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生活綴方に関するh0z8のブックマーク (4)

  • 第1回 ベッドで靴をぬがないで | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社

    著者: 井上章一 「玄関でを脱いでから室内に入る」。日人にとってごく自然なこの行為が、欧米をはじめ海外ではそれほど一般的なことではない。建築史家であり『京都ぎらい』などのベストセラーで知られる井上章一さんが、このなにげない「われわれのこだわり」に潜む日文化の隠された一面を、自らの体験と様々な事例をもとに考察する。 ブラジルの病院では 外国の病院で、手術をうけたことがおありだろうか。私はある。 二〇〇四(平成一六)年のことであった。場所はブラジルのリオデジャネイロ。私は街で転倒し、顎を地面にうちつけた。そのため、裂傷をおっている。顎の肉に、そう浅くもない裂け目ができた。出血もとまらない。 地元の人たちは、すぐ医者にみてもらえと言う。また、ふさわしい病院を推薦してくれた。彼らのすすめにしたがい、私はそこへ直行する。 日人の私に、気をつかってくれたのだろうか。病院では、日系人の外科医に治

    第1回 ベッドで靴をぬがないで | 土足の限界 日本人はなぜ靴を脱ぐのか | 井上章一 | 連載 | 考える人 | 新潮社
  • 名誉館長のつぶや記 - 下関市立近代先人顕彰間 田中絹代ぶんか館

    AKA:Tanaka Kinuyo Cultural Museum 〒750-0008 山口県下関市田中町5番7号 開館時間/9:00~17:00 休館日/火曜日・水曜日 ©2024 Shimonoseki Memorial Museum of Modern Forerunners /Tanaka Kinuyo Memorial Hall ※当サイトに掲載のコピーおよび画像等、すべてのデータを 無断で複写・転載することは、著作権法等で禁じられています。

    h0z8
    h0z8 2021/02/16
    “国分一太郎(1912-85)という山形県生まれの教育者、児童文学者が、北日本国語教育連盟を結成、さらに日本綴方の会によって全国展開しました。”
  • 生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のホームページ 

    ◎『生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のホームページ』へ ようこそ! ◆ 2011年7月23日(土)、24日(日)、多くの方々の参加のもと、記念碑の除幕、生誕100年の集い、記念文集の発行、第7回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会の実施等、「国分一太郎生誕100年記念」の事業を無事終了することができました。詳細は、メニューの 「生誕100年記念事業」にまとめてあります。 ◆ これによって、国分一太郎の生誕100年を記念する事業の成功のため   に役立つ「場」とする、というホームページの第一の役割が終了しました。 ◆ これからは、もう一つの目標、教育者 国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと、国分一太郎の思想を語り継いでいく仕事に邁進してまいりたいと考えます。そのため、これまで『国分一太郎生誕100年記念ホームページ』としていた当ホームページの名称を『生活綴方運

  • 山田ときさんを偲ぶー5   「子どもと生きようとして➁」 - ツルピカ田中定幸先生

    教育・作文教育・綴り方教育について。 神奈川県作文の会 綴方理論研究会 国分一太郎「教育」と「文学」研究会 山田ときさんを偲ぶー5 ー 子どもと生きようとして ー➁ そのころ(注―昭和11年頃・野村芳兵衛を中心に『生活学校』を創刊〈10年〉)、いわゆる生活綴方運動は、その絶頂に達し、国分先生は東北地方の先生たちとの連絡に大わらわだった。また、全国的なつながりも密接になり、よく文集や手紙が学校に 送られてきた。『綴方生活』『生活学校』『工程』などの雑誌も、つぎつぎと送られてきた。わかい人たちの教室交流もさかんだった。だから、私も、そういうものを見せてももらうことが 多くなり、師範学校などでは、習わなかった教育の考え方に、少しずつ目をひらかれていった。 しかし、山形県というところは、とてもめんどうなところだし、今は亡くなった村山俊太 郎先生なども、意見の発表を封じられていたので、国分先生たちは

    山田ときさんを偲ぶー5   「子どもと生きようとして➁」 - ツルピカ田中定幸先生
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