『義公黄門仁徳録《ぎこうこうもんじんとくろく》』[江戸中後期成立か。呑産通人(呑産道人)作]巻二十七「下総国八幡宮藪を八幡知らずと申す事」 ※国文学研究資料館所蔵 (CC BY-SA) 新日本古典籍総合データベース 【原文】 然《さ》れバ、予は家臣を召し連れず、従三位《じゅさんミ》中納言の威光を以て、たとへ変化《へんげ》の物たりとも見顕《みあらは》さんに、何程の事やあらん。 殊にハ爰《ここ》も日本の内なり。 天下福大将軍の予が、今此の奥を見極むる事に、誰有つて咎《とが》むる事の有るべき様《やう》無し。 可惜《あつたら》家臣を失なわんより、予、直に入りて、変化の物に逢ひなば問答して、彼《かれ》問答に負けなバ、此の所を焼き尽し、怪しミを裂く[離く?]べし。 天下の内、何ぞ正法《しやうぼふ》に不思議有るべきや」 と、宣《のたま》ひて、更に御承引の躰《てい》も見へざりけれバ、御家臣の面/\、何《い