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ブックマーク / cabanon.exblog.jp (19)

  • 9月10日の阿佐ヶ谷住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録

    もう取り壊されているかもしれない。いや、まだ健在かも。阿佐ヶ谷住宅が今どうなっているか気になって、昨日見に行きました。 仮囲いとかはありませんでしたが、とても「健在」といえる状況ではありませんでした。住民の退去が進み、立ち退きの済んだ住宅の周りにあった緑地は坊主頭のように刈り込まれていました。豊かなコモンはもうだいぶ消失し、終わりの時が近づいているという印象です。

    9月10日の阿佐ヶ谷住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2009/09/12
    inspired: 昭和30,40年代の輝き → http://halweb.jmj.at/t/20090911.html#p18
  • 阿佐ヶ谷住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録

    「明日の住宅」がまだ残っていました──。 公団阿佐ヶ谷住宅を見てきました。1958年(昭和33年)に建てられたもので、総350戸のうちテラスハウスが232戸、その中の174戸を前川國男が設計しています。全体計画を手がけたのは日住宅公団です。前川國男の「阿佐ヶ谷テラスハウス」だけが傑出しているのでなく、公団と前川のコラボレーションが見事。よくぞこんなものがまだ東京に残っていると感激しました。いわゆる「近代建築」ないしは「新建築」の問題は、実に「人間の建築」にあり、「住居の建築」にあったと言ってよいと思う。「緑の都市へ」1947年──『建築前夜 前川國男文集』 而立書房 1996年刊より。美術館とか市庁舎とかモニュメンタルな建築だけを残すのでなく、近代デモクラシーとヒューマニズムの理想を実現するため、未来に向かって提言した「明日の住宅」こそ、モダニズムの遺産、昭和を語り継ぐものとして残してほ

    阿佐ヶ谷住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録
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    h_A_l 2009/09/12
    inspired: 昭和30,40年代の輝き → http://halweb.jmj.at/t/20090911.html#p18
  • meiji | 藤崎圭一郎の雑思録

    デザイナーなら断るべき仕事ってあると思うんです。亀倉さんの名作ロゴをどうして新しくするのか、意味が分かりません。 建築で言えば、代々木体育館を壊すくらいの暴挙です。残すためにデザインするのもデザイナーの仕事。色合いだけ残してどうするの? デザイナーが誰かは知りませんが、カナシイ仕事です。

    meiji | 藤崎圭一郎の雑思録
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    h_A_l 2009/09/11
    コメント欄。小文字化=汎用性・機能性の重視という捉え方が興味深い。藤崎さんは機能性重視のデザインはお好みでないようなことを以前書かれていた。
  • らしさとそのもの自体 | 藤崎圭一郎の雑思録

    「らしさ」と「そのもの自体」を目指すことは全く別なことである。 「そのもの自体」とは、機能と主題を超えて、ものの存在自体を表現すること。20世紀以降のアートにその典型が見られる。キリスト教やギリシャ神話の主題を描くとか、美しい風景や依頼主の肖像を描くとか「主題」を描くことをやめれば、キャンバスに描かれるものは抽象へ向かい、描くという行為の身体性や、マチエールなどの絵画の物質性がクローズアップされ、絵画が絵画そのものとして評価されるようになる。 主題がないとは、絵画の持っている「意味」が、歴史的なコンテクストや日常的に私たちが縛られている肉体的制約や思考の枠組みや社会的制度から切り離されることである。「この絵画そのものを見よ」となるので、「わかりにくい」という反応が多くなる。 ドナルド・ジャッドの箱は、主題もないし、もちろん箱としての機能もない。ただ「もの」であるだけ。それまで「もの」を縛っ

    らしさとそのもの自体 | 藤崎圭一郎の雑思録
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    h_A_l 2008/03/21
  • 後付けニーズ、偽装ニーズ | 藤崎圭一郎の雑思録

    最近激しく感じること。世の中でニーズと呼ばれているものの大半は、作り手・売り手のニーズでできている。 実は作り手のニーズで作られたものなのに、お客様のニーズや住民のニーズから生まれたとされているものが、この世にかなりあるんじゃないか。 地上デジタル放送は誰のニーズなのだろうか。コンパクトデジカメの1200万画素は顧客のニーズなのか。エコ出張は乗客のニーズだろうか。ニーズがあるから中国産にせざるを得ないというのは、あなたの会社が生き残るために「せざるを得ない」ニーズではないのか。「ニーズの創造」とか「ニーズの発見」と口当たりいい言葉で偽装して、受け手のニーズが後付けされていやしないだろうか。 そこにちゃんと顧客のニーズがそこに存在していれば、「実はあなたの会社のニーズでしょ」ってこと自体が悪いわけではない。商品は、作る側・売る側のニーズと買う側・使う側のニーズの両方がバランスよく並び立った状

    後付けニーズ、偽装ニーズ | 藤崎圭一郎の雑思録
  • わかりやすさ | 藤崎圭一郎の雑思録

    「答え」を求めるか。「問い」を求めるか。ここには、大きな違いがあります。たとえば、多くの現代美術が難解だといわれるのは、それが「答え」ではなく「問い」だからです。 大方の現代美術作品は、芸術家の高尚な答えを聞いて、頭が良くなったような気分になりたい人には、たいてい失望をもたらします。 芸術はソリューションビジネスではありません。自分の代わりに誰かが出してくれた名解答ではありません。そこにあるのは「問い」です。問いを受けとめることは面倒なことです。答えは自分の頭で考えなければならないのですから。 投げかけられた問いに対する応えは、解決のための答えである必要がありません。問いを感じとり、さらなる問いを世界に投げかけること。必ずしも言葉で答えを考える必要はない。大切なのは、問いの波紋を広げ、共振を起こすこと。 そこにあるのは、わかりやすい/わかりにくいの問題ではありません。伝わるか/伝わらないか

    わかりやすさ | 藤崎圭一郎の雑思録
  • 地球温暖化について | 藤崎圭一郎の雑思録

    アル・ゴアがノーベル平和賞を受賞しました。 『デザインの現場』8月号の、僕の小さな連載で「サステナブルデザイン」に関するコラムを書きました。800字という枠では、とても書ききれないことがありました。地球温暖化とは何が問題なのかという話の詳細です。ゴアのニュースを見て、書きたくなった。で、記事を大幅に改変してアップします。 *************** アル・ゴアの映画「不都合な真実」はよく出来た映画です。映画館を出ると、地球温暖化は深刻の問題だ、出来ることからなんとかしなくちゃ、と思うようになります。しかしこの問題をよく考えると、いったい何が危機に晒されているか、という問題に突き当たります。危機に瀕しているのは、地球なのか、生命なのか、人類なのか、現代世界の政治経済システムなのか。リチャード・フォーティ著の『生命40億年全史』を読むと、 気候変動は、46億年前の地球創成以来の日常茶飯事で

    地球温暖化について | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/10/15
    「政治問題になりうる地球温暖化問題」http://red.yh.land.to/t/20071015.html に書きました。
  • デザインより安全??? | 藤崎圭一郎の雑思録

    安全までデザインして「デザイン」です。こういう「デザイン」という言葉の使い方はやめてほしいです。見た目やオリジナルの造形性が、デザインではありません。「デザインに安全への配慮が欠けていた。安藤さんもそれを認めて改修した」って書けばいいじゃないですか。 記事を最後まで読むと(上のスクリーンショットは記事の一部)、正確に言えば、デザインに「安全」というより「安心」への配慮が欠けたってことのようです。安心感の要求が、いまどきの親の過敏さから来るものか、もっともなものなのかは、現場を見ていない僕には判断しかねます。 ※Link / 東京新聞ウェブサイトの当該記事へ 2年前も朝日新聞の記事で、「デザイン」が似たような使い方をされて、このブログでコメントしたことがあります。

    デザインより安全??? | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/09/22
    「デザイン」と「安全」は異なるものではなくて、「安全」も「デザイン(設計)」の一要素であると。なるほどねぇ、けっこうそこのとこ曖昧になってるかもしれない。
  • テンセグリティの作り方 How to make a Tensegrity : 藤崎圭一郎の雑思録

    テンセグリティ (Tensegrity) は、tensional と integrity の造語。引っ張る力と圧縮する力によって均衡を保たれる構造。バックミンスター・フラーの指導を受ける学生だった、ケネス・スネルソンが考案したものです。投げると弾むくらい構造は安定しています。が、輪ゴムを一か所外すと途端にバラバラになります。 いろいろなバリエーションがありますが、今回制作してもらったのは、輪ゴムと木の棒で作る最も単純なものです。エレガントな構造を自分の手で体験してもらうのが制作の目的です。 東急ハンズで買ってきたラワン材とバルサ材の2種類の丸棒で使いましたが、バルサ(6mm径)のほうが加工しやすく、見た目もいいようです。糸鋸を使いました。カッターでは両端に溝を入れるのが難しい。木を切るときに怪我をした学生がいました。軍手を用意すればよかったですね。申し訳ありませんでした。 この講義のために

    テンセグリティの作り方 How to make a Tensegrity : 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/09/20
    「テンセグリティ (Tensegrity) は、tensional と integrity の造語。引っ張る力と圧縮する力によって均衡を保たれる構造。」これにエレガントさを付加した、一種のオブジェ? 頭の良さとセンスの良さを一緒に測れそうで面白
  • 冗長美とデモクラシー | 藤崎圭一郎の雑思録

    「寛容」こそ民主主義の要だと信じています。 他人の自由や平等を認め、対話を重んじ、共に生きる知恵を育むことは、すべて「寛容」の精神から生まれると思っているからです。 2005年12月の投稿でそんなことを書きました。 冗長美とは、民主主義の美意識です。選挙って、えらく冗長な意志決定システムじゃないですか。死票は多いし、今回の参院選のように、惨敗した党首が政権が居座ることはできるし。 ま、でも、居座れることを許せる柔軟性こそ、民主主義の特長なのでしょう。毎年選挙をやってそのたびに政権が替わっていたら、それもそれで国が危うい。民意は滔々と大河のように流れ、ゆっくりと政治に反映されたほうが公正な国家運営ができるはずです。一時的な激しさに左右されていては、政治がアジテーションや情報操作によって動かされることになりかねない。 即断即決こそ競争に勝ち抜く秘訣なのでしょうが、民主主義は、あえてひじょうに冗

    冗長美とデモクラシー | 藤崎圭一郎の雑思録
  • 横須賀美術館へ | 藤崎圭一郎の雑思録

    日曜日に横須賀美術館に行きました。眺めのいい美術館です。対岸に新日鐵 君津製鉄所が見えました。鉄つながりです。鉄とガラスでつくられた美術館は軽くて透明。製鉄所は重厚長大。環境音楽とヘビーメタルと海を隔てて向き合っているような、そんな感じです。 鉄っておもしろい素材です。鉄の意志とか鉄人とか、一般的には重たくて硬くて確固たるものの代表のような存在ですが、建築の世界では決してそうじゃない。建築では重い硬いといえば石であって、鉄は軽くて柔らかい素材として扱われる。 たとえば、安藤さんは21_21デザインサイトで鉄板の屋根を「一枚の布」に見立ていましたし、フラードームは風船のような軽やかさがあります。古くはアールヌーヴォーの建築家ヴィクトール・オルタの蔦のようにうねる鋳鉄を思い浮かべてもいいかもしれません。 横須賀美術館の設計は山理顕設計工場。最大の建築的特長はダブルスキン──二重膜です。箱形の

    横須賀美術館へ | 藤崎圭一郎の雑思録
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    h_A_l 2007/07/11
    ”鉄らしさ”についての考察。「軽い」というイメージがあるんだ、へー。
  • 冗長美論・後編 | 藤崎圭一郎の雑思録

    【冗長美から考える肉体美の系譜】 ヒトの身体は冗長に計画されている。脳は東証のコンピュータよりはるかに冗長性に富む。脳卒中などで言語野が損傷し失語症になっても、程度にもよるがリハビリ次第で回復の可能性はある。必須パーツの眼や耳や腕は日常的には並列処理を行い、不慮の事故などで片方が失われても機能するように設計されている。 筋肉は計画的に鍛えれば大きくなる。トレーニングで筋繊維を破壊し栄養を与えれば4〜5日後には筋繊維は以前より太くなって回復する。この過程を超回復といい、ボディビルダーはこれを利用して筋肉を肥大させる。正しく鍛えれば筋肉は盲目的に大きくなり全く実用とは関係ない肉体ができあがる。およそ肉体美とは生活に役に立つといったことからかけ離れた、機能美と見せかけた冗長美といっていい。 冗長な肉体など美ではないと思う方がいるなら、システィーナ礼拝堂へ行かれることをお勧めする。ミケランジェロは

    冗長美論・後編 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/07/08
    冗長美礼賛は、ロハス(=後退)へのカウンターという意味もあるんだろうけど、やっぱり人間の本性を狂わせるような感じが拭えないなぁ。
  • 冗長美論・前編 | 藤崎圭一郎の雑思録

    唐突ですが、僕の最近の大きなテーマ「冗長美」に関する論考をアップします。長すぎて字数オーバーになって投稿できないので、2つに分けました。この記事の下に、後編があります。 実用性を追求し徹底的に無駄を省いたシンプルな形に美が宿るという機能美神話はかなりの部分、幻想にすぎない。耐震構造偽装されたマンションは、震度5の地震で崩壊する危険性があったとしても、そのことはまったく外観に影響を与えていない。免震マンションが頑強に見えるわけでもなく、姉歯秀次元建築士が構造設計したマンションがか細く見えることもない。姉歯元建築士が「だってレス・イズ・モアだから」って語ったら、モダニズムの神様はどんな思いをしただろうか。 「わしゃあそんなつもりでああ言ったんじゃない」。ミース・ファン・デル・ローエならギロリと睨みを利かせて語る。「バルセロナパビリオンやトゥーゲンハット邸に使ってる柱は知っとるか。ピッカピカのク

    冗長美論・前編 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/07/08
    「機能美」から「冗長美」へ。こういうコンセプトの纏め方って面白いな。
  • エイドリアン・フォーティー公開講義 | 藤崎圭一郎の雑思録

    昨日(6/15)東大へ『言葉と建築』『欲望のオブジェ』などの著書で知られるロンドン大学バートレット校教授エイドリアン・フォーティー氏の公開講義を聴きに行きました。講演のテーマはアーキテクチュラル・インパーフェクション(建築における不完全性)です。 フォーティー氏は、コンクリートは不完全なる素材と問題提起した上で、まず西洋における完全性・不完全性の系譜をサクッと説き明かします。自然と芸術を区別し、自然を不完全なものとし、そこに完全性をもたらすのが芸術としたアリストテレスから、人を圧倒する不完全性に崇高さを見出した偽ロンギヌスの『崇高論』へ、そしてゴシック建築のサベージネス(獰猛さ=行き当たりばったりが生んだ破調の美とでも言いましょうか)に美を見出したラスキンを語ります。 近代建築のコンクリートの不完全さの例として、二人の巨匠の例が挙がりました。ラ・トゥーレット修道院やユニテ・ダビタシオンに見

    エイドリアン・フォーティー公開講義 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/06/17
    コンクリートの不完全性って考えたことなかったな。完全性と不完全性のマニュファクチュアリング双方で突出した国、日本って捉え方、面白いです。
  • 南青山のモノル住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録

    取材先のデザイン事務所へ行く途中、昨年クローズした IDEE(イデー) SHOP 店の建物が完全になくなって、駐車場になっていることを知り、少し驚きました。そのおかげで岡太郎記念館の外観がよく見える。 おっル・コルビュジエのモノル住宅だ、と思って、家に帰って調べたら、コルビュジエのお弟子さんの設計でした。坂倉準三が、1953年に岡太郎の住居兼アトリエとして建てたものです。 モノル住宅は、コルビュジエが1919年に提案したゆるかなヴォールト屋根(かまぼこ型屋根)が横に並ぶ姿に特徴があるコルビュジエの住宅デザインの原型の一つです。森美術館の展覧会で再現されているコルビュジエのアトリエも天井もゆるかかな円弧を描くヴォールト天井でしたから、坂倉は師匠のアトリエを思い描いて岡のアトリエを設計したのかもしれません。駐車場に建物が建つのはきっと時間の問題でしょうから、外観を鑑賞するなら今のうちで

    南青山のモノル住宅 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/06/15
    近鉄バッファローズのロゴマーク、カッコよかったよなー。大投手、鈴木啓示の脂がノりまくってた時代、彼の活躍含めて近鉄のユニフォームが最高にカッコよく見えたもの。
  • この動画はスゴい | 藤崎圭一郎の雑思録

    ISSEY MIYAKEのウェブサイトで、A-POC INSIDEのために佐藤雅彦+ユーフラテスが制作した動画が公開されています(via dezain.net)。傑作です。先月、アクシスギャラリーで行なわれたISSEY MIYAKEの藤原大さんの講演を聴きに行ったとき、先行公開で見たのですが、ホント見入ってしまった。ミニマムなエレメントを魔法のように駆使して、2次元、3次元、4次元を自由に行き来します。もう少し具体的に言うと、文字と点と線による単純なモノクロ2次元が、人の記憶と認知に訴えかける動きや輪郭を加えられることによって、驚くほど豊かな4次元の膨らみを持つ──。いや、解説不要。とにかく、見てください。

    この動画はスゴい | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/06/08
    「新ブランド A-POC INSIDEのために佐藤雅彦+ユーフラテスが制作した動画」あとで観る。
  • 頑張れ! スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー | 藤崎圭一郎の雑思録

    昨日(月)、映画「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」を観ました。ヤバいです。 興味深い内容でした。けど観客は12人。少なすぎて数えちゃいました。渋谷・Bunkamura ル・シネマの単館上映。公開3日目。夕方17時30分の回。非常にいい映画なのに、あり得ない。学生らしき若い人がいない。宣伝不足でしょう。僕は六木に貼ってあったポスターを観て公開日を知ったのですが、でも、建築系メディアなどへのプロモーションが足りないのかもしれません。 観に行きましょう! じゃないとあっと言う間に公開終了になってしまいそう。昨年、同じ渋谷で公開されたルイス・カーンの映画「マイ・アーキテクト」は、たくさん人が入っていたのに……。 「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」は、息子が父探しをする「マイ・アーキテクト」のような濃い人間ドラマではありません。正統派のドキュメンタリー映画です。5年間ゲーリーを追いかけ、ゲ

    頑張れ! スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー | 藤崎圭一郎の雑思録
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    h_A_l 2007/06/05
  • ル・コルビュジエ連戦連敗 | 藤崎圭一郎の雑思録

    この前の日曜日(5/27)、パリのル・コルビュジエ財団の理事長ジャン・ピエール・デュポール氏と、同事務局長クロード・プレロレンツォ氏、森美術館の館長南條史生氏による、カッシーナ・イクスシー主催のシンポジウムのモデレーター(進行役)をやりました。お越しいただいた皆様、スタッフの皆様、有り難うございました。今、頼まれている原稿と内容が重なりそうなので、ここでは、その話は書きません。 で、その代わり、2002年『Casa BRUTUS』12月号に寄せた原稿を加筆してアップします。埋もれさせてしまうにはもったいないと前から思っていた原稿です。 僕がコルビュジエのイタコとなって、建築の闘士コルビュジエの戦歴を、負けた話を中心に書いたものです。 長いですけど、面白いと思います。ぜひ読んでみてください。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

    ル・コルビュジエ連戦連敗 | 藤崎圭一郎の雑思録
    h_A_l
    h_A_l 2007/06/03
    コルビュジエで辿る両大戦期から現代に至る建築史。面白い!
  • ル・コルビュジエ展は5月26日から | 藤崎圭一郎の雑思録

    昨日は森美術館で打ち合わせ。終わってから南條館長に現在準備中のル・コルビュジエ展(5/26〜9/24)の会場を案内してもらいました。まだ作品は展示されていませんでしたが、今回の展覧会の目玉である、コルビュジエのカップ・マルタンの休暇小屋と、パリの自宅のアトリエ、マルセイユのユニテの実物大模型の制作が佳境でした。 休暇小屋の実物模型は昨年ミラノで発表されたもので、イタリアから職人が来ていました。アトリエとユニテは森美術館オリジナル。ユニテはメゾネット(集合住宅の一室が二階層になっている)の部屋がまるごと再現されているので、デカいです。アトリエの作りつけの家具は、引き戸のエッジ部の微妙なカーブまでつくりこんでいました。「建築関係の人たちは、ディテールにうるさいですからね」と館長。さすがにアトリエの石壁を石で再現するなんてことまではしてませんでしたが、空間を味わうには十分かもしれません。 休暇小

    ル・コルビュジエ展は5月26日から | 藤崎圭一郎の雑思録
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