国債とは、実は貨幣だ。国が国債の価値を保証している*1のなら、その価値を国の庇護のもとにいる国民も企業も否定することはできない。それって、通貨の発行権*2そのものではないか? ならばなぜ国債の利払いをしなければならないのか?これからは、若者の希望が失われることによって、ますます選択の束としての貨幣の価値が下がっていく時代だ。利払いをすることにより国家が破たんし、国債そのものの価値がゼロになるのであれば、利払いを続けることの方がナンセンスではないか?いまの体制を維持するために未来を放棄する行為以外のなにものでもない。選択の束としての貨幣の価値とは、発行する国に人が住み、商売をし、恋をして、子どもを産むことによってのみ保証される。人がそこに住み、商売をし、恋をし、子どもを産むためには、国や地方政府のサービスが不可欠だ。そのためには、財政が生き残らなければなない。その財政が、国債の利払いによって