原子のムラ 【第1部 東海村に火灯る】 (11) 茨城と正力をつなぐ糸 旧満州開拓移民の指導者で「満蒙開拓の父」と呼ばれた加藤完治は、正力松太郎と後々まで親交をもった 原子力研究所の東海村設置は政治力の賜(たまもの)――初代原子力委員長、正力松太郎の秘書を務めた前衆院議員の萩山教厳(79)は、そう述懐する。 正力と共に戦前、警視庁で共産党員摘発にあたった津澄村(現行方市)出身の衆院議員大久保留次郎は1966年、故郷で開かれた叙勲祝賀会の席で、誇らしげに語っている。 「東海村へ原子力研究所を設置することになったのは、私が友人であった正力松太郎氏に申し入れたからである」 大久保の長男一郎は草創期の原研に入所、後に技術情報部長、監事も務めた。 正力と茨城をつなぐ糸は、誘致を争った群馬や神奈川よりも確かに太く、幾重にも織りなされていた。 水戸市内原町に、農業を志す青少年を養成する日本農業実践学園が