![長文日記](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a8b00156e1f39283951923cfc239d0e8bf601869/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimages-fe.ssl-images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51WSuJLDfyL._SL160_.jpg)
DG-Lawさんの以下のエントリが面白かったので,「勉強ができなかったけどできた子」としての感想を提示してみたい。 nix in desertis:勉強できた子あるある 「勉強ができなかったけどできた子」ってのはどういう区分かというと,上記事でも触れられている「時折現れる得意な教科しか勉強しない奴」である。俺はまさしくそのカテゴリに当て嵌まる存在であり,センター試験では数学IAIIBあわせて44点(200点満点)という壊滅的な成績を叩き出したがたいしてショックも受けず「まあこんなもんか」と平然としており*1,同じく世界史Bでは87点(100点満点)というそれまでの模試では考えられないほどの大惨敗を喫してしばらく凹んでいた,と書けばどんな立ち位置かがおおよそご理解いただけるのではないかと思う*2。 この両者は,内部にいる人間にとっては簡単に区別できる。友人や教師や親は,彼らがどんな成績の持ち
まあ,どのくらいの数のユーゴオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして,「研究者ではまったくないんだが,しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて,その上でユーゴ解体とはなんだったのかについてちょっとだけアカデミックな好奇心持ってる」ような,ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に,ユーゴ解体について学ぶための基本書となるような10冊を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にナショナリズムを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として) あくまで「入口」なので,時間的・語学的に過大な負担を伴う現地語の3巻本,4巻本の通史は避けたい。ていうかそんなの俺も読んでねーし。できれば日本語,せめて英語の本にとどめたい。あと,いくら研究史的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。自主管理社会主義好きが岩田昌征の著書は外せないと言っても
さっき、Crowsnest経由で以下の記事を見た。VIPPERな俺 : プログラミング勉強したいんだけど、どこから手を付けたらいいの? こういう話題って定期的に発生してるような・・・・で、思い出したのが随分前に書いた以下。 プログラマを目指す人が本を読む前に読むべきネットの記事要約部分を引用すると以下。・やり方を自分で考える経験をたくさん積む・人間は必要性が納得できないと本当の意味で勉強することはできない・どこまで勉強せずにゲームを作れるか まずは勉強より以下の方が大事かと。とりあえず何か作り始めてみる きっと、すぐに壁にぶつかるはずなので、その壁を一つ一つ取り除いていく、というクセを付けるわけです。 私の経験的に言えば、実は勉強って後からの方が効率的で、ああ、あれはこういうことだったのか、てな風に思える。そういう経験の有無で、理解の速さや身に付き方にも差が出てくるとも思う。 結局、プログ
ミッドナイトフライトで日本に帰ってきました。モントレーで開催されたIRPS(Internaitonal Reliability Physics Symposium)で竹内研からは3件で発表しました。 学会中は自分の発表以外は、ホテルにこもって、仕事ばかり。 特に、西海岸の夜が日本の昼なので、連日、Skypeでミーティングをしたり、資料を作ったり。とうとう、徹夜になってしまった。 深夜便の中でも仕事して、朝の5時について、帰宅して、また仕事です。 大学の研究者の自分がそこまでしゃかりきに仕事をしなくてもいいのかもしれないけど、何とか、日本の電機やIT産業を復活させたい。 その思いだけで、企業や大学の間の調整をする毎日です。 その中で、どんな組織からも出てくるんですよね、ルールばかり気にする人が。 石橋を叩きに叩いて、最後は叩き割る。 いつも結論は、「やめましょう」になる人が。 私は今まで、大
新ローマ教皇フランシスクス1世が選出されたということで,なんかキリスト教*1ネタが盛り上がっているので,異教徒からはわかりにくい,というよりもおそらくキリスト教徒ですらよくわかっていないような気がするキリスト教の諸宗派について,キリスト教徒ではないけれども出しゃばって書いてみたい。教義には殆ど踏み込みません。 なお新教皇の教皇名を多くの報道機関(NHK,時事通信,讀賣新聞,AFP通信など)が「フランチェスコ」とイタリア語読み(ローマ駐在の記者が書いたから?)で表記する中,おそらく唯一日本における西方教会の人名の慣用表記「フランシスコ」と表記した朝日新聞はもっと褒められていいと思う*2。 「キリスト教」が一枚岩ではないことは学校で教わるだろう。おそらく様々なメディアで主要な教派として挙げられるのが,・カトリック・プロテスタント・正教会の3つだろうとは思うが,実はそれぞれの内実は相当に多様であ
もう3月に入ってしまったということが信じられないが(ついこのあいだ年が明けたばかりだというのに!),このタイミングで去年出た東欧および隣接する諸地域の歴史についての日本語書籍の中でわたしがチェックし得たものを紹介してみようと思う。 以下のエントリで取り上げた本については取り上げないのであしからず。 「帝国」の想像力――『オスマン帝国と立憲政』『ロシア・シオニズムの想像力』の射程 - Danas je lep dan. ヨーグルトが育むナショナリズム――マリア・ヨトヴァ『ヨーグルトとブルガリア』について - Danas je lep dan. 『ハプスブルク君主国1765-1918』『「イタリア」誕生の物語』読書メモ - Danas je lep dan. 『西洋史学の先駆者たち』『英連邦』読書メモ - Danas je lep dan. スターリン期の大量死の評価をめぐって――ノーマン・ネ
先日、『深イイ話』にメンタリストのDaiGoさんが出ていた時のこと。 プロボクサーの山中慎介選手のお話になり、司会者から「ボクシングで使えるメンタリズムは何かないか?」と聞かれていました。 その時にDaiGoさんは、 「人間のまばたきのスピードは左右微妙に違っていて、まばたきが鈍い方は神経が鈍いから、そちらにパンチをすると避けられにくい。」 といった話をされていました。 ここで一冊本をご紹介させて頂きます。 こちらから引用させて頂きます。 P.48 相手のどこを見るのが正解か? 「相手の目ではなく、鼻のあたりを見ればいい。」と書いてある本もあります。鼻のあたりを見ていれば、相手にとっては目を見られているのと同じように感じる、というわけです。 しかし、実際に誰かにあなたの鼻を見てもらえばわかることですが、こういう見方をされると、どうしても焦点が外れてぼんやりとした、場合によったら少し気味の悪
田舎での車社会に疑問を呈しつつも、東京の電車も乗っていると気が滅入ることが多い。 どういうわけかいやな気分。理由が判然としなかったが、最近になってその原因が広告にあると気づいた。これがどうもいやな感じなのだ。 三作目の舞台が東京ということもあって、あちこち東京を取材して回り、いろんな電車に乗ったがとくに大江戸線が一番嫌な感じがした。視界に借金関係の広告が3枚もとびこんできた。「多重債務ご相談」「債務整理」と大書された弁護士事務所の広告。それに「きんり下げました」などとファンシー感覚を取り入れた消費者金融の広告(今までがアコギだっただけだろう)。今や電車の広告は消費者金融とこの多重債務者向けの弁護士事務所のやつで花盛りだ。地方に住んでいる人間のブログ(私も含めて)には東京に対するやっかみや格差問題を論じるものが多い。もしくは逆に東京自慢みたいなやつ。 しかし東京は東京でたいていはひどく貧乏く
タモリが消費者金融のCMに! http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20090403/tamori(タモリのサラ金CM B面犬にかぶらせろ!) http://www.cyzo.com/2009/04/post_1798.html(アコムCM出演で失望? タモリの既存イメージと「タモリ的なるもの」 日刊サイゾー) というわけで、いろいろと賑々しいのだけれど、先日のタモリ倶楽部ではそのタモリが登場するアコムが唯一のスポンサーのようだった。タモリ倶楽部ほどの人気番組でもスポンサーがつかず、今回のCM登場と相成ったのかなと適当なことを思ってしまった。いやだって50年続いた日テレのプロレス中継もスポンサーがつかずに終了し、TBSの人気ラジオ番組ストリームもスポンサーがつかずに終わってしまった。(人気なのに終了せざるを得ないってのはメディアのあり方として、かなり終わってると思う
大阪のジュンク堂でおこなわれたはてなCTO 伊藤直也さんによるトークセッション「私と技術書」を拝聴してきました。 ご自身の大学受験から現在に至るまでの「本を読むことと自分とのかかわり」について、90分もの時間濃ゆいお話をうかがうことが出来た。セッションでは、なおやさんの人生に深く関わった技術書が多数紹介され、どのようにその本と向き合ったかについて語られた。技術者の方にはモチベーションの上がる刺激的な情報だったと思う。わたしは技術者ではないし、プログラミングのプの字もわからず数字を見るとめまいがする人間なので、今日紹介されたほとんどの技術書は今後読むことがないかもしれない。おそらく、ない(事実 内容をメモすら出来なかった。宇宙語みたいで)。しかし技術書を通じ、なおやさんの人生をほんの少し垣間見せていただいたことで、自分の中で非常に感化されるものがあったのは確かで、お話の内容と自分に湧いた思い
恋愛, ノウハウ恋愛やセックスにおけるファッションはやっかいだ。モテるために色んなブランドがある。服がある。カバンがある。靴がある。香水がある。それに惑わされ、踊らされる人は実に多い。そして一番不幸なのはファッションセンスが自分にはないとあきらめてしまう人たちがいることだ。そんな人達にアドバイスを書きたいのが今回の趣旨。女の子にウケる服装ってどんなの?俺が出会った女の子に「どんな服装が好き?」と聞くと、ほぼ必ず返ってくる言葉がある。だいたいのヤリチンは想像がついてるでしょう。それは「似合って(いてカッコ良け)れば何でも良い」だ。まったく参考にならない!これ、オンナ目線で言うと「可愛ければなんでも良い」って言ってるのに等しいですよ。絶望的でしょ!モテる服装のガイドラインがないように見えちゃうんだけど、ここには真実が隠されている。それは特定の嗜好のファッションが絶対的ではないということ。つまり
バナジー=デュフロ『貧乏人の経済学』はとてもおもしろい本だ。ネットにはすでにすぐれた書評がいくつも出ているし、例によって訳者解説が充実しているので、ここでは個人的に目を引いた箇所を紹介させていただく。 「第9章 起業家たちは気乗り薄」で、著者たちはこう言う。マイクロファイナンスは途上国の貧乏人の生活向上にまちがいなく役立つものだけれど、それを主唱する人々が喧伝するほどには劇的な成果をあげるものではない。マイクロファイナンスは決して貧困撲滅のための「銀の銃弾」ではないという(だからダメだ、と言っているわけではないことに注意)。 それはなぜか、という謎解き自体もおもしろいのだけれど、ちょっと割愛する。結論部分からポイントのみ引用するので、詳細はぜひ本文にあたっていただきたい。 貧乏人の事業はしばしば、特定の起業衝動の反映というよりは、もっと通常の雇用機会がないときに、仕事を買うための手段でしか
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