ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
「慰安婦はビジネス空間」埼玉県上田清司知事発言 「『慰安婦』はいても『従軍慰安婦』はいなかった。それをビジネスととらえ、そういう空間をつくる人たちがいる事実はあった」 <5月14日知事会見> 従軍「慰安婦」についての埼玉県知事上田清司氏の見解 埼玉新聞5月15日 ▼慰安婦問題について 橋下大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦問題について「当時としては必要であった」との趣旨の発言をした。 知事の所見を聞きたい。 上田知事 「慰安婦」はいても「従軍慰安婦」はいないと思っておりますのでご注意いただきたい。 軍に従事しながら慰安婦が行軍するという話しは歴史上、見たことも聞いたこともありません。 国や家族、ふるさとを守るために散った英霊の方に対して失礼だと思っています。 慰安婦がいたことは事実と思っています。慰安婦が必要だったか必要でなかったかに関しては、私は必要でなかったと思っています。 一般的に言うと
生活保護法の改案の話が出ている。先日、生活保護についての書籍を購入したところなので書影を紹介。 和久井みちる「生活保護とあたし」 生活保護とあたし 作者: 和久井みちる出版社/メーカー: あけび書房発売日: 2012/12/01メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (3件) を見る DV被害を受けて夫から必死で逃げた和久井さん。心に受けたダメージは大きく、焦るけれど働けない。生活保護を受けようと窓口にいったが、対応は冷たくまた消耗していく。ギリギリの保護費の中で買ったものも、監査ですべて調べられ、自由に買い物なんてとてもできない生活の中、マスコミの不正受給のバッシングにさらされる。生活保護受給の当事者が、本当の実態を知って欲しいと書いた本。 藤田孝典「ひとりも殺させない それでも生活保護を否定しますか」 ひとりも殺させない: それでも生活保護を否定しますか
慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。1931年(昭和6年)満州事変のさいの軍の資料をみると、民間の業者が軍隊の駐屯地に将兵相手の店を開くということが行われましたが、慰安婦という言葉はまだなく、軍隊自体の動きは消極的でした。 翌年第一次上海事変によって戦火が上海に拡大されると、派遣された海軍陸戦隊の部隊は最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以後、飛躍的に増加します。 陸軍では慰安所を推進したのは派遣軍参謀副長岡村寧次と言われています。 その動機は、占領地で頻発した中国人女性に対する日本軍人によるレイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることを恐れて、防止策をとらねばならないとしたところにありました。また将兵が性病にかかり、兵力が低下することをも防止しようと考えました。中国
この週末もストックホルムや他の街では車への放火や警察・消防への投石がいくつか発生したが、全体としてはかなり落ち着いてきたようだ。住民による見廻り隊の効果が大きいようだ。暴動の破壊対象になりやすいのは、駐車中の車のほかには、夜間に誰もいない学校や保育所で、今回の暴動でもいくつか被害にあっている。しかし、Husbyの学校の中には住民が協力しあって、夜を徹した監視を行った結果、攻撃を免れたところもあるようだ。気が気でない校長が学校で一夜を明かした学校もあるという。 また、住民のアイデアで「石を置いてソーセージを食べに来なよ」という一種のバーベキューの企画もあり、若者・子供がたくさん集まって、グリルしたソーセージを皆で食べ、地域のシビアな雰囲気を和ませようとした、というニュースもあった。 写真の出典:Sveriges Radio 一般市民によるこのような動きは、スウェーデン語で「Goda kraf
コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は30日午後、都内で開かれた内閣府経済社会総合研究所主催の国際会議で、安倍晋三政権が進める金融緩和、財政出動、成長戦略といった「3本の矢」の経済政策について「正しいアプローチで、この3つはすべて不可欠だ」と評価した。教授は「デフレの象徴は総需要が不足しているということ」と指摘。「金融政策、財政政策の目標は需要を持続可能な形で増やすことで、それにより生
赤澤史朗『靖国神社』を再読する。 (たぶん)知られざる良書である。 いつもどおり、興味のあるところだけ取り上げていく。 「靖国神社の祭礼には、競馬やサーカスなどの娯楽が付きまとい、多くの観衆が集まった」というふうに、庶民にとって靖国神社が親しい存在だったことを説明する研究がある(20頁)。 だが、戦前の靖国神社は、神社が強力な軍の管理下に置かれていたし、また例大祭などの祭典に正式に参列できるのは、軍や国家の代表者だけであって、庶民はもとより、遺族すらも参列できなかった。 戦前期には、祭礼の合祀に際して、遺族は合祀祭への参加を許されず、かろうじて招魂斎庭から、本殿に向かう御羽車を拝んで見送ること、祭典終了後の昇殿参拝が認められただけであった。 戦前における靖国神社の遺族に対する位置づけは、実はこのようなものである。 遺族会として勢力が強くなるのは、戦後のことである。 ところで、上記の「庶民に
ちょっと前に、次のようなタイトルの記事を見てびっくりしたことがある。 セルフパブリッシングはなぜ初音ミク足りえないか? これを見たときは、頭が痛くなる気持ちだった。 電子書籍とはいえ、「書く」ことに携わる人間が、どうやったら「足りえない」なんて書き方ができるんだ? と。 そう思ったが、その時はただ「こんなアホもいるのか」と、個別の人間の問題に帰して流してしまった。 しかし、つい先日、次のような本を目にして言葉を失った。 誤訳も芸のうち―文芸翻訳は一生の仕事足りうるか (柏艪舎文芸シリーズ)posted with amazlet at 13.05.29山本光伸 柏艪舎 売り上げランキング: 406,117 Amazon.co.jpで詳細を見る*1 「文芸翻訳は一生の仕事足りうるか」という副題。 これは電子書籍ではなく、紙の本だ。 出版されるまでには、何人もの出版関係者の手を経ているはず。 そ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く