか同性を好きか両方か、、、)嗜好(趣味・仕事でやっているのを含む) この知識があると理解が進むのです。 おネェとオカマ生物学上の性が男 and 女性的な格好・言葉づかいをしている この場合、オカマやおネェという言葉が使われる。 オカマは上の意味に加えて侮辱するニュアンスも含まれる。 自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。 (もちろん、仲間内で冗談で使うことはあるが) そのため、メディアで使われることへの反対の意見が強まった。 メディアはオカ
タイトルの属性の違いは一般の人にとってすごくわかりにくいと思う。 自分ではそのつもりはなくても、その言葉を使うことで「傷ついた」という人も出てきて、煩わしく感じている人もいるかもしれない。 自身は知見があるので、それらの言葉の違いと、どうすればよいかを簡単に記していきたい。 おネェとオカマ生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き) この場合、オカマやおネェという言葉が使われる。 オカマは上の意味に加えて侮辱するニュアンスも含まれる。 自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。 (もちろん、仲間内で冗談で使うことはあるが) そのため、メディアで使われることへの反対の意見が強まった。 メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。 それがおネェである。 ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命を
世の中には、「論破したい人」「論破したがる人」「論破してしまう人」というものが存在します。 辞書を引くと、論破という項目には、「議論して相手の説を破ること、言い負かすこと」であるとあります。 議論を、勝ち負けで捉える人。何か意見が相違した時、まず「相手の意見が間違いであると認めさせること」「相手を言い負かすこと」を目的にしてしまう人。議論を通して、自分が相手や周りよりも上であることを示したくなる人。 webでは非常に頻繁に観測できる光景ではありますが、これらの例は、現実世界でも決して珍しい人たちではありません。あなたの身近に、「論破したい人」はいますか? いちいち「論破したい人」と記載しているとちょっとタイピングが面倒なので、以下、これらの人たちをスーパー論破人と呼称したいと思います。文字数がむしろ増えてる?気のせいです。 スーパー論破人の特徴 私は、これら、スーパー論破人な人たちがちょっ
なんでだろう。 例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。 そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。 例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。 例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。 以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。 という訳
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く