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  • 東京糸井重里事務所を退職しました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重

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  • 「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そもそも「大衆の原像」なんてものはないんだよ、幻想なんだよ、今の時代ではすでに失われたものにすぎないのだよ、という言い方もできるし、その立場に立てば「どこに置くか」という問いは無効になります。でも、私にとっては、この問題は結構切実だったりもします。 「大衆の原像」というのは吉隆明さんの概念で、戦後知識人の転向というコンテクストで使われた言葉です。知識人がその知識なり思想なりに「大衆の原像」を繰り込んでいかないと、その知識は大衆から乖離していくよ、ある政治集団なり、知識集団なりに閉じられてしまうよ、そうした思想はいかに高度であっても欺瞞でしかないんだよ、みたいなことです。大雑把な理解ですが。 吉さんにとっての「大衆の原像」のイメージ。自分や家族が今日を生きることができ、明日もまた同じように生きることを望む存在で、それ以外の政治経済や思想などについては無関心である、というもので、それは戦後

    「大衆の原像」をどこに置くか - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    haiji505
    haiji505 2010/06/28
  • 「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リファラで気付いたのですが、Googleで「広告は性格の良い人がやるものではない」を検索すると、このブログの「「タイプ別性格判断」というものをやってみたのですが」という記事がトップに表示されるようです。ちなみに、当該エントリにはその答えは書かれていません。 それにしても、どういう事情でこんなワードで検索をしたんでしょうね。何か嫌なことでもあったのでしょうか。 若い広告クリエーターで、上司ができる人かつ性格が悪くて、その上司に自分の企画が通らなくて、そのうえ「君、広告向いてないんじゃないの?辞めれば?」みたいなことを言われて、「あのCDむかつく。性格最悪。だいたい広告なんて性格が悪くないとできないんじゃねえ?きっとそうだ。そうに違いない。」みたいなことなんでしょうかねえ。 ともあれ、「広告は性格の良い人がやるものではない」というフレーズは妙に気になります。どうなんでしょうね。そんな気もします

    「広告は性格の良い人がやるものではない」について考えてみました。: ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    haiji505
    haiji505 2010/06/28
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  • ソーシャルメディアとの距離の取り方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これからはネットの時代なんだよ。 そんなふうに語られていた頃は、じつはマスメディアとネットという構図をとりながら、その台詞を口にする人の頭の中では、じつは別の構図が描かれていたんだろうと思います。当は、マス広告とネット広告という構図ではなく、純広告的アプローチと非純広告的アプローチの構図だったりします。純広告ではなく、タイアップ、コラボレーション、口コミなどなどでうまくやれないか、ということだろうな、と。うまくやれないか、という言葉の意味は、安くやれないか、ということなんでしょう。 マス広告とネット広告ということなら、わりと話は簡単で単純。不特定多数に広く伝えたいのなら、Yahoo! JAPANなどの大手ポータルサイトのバナー広告なんかは、もはやマス広告と言ってもいいだろうし、ターゲットセグメントで言えば、雑誌に出稿するのも、セグメントされたサイトに出稿するのも、手法的にはほぼ同じであっ

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  • ソフトのアップグレードを重ねるたびに、Googleにしたくなる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    というバナー広告がCNET Japanに出稿されていました。白地にキャッチだけのシンプルなデザイン。クリックすると、「世界で200万もの会社が、すでにGoogleにしています。」と書いてあるページに飛びます。Google Appsの広告。 まるで広告の教科書のようです。 際立った商品があって、その価値が新しければ、表現はシンプルになる。だからといって、「これからはクラウドだよね。」みたいなことじゃなくて、きちんと使う人の気持ちの洞察があって、落としどころはイメージではなく事実になっている。きちんとクリエーターが仕事をしている。この広告には、広告の基がすべてありますね。 これを広告理論で言えば、こんな感じになります。 1)Proposition=Google Appsなら管理運用の手間を削減 2)Consumer Insight= ソフトのアップグレードはうんざり 3)Facts=世界20

    ソフトのアップグレードを重ねるたびに、Googleにしたくなる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • コンセプト、プロポジション、テーマ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    「コンセプトって、どういう意味なんですか。説明してください。」 私は今まで納得できる明快な答えや説明を聞いたことがありません。ネットを見てみると、ウィキペディアでは「概念」という項目に飛ばされて、かなり難解な説明になっていますし、広告業界をはじめとするいろんな業界で当たり前のように使われる言葉のわりには分かりにくい言葉だなあ、と思います。 そんな中、わりとまとまっている説明があるサイトが、三省堂の「三省堂ワード・ワイズ・ウェブ」の10分でわかる「コンセプト」の意味と使い方というページ。よく出来ているページなので、そちらをお読みいただくとして、こちらは別の話を。 ●    ● 上記リンク先では、こんな用例と解説が出ています。引用します。 例えば「今度開店するレストランのコンセプトは“近未来”でいこう」と言った場合、レストランの店名・内外装・メニュー・広告などに、近未来的な演出を施そうという意

    コンセプト、プロポジション、テーマ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「それじゃ商売にならない」という言い方が好き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    コピーでも、アートでも、デザインでも、レイアウトでも、絵コンテでも、企画でも、マーケティング戦略でも、なんでもそうですが、いろいろたくさん考えるけれど、その中で世の中に出るのはたったひとつだけ。しゃらっとテレビや新聞、雑誌なんかに登場する広告やプロモーションなんかの後ろには、たくさんの没アイディアが隠れています。能天気に歌って踊る、アホみたいなCMも、ほんとはけっこう苦労してつくっているのよねん、みたいなことを言いたいわけじゃなく、要するに、クリエイティブって「チョイス」だったりします、ということが今夜は言いたいのでした。 なんとなく英語で「チョイス」という言葉を使ってみましたが、つまりは、数多くのアイデアから選択をしているわけで、選択の裏側には「だめ、これはない」みたいなことがあるわけです。いわゆる「没」というやつですね。 アイデアを没にするためには、理由がいります。まあ、理由なく「没」

    「それじゃ商売にならない」という言い方が好き - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    何を言うんだろうなあ。 いろいろ難しいなあ。社会も広告も、ここ10年くらいでずいぶん変わったからなあ。これ、ほんとに変わったなあと思うんですよ。たとえばね、この文章を読んでくれてますよね。どうも、ありがとうございます。文章は読まれてなんぼなので、すごくうれしいです。でもね、これはよくよく考えてみると、この文章を読んでもらってるというのは、そのぶんほかのものを見たり聞いたり読んだりできなくなっちゃってるってことなんですよね。時間は誰でも平等に1日に24時間しか与えられてないですから。 これ、10年くらい前では考えられなかったことなんですよね。もちろん、その頃も同人誌とかはあったよ。でもね、同人誌って手に入れるのに、ちょっと努力がいるじゃないですか。でも、このブログを読むのに努力はあまりいらないですよね。RSSに登録してもらってたら、更新の度にリアルタイムでお知らせが来ますし、ときには、twi

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「不況になると短い企画書が流行る」説 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    このところ「これぞ完璧企画書ー「1枚企画書」パターン実例3題」やら「「5枚プレゼン」のレイアウトを理解する」やら、やたら短い企画書が流行っているようですね。まあ、これは「はてな」界隈だけかもしれないし、職種によっても違うし、一概には言えないのですが、経済の調子が悪くなると企画書が短くなる傾向は確かにあるように思えます。 バブルの頃の企画書はものすごく長かったですし、糸井重里さんは「おいしい生活。」というコピーのために100枚の企画書を書いたという伝説(当かどうかは知りませんが)がありました。私はわりと長くてドラマティックな企画書が好きなのですが、そう言えば、かく言う私も、このところは企画書がどんどん短くシンプルになってきているような気がします。 これは、物事が「やる」前提で「いかにやるか」ではなく、「やる」か「やらない」かを決めるという感じだからかもしれませんし、そもそもこんな世の中では

    「不況になると短い企画書が流行る」説 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • いいプレゼンって何でしょうね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これは人によっては違うんでしょうね。それと相手によっても違うし、規模によっても違うから、この手の話には正解はないでしょうから、ごく個人的に。 私はプレゼンが苦手でした。人前で話すのが苦手というか、極度の緊張しい(関西弁で緊張する人のこと)でした。今はどうかというと、ほとんど緊張しません。華麗なプレゼンではないけれど、まあ、理路整然と話せるし、飽きがこないように、というか、印象的なプレになるように緩急もつけられます。なぜ、できるようになったかというと、慣れでしょうね。あと自信。このあたりの話はかつて書きましたので、今悩んでいる人は、よかったら読んでみてください。 プレゼンの時、声が震えて、心臓がバクバクして、汗が噴き出し、自分で何を話しているのかがわかんなくなって、会議室から逃げ出したくなることはありませんか。 ●    ● 私は広告の仕事をしていますので、たいがいのプレゼンは広告案の提示だ

    いいプレゼンって何でしょうね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    haiji505
    haiji505 2009/04/07
  • 言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告は見てもらえる、みたいな気持で作るなというのは、マス広告の危機だなんだといわれる前からよく言われることで、とあるクリエイターは、きれいなポスターをつくってきた後輩クリエーターに対して「キミ、この広告で人が振り向くと思う?例えばさ、白いポスターの真ん中にうんこがあるとするじゃない。それ、気持いいかどうかはともかく、見るよね。そのうんこのポスターに勝たないといけないのよ。」と言ったそうです。まあ、うんこのポスターは極論だとは思いますが、広告は、「そんなもの誰も見るかいな」みたいな気持でつくってちょうどいいんじゃないか、と思います。 新聞広告でも、テレビCMでも、ポスターでも、ウェブバナーでも、広告である限り、まずは見てもらうことが大事。でもそれは第一段階クリア、みたいなことに過ぎなくて、そのあとの段階がいくつもあります。これだけ情報が多くなってきた今の世の中、人々の広告に対するスルー力はか

    言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 川瀬さんの言葉

    面識もないし、表現技術の分野で言えば、私はそれほど影響も受けていないのですが、とある外資系広告代理店のクリエイティブに川瀬稔さんという大先輩がおられました。ボルボのグラフィック広告「安全ピン」でカンヌグランプリを穫った人というと分かる人はいるんじゃないでしょうか。 コマーシャル・フォトという業界誌に今月の優秀作を集めたマンスリーというコーナーがあって、一人の評者が優秀な広告を批評するのですが、川瀬さんが評者だったときにお書きになったあとがきみたいな短い文章が頭の中から離れずにいました。少し辛口なその言葉は、いつも私の心のどこかを刺激しつづけていてました。 ずいぶん前の文章だから、もう読むことがないだろう、と思っていたのですが、今日、アートディレクターとその話をしていたとき、彼女はその雑誌の切り抜きをきちんとファイルしていて、再び読むことができました。辛口なので人によっては反発もあるかもしれ

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 川瀬さんの言葉
  • 広告は作品か - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    面白い論議には乗っておくが吉なので、私も考えてみます。というか、このテーマ、このブログでも何度も何度も書いてきているので、あらためて考える、かな。(興味のある方は、下ほうにある@niftyブログ内検索で「広告 作品」で検索するとある程度追えるかもです。) 広告批評の欺瞞: おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか? - analog 広告=作品論の是非 – smashmedia まず、ブログ「analog」のhidetoxさんの論点。これに尽きるでしょうね。 広告評論の欺瞞、それを私は次のように告発する:おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか? まあ、確かにね。「買わないし、買いたくないけど、評価する」とかね、そういうのは多いですよ、実際。なぜそうなるか、というと、まあ、あれです。身も蓋もない話をすると、広告制作者って多い訳ですよ。

    広告は作品か - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「したたか」でいこうぜ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    僕のブログは、ふだんは主に広告実務のあれこれを書くことが多いです。役立つ知識だったり、僕自身の広告についての考え方だったり。そんな記事は、これから広告業界で働こうと思っている人とか、広告業界で働く若い人が、ためになるなあ、なんて感じで読んでくれていることも多いかと思います。また、同じくらいのキャリアの人とか、もっとベテランの方なんかは、おまえの考え方は違う、なんて読み方もされているかもしれません。どんな読み方にせよ、いつも読んでくれて、ほんとうにありがとうございます。 これから、広告業界はきっと今より規模がずっとずっと小さな業界になっていくと思います。少なくとも、ここしばらくは縮小傾向が続くはずです。僕が所属する会社だって、いつまであるかわかりません。大手も、当面、会社消滅はないにしても、人員削減は避けられないでしょう。もしかすると、今年の中頃あたりに大型合併があるかもしれません。みんな、

    「したたか」でいこうぜ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「enは転職者とはてブを応援しています。」と、広告とネットコンテンツの新しい関係。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    はてなブックマーク(参照)の自社広告(はてなが用意するという意味です)枠がエンジャパンに変わりました。私は前から、はてなブックマークの自社広告枠を注目していて、前にリクルートだったときは、けっこうコピーに力があって、面白いなあと思っていました。リクルートの場合は、自社であらかじめ読み物系のコンテンツを用意しておいて、そのコンテンツの内容を想起させるようなコピーを掲載し、なんだろうと思わせておいて、自社コンテンツに誘導するというカタチでした。 ネット広告は、アーカイブ性が少ないので、ここに事例を示せないのが残念ですが、リクルートでは、ユーザー目線のつぶやきコピー系だったように記憶しています。テキスト系のネット広告としては異彩を放っていましたが、方法論としては王道で、どちらかと言えば、広告が元気だった頃の手法に近く、見ている側からの印象としては、テキスト広告でもやり方を考えればここまでできるん

    「enは転職者とはてブを応援しています。」と、広告とネットコンテンツの新しい関係。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 広告電通賞と鬼十則 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    欧米の広告マンがよくする質問に、「広告電通賞というのは何のためにあるの?」というものがあります。電通という広告を生業とする一企業が制定する広告の賞でありながら、電通だけでなく、博報堂、ADKをはじめとする広告代理店が制作した広告作品が審査対象で、業界では日で最も権威のある広告賞のひとつとして認識されている。そんな状況を、不思議に思うようです。社内賞みたいな感じなのに、なぜ、というわけですね。 広告電通賞は、電通の第4代社長である吉田秀雄が、1947年の社長就任の年に制定した広告賞です。吉田は、広告業界で「広告の鬼」と言われる人で、現在の電通のみならず、日の広告業界の近代化に多大な貢献をしました。彼が作った「鬼十則」はよく知られていますよね。 鬼十則 一、仕事は自ら「創る」べきで与えられるべきではない 二、仕事とは先手先手と、能動的に「働きかけ」ていくことで、受け身でやるものではない 三

    広告電通賞と鬼十則 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    haiji505
    haiji505 2008/07/21
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