「男になれよ」ってセリフが「男らしさ」と謂うマッチョイズム的価値観に見えるんだろうが、好きな女の子とデートするのに苦手を克服出来ずにウジウジしている少年に「男になれよ」って別にマッチョイズムじゃねーだろ(笑)。
「男になれよ」ってセリフが「男らしさ」と謂うマッチョイズム的価値観に見えるんだろうが、好きな女の子とデートするのに苦手を克服出来ずにウジウジしている少年に「男になれよ」って別にマッチョイズムじゃねーだろ(笑)。
blog.tinect.jp 数日前にBooks&Appsに投稿されていたこの記事には大切なことが書いてあると感じた。ただ、私の着眼とは微妙に角度が違っていて、「シロクマならこう書くぜ!」を書きたくなってたまらなくなったので、持ち時間40分一本勝負で書いてみる。 私も「ちゃんと言葉にする」習慣はものすごく大事だと思っている。 理由のひとつは、精神医療の世界で自分の言いたいことを言語化できない患者さんをたくさん診ているからだ。リストカット、過呼吸、解離や転換*1などで自分の気持ちやストレスを表現する患者さんは、現代社会では社会適応があまり良くない。また、そういった症状が無くても、自分の気持ちやストレスを言語化できず、怒りや悲しみを爆発させて不利な状況を招いてしまう患者さんもたくさんいる。 それらをみていると、自分の言い分やストレスを適切に主張するのは実は簡単ではなく、必ず身に付けられるもので
「最近つくづく思うけど、サンタクロースっているよね」について、もうすでに散々書き散らされているだろうとは思いますが。 この「サンタクロースっているよね」の意味が、私にはわかりませんでした。 私自身「言葉の文脈的意味」を理解していない自覚は大いにあります。 たとえば、『カンターヴィルの幽霊』という話があって、高校時代、これが英語で書かれているのを日本語に訳して読みましょうみたいな課題があったんです。 詳しくはググってくださいという感じですが、この話のラストは「彼女は赤面した。」というような一文で終わります。 その前は、「僕たちの子どもに聞かせたいよね」みたいな男性の台詞です。 私はここでなぜ女性が赤面したのかがいくら考えても全くわからず、意欲的な姿勢を示すために英語の先生に質問に行こうかと思っていたくらいです。 (この男性と女性の関係を、私は「お似合いだけどカップル未満のふたり」と解釈してい
飯間浩明 @IIMA_Hiroaki 1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者(出版社社員ではありません)。『三省堂国語辞典』編集委員。著書『日本語はこわくない』PHP、『日本語をもっとつかまえろ!』毎日新聞出版、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』朝日新書、『ことばハンター』ポプラ社 他。『気持ちを表すことばの辞典』ナツメ社 も監修。 asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/ 飯間浩明 @IIMA_Hiroaki ことばというものは通じないものです。あなたの頭の中で考えたことを、100%相手に理解してもらうことはそもそも不可能。それでも、何とか伝える方法を考えたい、というのが私の希望です。ただ、社会生活上、「ことばが非常に通じにくい人」を見極めることも必要です。その判断基準を挙げてみます。 2017-01-05 13:58:54 飯間浩明 @IIMA_Hi
www.news-postseven.com news.biglobe.ne.jp この石田衣良さんの言葉を読んで、僕もなんだかすごく嫌な気分になったんですよね。 『君の名は。』が気に入らないのなら、作品を批判すればいいのに、なんで監督の人生経験を(勝手に想像して)揶揄するのだろう? でも、こういう手合いに、わざわざ新海誠監督が反応してしまっているのをみると、こういう「人生経験マウンティング」みたいなのは、やられたほうには、けっこう「効く」のも事実なんですよね。 少なくとも、僕はイヤだな、それが事実であろうがなかろうが。 記憶のなかに手を突っ込まれて、かき回されるだけで不快です。 そもそも、世の中の大部分の人は、一般的に「青春時代」と言われているような年代における自分の経験に、満足しているわけではないと思うし。 まあ、こういう「人生経験マウンティング」って、石田さんの「芸風」ではあるんです
モジログ:反論ヒエラルキーで紹介されているPaul Graham: How to Disagree(その翻訳:How to Disagree by Paul Graham の翻訳)を読んで以前書いた研究能力の発達段階と関連があるなぁと思って、絡めて書き直してみる。 今、考えると研究能力の発達段階は、議論能力および発表能力の発達段階がタイトルとして適当だった。もちろん、議論能力や発表能力は、研究能力の一部。 反論ヒエラルキー モジログ:反論ヒエラルキーで箇条書き&簡単な説明されているのは以下のとおり。 DH0. 罵倒(Name-calling): 「この低能が!!!」といったもの。発言者に対する罵倒。 DH1. 人格攻撃(Ad Hominem): 論旨でなく、発言者の属性に対する攻撃。 DH2. 論調批判(Responding to Tone): 発言のトーン(調子)に対する攻撃。 DH3.
ちょっと最近腹に据えかねる記事がネットで散見されるので敢えてアレなタイトルで、よろしくおねがいします。 なおこの記事は、自分はソフトウェアエンジニアリングの専門家であるので、そのような領域を大雑把に想定して書かれております。が、たぶん他の専門領域においても似たような状況なのではないかと推察しております。 専門用語ばかり使って会話するような人は本当のプロではない という言説を最近ちょくちょく見ますね。曰く、普通の人に説明できないようではダメだ。曰く、普通の人でも重要性が理解できないように話せないということは、実際にはお前のやっていることは重要ではないのだ。曰く、専門用語ばかりで会話するようでは実際の能力はわからない、専門用語などわからなくても本当に能力がある人にはあるのだ。 んなわけねーだろ。 専門家というのは、非専門家には扱えない問題を扱う専門家だから専門家として働けていて、それなりの待遇
なんというか、言葉の俗な使い方って難しいなと。 「死ね」なんて言葉、そのまま文字通りに受け取ると「私はあなたが死ぬことを望みます」って意味だし、憎しみのこもった強い言葉に見えてしまう。 でも「保育園落ちた日本死ね」の「死ね」はそういう用法の「死ね」じゃなくて、もっとカジュアルなものなんだよね。 例えば「毎日混みすぎだろ埼京線死ね」という投稿があったとして、ここに埼京線への憎しみや埼京線が廃線になってほしいという願望を読み取ったら間違いで、当然この投稿から読み取るべきは埼京線が混雑しているせいで私は極めて不快な思いをしていますというメッセージ。 つまり、不快感や怒りの感情を表明する際にカジュアルに使われる表現に「死ね」がある。もちろん品のいい言葉遣いではないけど、言葉遣いが悪いのが当たり前の匿名インターネットの世界では頻繁に使われる。 これを古市氏は比喩表現と言っていたけれど、比喩表現という
【追記】タイトルは引用記事に対してふと思っただけで、本筋じゃないです。文中の戯れ言と相まって過剰反応されたので、戯れ言は末尾におく構成に変えてみた。【追記終わり】 2016年の流行語トップ10に入ってしまいましたね、この言葉。そして、予定通りの賛否両論が再燃。 例えば、こんな感じで。 http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12363503/ 【以下、末尾の戯れ言へ移動。】 でもこれって結局、件の言葉への賛否に基づいてポジショントークしてるだけじゃないかと。もっというと、その言葉を支持してきた人が必死に援護してるだけの構図にみえてしまった。。 しかし、日本死ねに賛成してた人でも、流行語大賞には「えっ!?」ていう人も多いのが、今回は少し違うのかなと。 もちろん受賞者選定への賛否の話とかもあるけど、まずは、言葉そのものへの賛否から【追記】今回の
以前から何回かポリティカル・コレクトネスに関する記事は書いてきましたが、どうもしっくりこない。なので、自分で考え直したいわけですが、そもそも自分はポリコレについてあんまり理解できてない気がします、というお話です。 ポリティカル・コレクトネスはシビュラシステムの夢を見るか - この夜が明けるまであと百万の祈り 「エモーショナル・コレクトネス(正しい感情表現)」を伴わない「ポリティカルコレクトネス」一辺倒では人の心を前向きに動かすことはない - この夜が明けるまであと百万の祈り 「言ってることはわかるがお前のことが気に入らない」を軽視しすぎたらあかんのちゃうかな - あとのまつり 「人間的なテーマ」を描写するために「人間」の存在を必要としないどころかむしろ邪魔、というのは寂しい - この夜が明けるまであと百万の祈り このあたり見てて思うんですが、私、ポリティカル・コレクトネスについては漠然とし
最近話題になっていた、セクシュアルマイノリティへの施策をめぐる千葉市長の一連のTweet(わかりやすくするため番号を振った) 1 先ほど定例記者会見で、性別が同一である者とパートナーシップを形成している職員が介護休暇や、結婚休暇に相当するパートナー休暇を取得できる制度を発表。 既に事実婚でも休暇の取得が可能なもので、性的多様性に配慮できる項目と判断しました。事実婚で許容されている分野・趣旨を今後も精査します— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2016年11月10日 2性的多様性の話でよく少子化の話をする人が居るのですが、では子供が出来ない年齢での異性婚も認めないということなのでしょうか?今でも性同一性障害の方は性別が変更できるのですが、それに反対しましたか?そもそも多様性を認めなければLGBT等で苦しんでいる方は異性婚に行くと思いますか? https://t.co/
はてなブックマークを200以上も集めながら、この匿名記事の前提にほとんど疑問が出されていないのが不思議でならない。紹介されている話題は、ちっとも「極端」ではないはずだ。 ポリコレ棍棒勢の貧しさについて http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160525-00058032/ まあ、要するにキャップがホモだって設定に変更してくれって話だ。もう、本当にうんざりしたんだが、これがトランプのいう「過剰なポリコレ」のひとつだ。 世の中には同性愛者がいる→わかる。同性愛者は一定の割合で存在する→わかる。同胞の一員である同性愛者の権利を守るべきだ→わかる。 フィクションの登場人物にも同性愛者がいるべきだ→そうだろうね。世界の反映としてフィクションの人物も一定の割合をホモにしてくれ→なにいってんだ? キャップをホモにしてくれ→意味わからねえ。 「キ
アレな主張をしたら自宅に火炎瓶が投げ込まれました。その被害を家族が被ったとしたらそれは自業自得といえるでしょうか。 って問題があったら結構な人が少しは悩みながら答えを出すんじゃないかと思う。 正直なところ、自業自得という言葉自体が無限の可能性を秘めていて、究極的には生まれてきてごめんなさいなところまで拡張できるだろうし、もっというと人類が意識を持ってしまってスミマセン、なのかもしれないんだけどさ。 自業自得論ってのはそういう点で本質的に危うさをもっているんですよね。ところが主張する人はそこに「正義か否か」を見出したがる。あるいは「オレが納得できるかどうか」を基準にしたがる。 危険地帯に自己責任を主張してわざわざ入り込んで遭難して救出を求める人をみたとき僕たちはどう思うだろうか。これもみんな結構悩む命題だとは思う。 当然だけど、「オレを批判したら家族が苦痛を感じるからオレのことを批判してはな
「謝ったら死ぬ病」なんて言葉があってこの前も話してたわけですけど*1、なんかそれへの意趣返しで「謝らせないと死ぬ病」なんて言葉を思いついて持ち出す人がたまにいたりするんだけどなんかそれ雑じゃねえかみたいな。タラちゃんレベルの気の利いた台詞だなと思って。タラオの言語能力を完全にナメてる前提で言ってますけども。 「聞いてよ、僕がミスターかもめ第三小学校に選ばれたと思って壇上に上がったら実は中島の陰謀で豚の血をぶっかけられたんだ。僕が怒るのはもちろんのことさすがに全校生徒みんなドン引きで、それなのに中島のやつ絶対に謝ろうとしないんだ、あいつが謝ったら死ぬ病だったとは見損なったよ」「あらそれくらいいいじゃないのよカツオ、中島くんもただのオマージュのつもりでやったんでしょ?」「ね、姉さん」「そうだぞ、カツオ、そこで火を出せない非ファイヤースターターのお前が悪い」「と、父さん、キャリーはテレキネシスの
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