ちょっとTwitterでも盛り上がった話題なので、本腰入れて語りたくなりました。 好きな野球チームが違うとか、好きなゲーム機が違うとかでケンカになるのは、何故ケンカになるのかがとても分かりやすいですが……仮に同じものを好きなファン同士であっても、「○○の全盛期はいつだろう?」という話を始めてしまえばケンカになってしまうものです。特に世代を飛び越えていろんな年代の人が集まるインターネットという場ならなおさら。 「任天堂の全盛期はいつだろう?」 「京都アニメーションの全盛期はいつだろう?」 「サッカー日本代表が一番強かったのはいつだろう?」 「テレビが一番面白かったのはいつだろう?」 ほら、もう全部荒れそう。 例えば私が「任天堂の全盛期はスーファミ時代だ!」とか「京アニが一番輝いていたのは2009年~2010年だ!」なんてタイトルの記事をブログに書こうものなら、即座に大炎上すると思うんですね。
ブコメでスターを稼いで調子に乗りたい程度のはてな歴。 「お前がママになるんだよ!」というツイートがネットスラング化していった変遷 - 根室記念館[ネタ][言葉] この台詞が例えばエロ漫画ないしはこのような場面を描いた作品内の台詞としてのみ成立していたなら、「巧いこと言わせるもんだな」と感心するだけで済ませる人は増えただろうし、文脈って重要かつ繊細だよな2016/05/07 19:26 b.hatena.ne.jp 思いのほか星がついたので調子乗ってもうちょっと考えてみる。 元ツイートは、 「お母さーん、じゃねえんだよ!今からお前がママになるんだよオラッ!」が無理矢理女子中学生に膣内射精する時に言いたいセリフ1位ですね だそうだ(元ブログ記事の画像より書き起こし)。 このツイートが気持ち悪いかどうか、のような感性の話はとりあえずおいておいて*1、元発言がどのような文脈だと解釈されたか、その文
2016 - 05 - 07 「お前がママになるんだよ!」というツイートがネットスラング化していった変遷 コラム ■お前がママになるんだよ! 皆さんは一時期 ネットスラング となった 「お前がママになるんだよ!」 の元ネタをご存知でしょうか? ご存知でしょうかというか茶番抜きで話すと僕のツイートが元なのですが、これがまた厄介なモノで、こんなしょうもないツイート一つにしても、ここまでの規模で広まると様々な因縁をつけられる事が増えます。 今回はもう説明するのが面倒になってきたので、一気に言いたいこと全部書いちゃおうという記事です。 僕は単純に中学生に膣内射精するとしたら「お前がママになるんだよ!」と叫ぶだろうなと素直な気持ちをツイートしたのですが、いつの間にか「実在する強姦魔が放った名言」扱いされ「お前みたいなクズは日本から出てけ」とリプライがきた上に、えっちな漫画のセリフに使われ最終的にフリ
これ、よく使いたくなる言葉なのにもかかわらず、文字面だけみて意味を考えると、逆に取り違えやすい。気をつけたいですね。 あと「性善説」「性悪説」どちらにも限界があることを知って、あんまりうかつに使わないようにした方がいいです。 ゴッドランドの倫理学 YouTubeでアンチしてる全世界の人に言いたいです..毎回必ずこれを言いたくなります。 『じゃあ、観なきゃいいじゃん!!!!』 あんたの気分が悪くなるんだったら、観ることをやめればそれで解決じゃないの?さっさと登録解除して2度と関わらないようにすればいいじゃないですか? そもそも、コメント書く時間がもったいないと思わないんですか? 何回も立て続けにアンチコメしてくる人の考えが僕には全く理解できません。自分だったら、気分が悪くなる動画を観ることに1秒も費やしたくありません。 ブロックしてもアカウント変えてまで攻撃してくる奴とかマジでドン引きっす.
「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ http://togetter.com/li/944943 こうして文章にして読ませるとまた違うものだけど、日常会話においては日本語って主語が抜けやすい。 というか、抜けてしまってもまったく不便を感じないぐらい、普通に会話ができてしまう。 まあ、日本語だけの問題じゃなくて、アジアの諸言語はほとんど似たような問題を抱えてるんだけど。 英語のように主語優勢言語だと、日常会話においてもほぼ必ず「私は」がどこかしらに含まれる。 言語は文化とも密接に関係してくるもので、だからこそこのタイプの言語を使う人たちは無意識に個人個人を分けて考えやすくなって、 議論においても個々人の意見のぶつかり合いという軸がぶれることは基本ない。 Theとかaとかあるのも、大きな枠の中から一つを抽出するためにあるようなものだし。 でも日本語のように主題優勢言語だと、意識的に
昨日の2部作にまうどんさんからこんなブコメを頂きました。 マイツールが特別じゃなくなるといいな。「あの子だけズルイ」が減るんじゃないかな。 / ““マイツール(支援ツール)” 息子の夏休みの宿題と私のチキンライス② - スズコ、考える。” http://t.co/tt16VtY6Je— まうどん (@mauzoun) September 2, 2015 それに対して私がその時思ったのがこんなこと。 「あの子ズルい」はフォローが必要になった子の周りにいつも付いて回るフレーズだなぁと思う。息子への配慮をお願いしたときにそういう声が上がるかもという懸念が学校側から出たんだけど「ズルい、って言う子にもフォローが必要ってことじゃないでしょうか」と言ってお願いした。— イシゲスズコ (@suminotiger) September 2, 2015 「ズルい」って言いだす子全部に丁寧なフォローが出来るよ
古いツイートだけど回ってきたので簡単に思ったことを書いてみる。 「にわかは死ね」って意見が流れた時に「お前らも全員最初はにわかだっただろ」みたいな反論が必ず出るけど『流行ってる時だけファンみたいな顔してそれ以降一切興味を持つ事が無さそうな上、度を超えて騒ぐせいでファン全体に迷惑をかける人』の事をさして「にわか」って言ってるケースが多い気がする— 青野くん (@aonooo) 2014, 6月 14 「にわか」って言葉を巡る議論よくあるけど、本当に「言葉の使い方」の問題として気になる。で、この人のツイートすげえ気に入らない。私は「お前らも全員最初はにわかだっただろ」は全く間違ってないと思う。それに対する反論になってない。『流行ってる時だけファンみたいな顔してそれ以降一切興味を持つ事が無さそうな上、度を超えて騒ぐせいでファン全体に迷惑をかける人』が問題であることには同意できても、その対象に「に
「人生にリセットボタンはねえんだ!!」 「最近のゲーム機にもリセットボタンねえよ!!」 「えっ。じゃあ人生にセーブ&ロード機能はねえんだ!!!」 「最近のソーシャルゲームにもそんな機能ねえよ!!!」 「えっ。えっ。じゃ、じゃあ人生に課金システムは」 「あるよね」 「うん、あるね」 私の長男(8歳)は、「リセットボタン」という機能を知らない。 以下、既出議論かもしれないが、気にせず話を進めることにする。 ゲームに対してあまり興味や親和性をお持ちでない中高齢の方が、「リセットボタン感覚」「リセット感覚」という言葉を若者批判・ゲーマー批判の種として用いることは、今でもそれほど珍しくはない。Web上ではあまり見なくなってきているが、一時期のゲーム脳議論なんかでは頻繁に引き合いに出される内容であったし、「人生にリセットボタンはない」というお説教を、私はつい最近、この耳で直接聞いた。 しかるに、みなさ
これと、これ。 「インターネットが個人の精神にプラスになるか、マイナスになるか」という話で、両者の見解が対立することは不可避でありつつも、お互いの立ち位置からの言葉としてはそれぞれに説得力があるように感じられます。 サイバメ氏が「駆け込み寺」と表現するように、コミュニケーションや承認を渇望する人間にとってインターネットがもたらしてくれるリアクションは(それが大いに罵倒を伴うものであっても!)大いに自分を救ってくれるものであるでしょうし、シロクマ先生が言及されるように根本的な不足の解消と人間的成長には(概ねのところ)寄与しない存在であるとも思います。 根本的な話で言えばシロクマ先生の言及内容が正しいことは疑う余地はありません。 インターネットで一瞬の話題を集めて悦に入るよりも、リアルの友情や信頼を獲得するために動いたほうが建設的で、豊かであることは間違いない。ただそれは膝が痛くて病院に行った
※あえて読みにくくしてます。読んで理解したとしてもブクマなどは一切しないでください 「最近のラノベ」という言葉について、昔あった「泣きゲー」と「抜きゲー」の切断処理を思い出す。 私は大学生の頃いわゆるギャルゲーと呼ばれるジャンルのゲームが好きだった。私はいわゆる「泣きゲー」も「抜きゲー」も好きだった。マンガに関して「一般モノ」も「er漫画」も読んでたのだからそれと変わらない。 私なんかはergプレイしてる時点で他人にどう思われようが知らんわ、と思ってたわけだけれど、人によっては「泣きゲー」*1が好きで、「泣きゲー」だけが好きで、これを盛り上げてもっとその地位を向上させようと考える人達がいた。で、この人達の中には「自分たちは抜き要素は求めてない」ってのを必死にアピールしたがる人が多かった。自分たちはerなんていらないんだってことで「ergにはerは不要論」「er要素があることで自分がerを求
「俺TUEEE」の「俺」とは誰か 俺TUEEEEとは (オレツエエエエとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 俺TUEEE (おれつえええ)とは【ピクシブ百科事典】 俺TUEEEとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書 「俺TUEEE」は最近では、創作、主にアニメやライトノベルの感想などで使われる言葉である。オンラインゲームから広まったとされるが、拡散の過程で意味が曖昧になっている。例えば、良い「俺TUEEE」と悪い「俺TUEEE」の違いってなんだと思うよ:わんこーる速報! では、強い主人公やその作品に対して「俺TUEEE」が使われている。Twitter検索をしてみると、ワンパンマンやブラックジャックを「俺TUEEE」主人公や作品に分類している人も見られた。 オンラインゲームで使われた文脈を考慮すると、単に主人公が強いだけでは「俺TUEEE」と呼べないだろう。「俺TUEEE」の「俺」と
twitterを眺めてたら誰かが「誰も傷つけない表現などない」あるいは「誰も傷つけない表現はつまらない」とかなんかそんな、ちゃんと読んでないので細かい言い回しは忘れたけどなんかそんなような手垢のついた話題をやっていて、でも俺もずいぶんしばらく手に取ってない話題だなと思って、引き出しから久々に取り出してみたらこれがまあ埃も被ってるし手垢どころか油がじっとりと滲んだようにベタベタだ、良い機会だしここはひとつこいつをピカピカに磨き上げられやしないか試してやろうと手に取ってみた。なので、今回はネットなんかでもよく言われる「誰も傷つけない表現などない」というフレーズについて今日は考えたいと思います。 twitterのその人からするとエアリプめいた行為に見えるかもしれないけど、いや全然そんなんじゃないから。あの、誰かがテトリスやってるの見てたら自分もテトリスやりたくなるみたいなのあるじゃん、あの感じ、
先日、10代の9割が「やばい=すばらしい」という意味で使っているという調査結果が話題になっていました*1。でも、これはもはや一種の「相槌」とか「感嘆符」的な表現であり、そこに具体的な意味を求めるものでもないんじゃないかと思う。 打てば響くようにポロッと零れ落ちた、素直な「感情」であり「感想」。味が好みの食べ物を口に入れれば「おいしい」、痛覚に訴えるような衝撃が身体に加われば「痛い」、興味深い・心惹かれる・笑えるコンテンツに触れれば「おもしろい」と口にするような、自らの感情の発露に過ぎないのでは……? そんな「端的な感想」や「感情の表現」について、思うことをつらつらと。 スポンサーリンク 「一言の感想」に付随して伝わる、多彩な「感情の情報」 冒頭に挙げた表現はいずれもまったく具体性のない言い回しではあるものの、それが対面コミュニケーションであるかぎり、「余計な言葉は必要ない」という指摘もあな
ふさごうとしてあまり触らないようにしていた傷がガバッと開いて内臓までドゥルドゥルって出てきちゃった感じですが書かないとそれもそれでつらいので、書きます。 こちらに関連した一連の件について。 おおもとのエントリは非公開になっています。 わたしのスタンスは、ああいう自己開示と内省を振り返った文章が公開されることに意味はあると感じていて、書いて公開されたことについては、敬意を表します。また、彼がとった行動が非難・批判されていますが、人間は間違えるし、よくない方法を採ってしまうのはどうしようもないことで、その過ちが指摘され改善されるのであればそれ以上の非難を受けるべきではないと思いますし、そのやりとりを開示し様々な人が見ることのできる状態に置いておくことで、何かを気付いたり得たりするきっかけになるだろうとも思います。 なので、彼の自己開示に対してそれぞれの人がそれぞれの立場から意見を表明し、ぶつけ
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