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  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「児童福祉の充実」この当たり前のことができていない。 -鈴木大介『家のない少女たち』雑感-

    鈴木大介『家のない少女たち』(2008年)を読んだ。 書は、児童買春が法で禁じられている日において、その違法行為をすることで生き延びている者たちの実態を描いたルポルタージュである。 今回は、その具体例に触れた文に対する感想は書かない。 ここでは、書のあとがきに当たる個所で、著者が雑誌掲載記事では書けなかった、児童福祉に対する「政策」(と思い)について書いているので、簡単に紹介する。 児童自立支援施設の場合、児童養護施設から送られてくる子供が半数以上である。 (児童養護施設において、触法行為がかさむと児童自立支援施設へ送致されるしくみになっている。) その多くが、ADHD、LD、場合によってはアスペルガー、軽い知的障害とみられる場合が少なくない(249頁)。 朝起きると歯磨き粉のチューブ1べてしまったり、鉛筆1べて死のうとする者もあるという。 児童福祉の課題は、常に他の問題

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    haruhiwai18 2014/09/10
    "児童自立支援施設の場合…畑違いの現場から飛ばされてくる""公務員だから、一定期間勤めたら異動""ところが、子供からすれば 職員は親であり その親が 3年か4年でさよならしてしまう" →制度と軋み。/今更セルクマ
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「皇室中心・国家本位」と「朝鮮人虐殺」からみる、警察の歴史 -大日方純夫『警察の社会史』を読む-

    大日方純夫『警察の社会史』を読んだ。 以下、気になったところだけ。 実際には娼妓の自由廃業の前には、依然としてたかい塀がたちふさがっていた。 (略) 遊郭主と警察が結託して、廃業を願う娼妓がいると遊郭主をよびだして「示談」にさせたり、警察官が娼妓を「説諭」して廃業を思いとどまらせるなどということが多かったのである(吉見周子「売娼の実態と廃娼運動」)  (33、34頁) 日における「自由廃業」というものはこういうものであった。 特攻などにおける「自由意志」というのも、こうした文脈で考えた方がよい。 少なくとも戦前、今もそうなのかもしれないが、「自由」に自由が足りない。 日清戦争後の産業革命による紡績業の急成長は、労働力の不足をまねき、専業の紹介人や会社に属する募集人が、詐欺まがい、誘拐まがいの方法で女工を遠隔地から募集してきたという(中村政則『労働者と農民』) (65頁) 日清戦争あたりか

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    haruhiwai18 2014/09/06
    "自警団は実質、警察の肝いりであった。その自警団の犯罪を問うことは、警察の落ち度につながりかねない。ゆえに、その責任は回避されることになった。" →セルクマ。/振り返る、警察の歴史。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「非モテ」演出と私小説、あるいは、<岩野泡鳴 VS 猫猫先生>という「私小説」に期待する話。 -小谷野敦『私小説のすすめ』-

    小谷野敦『私小説のすすめ』を読んだ。 あの先生が書いた、と理解していれば、実に面白く読める。 小説に興味のある人は、読んで損なし。 知識は間違いなく身に付くし、著者の主張から学ぶべきところは多い。 「文学とか文学史からみればかなり画期的で重要な指摘とも思われるものが、下世話な話題と並べて、(印象としては)ポンッと書かれている、という事もできる。そういうふうに長所と短所(というかもったいないところ)を持っているである。」という、同著者『反=文芸評論』に対するAmazonの評が、そのまま当てはまる。 (面白いネタを書いてくれているので、著者の主張に偏見やこじつけっぽいのが混じっているにも関わらず、それでも読む価値が十分ある、などと書いてはいけない。) ただし、あの先生が書いている。(大事なことなので、二回書きました) 以下、特に面白かったところだけ。 プロを目指す人というより、ともか

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    haruhiwai18 2014/08/16
    "実際のところ、著者の体験をどこまで基にしているのかは、実はそこまで著者の好みには影響してないような気がする" →今更のセルクマ。/米欄に「小谷野敦」を名乗る人から米があったので返信しますた。
  • もちつけblog(仮) 「天皇にしても、ほかの権威にしても、国民にとっては与えられたもの」と大平正芳は書いた。 -福永文夫『大平正芳』再読- 

    福永文夫『大平正芳』を読んだ。 大平について、以前、阿片の件でブコメをしたので、久々に書を読んだ。 amazonで評者さんの一人が引用しているように、「大平は極端を嫌い、矛盾する事象に楕円のバランスをとり、粘り強い対話を重視した。また政府の役割を限定していく、小さな政府の先鞭をつけた政治家」だった。 バランサー型政治家であり、小さな政府を志向した人だった。 某小泉氏や、現総理とはえらい違いである。 小さな政府。 では、どんな「民」(民間、市民)を彼は考えたのか。 以下、面白いと思ったところだけ取り上げる。 (なお、同じ著者だと、『占領下中道政権の形成と崩壊 GHQ民政局と日社会党』も重要である。) 大平は卒論・「社会職分と同業組合」で、トマス・アクィナスの政治思想の根幹である「社会全体の共通の目標」を取り上げた(31頁)。 その論文において、この目標を実現するためには、社会の一構成員が

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    haruhiwai18 2014/08/08
    "占領軍が日本古来の権威をすべて砕くことを指向していたのに、日本人の抵抗が意外なほど弱かった"" 「天皇にしても、ほかの権威にしても、国民にとっては与えられたもの」" →セルクマ。/保守本流の知性。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「兵士は天皇のために死んだ」という建前が消えた戦後 -小沢郁郎『つらい真実 虚構の特攻隊神話』再読-

    小沢郁郎『つらい真実 虚構の特攻隊神話』を再読した。 これで何度目か。 すでに他のブログさんで取り上げられている( これとか、これ。あとはこれも )が、「特攻」を知る際、読んでおきたいの一つだ。 とりあえず、書いておきたいことだけ。 大西瀧治郎が発案したとされる海軍の特攻作戦だが、実際は、中沢佑作戦部長は、神雷部隊の編成に同意していた。 (この部隊は、特攻兵器「桜花」の専門部隊である。) そして、大西の特攻隊編成以前に、軍令部レベルで、体当たり戦術が海軍戦術として公式に採用されていた。 大西が「発案」というのは、正しくなかったのである(116頁)。 (もう少し詳しい話は、こちらのブログさんの記事をご参照あれ。) 戦前、海軍省は、天皇のために特攻隊員は献身して死んだ、というふうに書いた。 だが戦後になると、天皇のためとは言われなくなり、家族や同胞を含む民族のために死んだ、と言われるようにな

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    haruhiwai18 2014/07/12
    "だが戦後になると、天皇のためとは言われなくなり、家族や同胞を含む民族のために死んだ、と言われるようになった。""「天皇」が隠ぺいされた" →とりあえずのセルクマ。/シリーズ・消えた"天皇"を追え(違
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) ともあれ、「加害者の顔が見えない"和解"は茶番である」というような話。 -梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』再読-

    梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』を読んだ。 2011年に出た良書である。 久々に読んだが、やはり面白かった。 3年前のだけど、古びていない。 (あまり関係のない話だが、例の「壁と卵」のスピーチの問題点は、「卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます」と述べ、「焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たち」を支持する者が、果たして、抑圧されるがゆえに武器を手にとった「卵」に対してどう向き合うのか、また、もしその返答が例の小説だとするなら、あの小説はどう見てもその回答として不十分としか言えない、という点と、そして、あのスピーチは「壁」が「爆弾・戦車・ミサイル・白リン弾」と「システム」と二種類出現していて、「システム」変えようぜと言うのは”そーですね!”(アルタ風)という返答しかないのだが、一方の、「爆弾・戦車・ミサイル・白リン弾」を使用する側の「卵」の加害への責任はどうするんだよ、という二つの点

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    haruhiwai18 2014/07/04
    "梶谷懐『「壁と卵」の現代中国論』再読" →セルクマ。/↓なぜ著者を呼んだし!?w/↓「惜しむらくは仕事を完遂する前に死ぬのが確実」一方そのころ蓮實先生は(ry/田川については昔書いたhttp://bit.ly/1moSIDc
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 日米関係における「血を流す」というレトリック 豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(1)

    ・豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』岩波書店 (2007/07) ■気を回しすぎた日、リアリスティックな米国■ 日の政府や外務省が、日の側から米国に沖縄の返還を求めるならば「米国の感情を害するであろう」とか、「米国の反発を招くであろう」と逡巡しているなかで、ライシャワー駐日大使をはじめ米側関係者が、「祖国復帰」を求める沖縄の広範な世論状況を放置するならば基地の維持それ自体が困難になるであろうと判断して、文字通り事態を”先取り”する形で国政府に決断を迫ったのである(我部政明『沖縄返還とは何だったのか』)。  (75頁) 日の情緒的な外交と、アメリカのリアリスティックな外交という、対照的な対比。これが「安保条約を軸とした戦後の日米関係を根幹で規定してきた」、と著者は述べています。 日の対米外交においては、「米国の感情を害するであろう」とか、「米国の反発を招くであろう」とかの、気の回し

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    haruhiwai18 2014/07/03
    "著者の批判は②に当たります。アメリカは血を流し、日本は血を流さないという事実関係を無視した主張は、沖縄のことを忘却しているのです。" →今更のセルクマ。/このレトリック、まだ使ってる奴がいたのでブクマ
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「謝罪」、責任をきちんと認めるということ -中尾知代『日本人はなぜ謝りつづけるのか』について-

    中尾知代『日人はなぜ謝りつづけるのか』を読む。 以前、日英和解の記事が話題になって、それで書を再読した(二度目)。 タイトルはアレだが、いたってマトモな。 こちらの書評が一番丁寧である。 気になったところだけ。 ある捕虜の未亡人について(39頁)。 彼女の夫は、捕虜時代の後遺症で次々に病気を発症した。 そのため、彼女の人生はほとんどが、病院通いと介護で費やされた。 しかし、病院費用の領収書を持って行政の福祉課を訪れても、相手にもされなかった。 こうした死亡者リストに入らずに存命した者でも、多くの者が心身衰弱の後遺症で早世している。 そして著者は思い出す。 母校の高校の恩師でシベリア抑留の経験者が、ふとした風邪で早世してしまったことを。 「一度徹底して痛めつけられた身体は、外見からはわからない後遺症を抱える」。 「捕虜」の問題とは、戦争終結で終わっているのではなく、戦後の後にも続いてい

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    haruhiwai18 2014/06/19
    "多くの捕虜にとっての謝罪は、非人間・モノとして扱われた自分が、人間として認証され、対等な存在として証明されること""尊厳の回復によって、関係を築くことが、和解の意義" →今更のセルクマ(忘れていた)。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) なぜ日本は女性ホームレスが「少ない」か。あるいは、「自立」・「自律」再考 -丸山里美『女性ホームレスとして生きる』について-

    丸山里美『女性ホームレスとして生きる』を読んだ。 珍しい女性ホームレスを扱った書だが、その実態を論ずるだけではなく、女性ホームレスの存在を通して所謂「主体性」への批判的吟味にまで達している。 そもそもなぜ、日は女性ホームレスが「少ない」のか。 例えば、他の先進国の場合、DVなどを理由にシェルターに逃げ込んだ人も、統計的にホームレスに当てはまり、そのため女性ホームレスにカテゴライズされる人が多いのに対して、日の場合は統計に入らないため、数が少なく算出される。 また、日の雇用制度の帰結として、男性の場合、労働者として福祉の網から外されやすいのに対して、福祉制度の保護(生活保護)を比較的受けやすい女性は、その分ホームレスになりにくいかった。 こうした理由から、女性がホームレスとして(統計的にも実質的にも)表れにくい、という日の事情が、書では説明されている。 (日の雇用形態の場合、女

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    haruhiwai18 2014/06/15
    "なりたい主体になるために、急くことなく じっくりと選択をできるために、そして その選択が尊重されるためにこそ、継続的な支援が必要" →セルクマ/本書の持つ射程はとっても長い(こなみかん/いくつか御返事書く
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) マナーは思いやりではなくて、単なる他者との共存のすべである、という話。 -野矢茂樹編『子どもの難問』を読んで-

    野矢茂樹編『子どもの難問』を読んだ。 幾人もの日を代表する哲学者たちが、「子どもの難問」に、こたえていく内容。 一つの問いあたり、二人の哲学者が担当しており、その対比も見どころ。 じつは、最大の読みどころは、巻末に載っている哲学者たちの出身地と履歴だったりする(マテヤコラ。 (あながちウソではない。みんな、当然だが、高学歴である。)。 書の哲学者の回答の中から、特に興味深かったところだけ。 誰がその回答をしたのかについては、実際に書をあたられたい。 「生きている」のは、「生きている」こと自体を深く経験するため。これが、あえて言えば、「なぜ」に対する私の答えです。/「あえて言えば」と言ったのは、「生きている」ことの自己目的性を強く意識しすぎると、それはそれで、深く経験することを阻害するようになると思うからです。ちょうど、眠ろう眠ろうと意識しすぎると眠れなくなってしまうように。 (78頁

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    haruhiwai18 2014/06/07
    "最大の読みどころは、巻末に載っている哲学者たちの出身地と履歴だったりする(マテヤコラ""あながちウソではない。みんな、当然だが、高学歴" →一応のセルクマ。/マナー論とプライバシー論が特におすすめ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「巴御前は、木曽義仲の「妻」じゃなくて、「便女」なんですよ」というお話。 田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む

    田中貴子『検定絶対不合格教科書古文』を読む。 中身は実にまっとうな。 信じられないかもしれないが、実に、まともだw 清少納言は、高慢ちきな女として一般に思われているけど、実際の所、彼女が『枕草子』に書きたかったことって、中宮を中心とするサロン文化であって、自分の自慢話でも何でもなかったんだよ、と著者は言う(65頁)。 詳細は書を当たられたいが、確かにその通りだろう。 また、著者は、『枕草子』には随筆以外に短い物語も入ってるんだから、内容的には、「清少納言全一冊!」見たいな感じじゃないの、といっている。 『笑い飯全一冊』の隣に、『清少納言全一冊』がある光景を想像したw 何で古典なんぞ研究すんのか。 めんどくさいのに。 研究とはテクストに疑問を持つことから始まる、と著者は言う。 一見アタリマエに思えることに一瞬立ち止まってみる(104頁)。 それが、懐疑し、思考する力を培う(著者は、「脳力

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    haruhiwai18 2014/06/07
    "当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない""後代のものを見ても、確かに木曽義仲には、ちゃんと他に妻がいる" →今更のセルクマ。/↑一応のお返事を書いておきました。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 短歌などまるで詠む気は無いけれど「尾崎かまち」は自殺ですよね -枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読む-

    枡野浩一『かんたん短歌の作り方』を読む。 一見不真面目な著者だが、実は歌への姿勢は真摯であり、真面目。 句読点をつけると、どんな退屈な言葉だって一見意味ありげに見えちゃうんです。それは危険なワナ。記号なんか全部捨てても通用するような強い言葉を構築しましょう。 (79頁) 小細工なしの真っ向勝負を道とする、実に正統派な姿勢。 いっそ作家の皆さんはこの姿勢を見習って句読点なし改行なしの文章を一度でいいから綴ってみてはいかがでしょうか実際近いものとしては大谷崎『春琴抄』があるのですし出来ないことはないのだと思いますよブログ主はもちろんそんな無謀なことはしないですけどね 先立ったわが子の遺書を売る親よ尾崎かまちは自殺じゃないか (109頁) 著者の歌。 言うまでもなくここでいう「尾崎かまち」は架空の人物だが、なぜか問題が発生したらしい。 さて、なんでなんでしょうね? 文章は、お互いに意見の合う人

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    haruhiwai18 2014/06/07
    "文章は…むしろ、自分とは相いれない、大嫌いな人にこそ読んでもらうべきなんです" →今更のセルクマ。/もちろん、 「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」の話も出てくるよ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「正解はひとつじゃない」、という漢詩の訓読に対する教訓 -あと、謝霊運について少し- 齋藤希史『漢文スタイル』(前編)

    齋藤希史『漢文スタイル』を読む。 記事の中に、重複する箇所がいくつもあるけど、それを差し引いても実に面白い。 中国における隠者たち、隠遁して政治の舞台から隠れて生きる人々。 陶淵明とか、想像するとわかりやすいと思う。 この隠者たちは、前代の隠者の伝記を読んで、それに注を施したりしている。 つまり、書物によって、隠者は再生産されているのだ(19頁)。 隠者の伝記を読み、それをなぞった文章を書き、実際に隠者の生活を選ぶ。 陶淵明の「五柳先生伝」がいささか諧謔みを交えて書かれているのは、そのためだったりする。 実に面白い指摘。 人は、隠者を真似て、隠者になるのね。 謝霊運の場合、詩によって美を見出すだけでなく、山水に手を加え、更なる美を実現することに躊躇しなかった(43頁)。 別荘や庭園の造築に熱心で、数百人の従者を連れて木を切り倒しまくったらしい。 土木干拓事業も行った。 「山水詩」の祖は、こ

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    haruhiwai18 2014/05/30
    "書物によって、隠者は再生産されている""訓読…あくまで訳読なわけだから、読み下しは何通りもあるはず""人を自由にするため、楽しませるためじゃない訓練なんて、意味がない" →昔のやつをセルクマ。
  • 「士大夫」という非ナショナリズム性、そして他者から「見られる」ことから生まれたナショナリズム -ついでに『敗戦後論』について少し- 齋藤希史『漢文スタイル』(中編)

    齋藤希史『漢文スタイル』を再び読む。 なぜ、著者は、「漢文脈」にこだわるのか(「漢文脈」って何?ってひとはググってね)。 幕末・明治期の人、竹添井井『桟雲峡雨日記』(中国・蜀地方に滞在していた時の日記)に言及して著者は言う。 彼の記述の中には、「日ではこうなのに中国ではこうだ式の文化論はない」、と。 士大夫に国境はないのである。 (136頁) もしかしたら、著者は、国家という近代的な枠組みを相対化するものとして、漢文脈を考えているのではないか。 おそらく、それは正解だろう。 もちろん、漢文脈には、身分格差といった限界があるかもしれないけれど、一方で、"越境"という可能性も残す。 そういった可能性が、この「漢文脈」には賭けられている。 対する、後の世代に当たる森田思軒の訪中記事「訪事日録」の場合、日中という違いはアタリマエのものとなっている。 彼の場合、「漢文」の伝統を離れた代わりに、現地

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    haruhiwai18 2014/05/30
    "我々はまず、他者(日本人以外)に対して日本人であって、少なくとも、それを忘れた議論などナンセンスだろう、と思う" →再度のセルクマ。/ナショナリズムについて/ついでに、『敗戦後論』の問題について
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) あなたが芸術を習うことの意味について -アラン・ド・ボトン『旅する哲学 大人のための旅行術』番外編-

    アラン・ド・ボトン『旅する哲学 大人のための旅行術』を読んだ。 以前、同じ著者による『プルーストによる人生改善法』についても取り上げたことがあるが、やはりこのも面白い。 特に面白いと思ったところだけ取り上げる。 ディオゲネスは「ギリシア人とギリシア人以外という区別の立て方を軽蔑し、『きみの国はどこか』と聞かれると『わたしは世界市民(コスモポリタン)だ』と答えたと伝えられる。」(129頁) よく知られているエピソードだが、引用した。 何々人という聞かれ方、決め付けられ方、断定のされ方、そういったものから逃れるためにディオゲネスはこう答えた。 彼にとって、世界市民とは、「ギリシア人」として区別されることへの抵抗であり、何かに所属することへの抗いだった。 「犬のディオゲネス」とまで言われた人物である。 もし、当に世界政府が出来たら、その時には、彼は自らを「宇宙市民」と称するのかもしれない。

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    haruhiwai18 2014/05/18
    "ラスキン曰く、「わたしは風景のほうが絵より遥かに重要だと信じている。…絵を教えるのは、生徒が自然を愛することを学ぶためであって、絵を描くことを学ぶために自然の見方を教えるのではない。」" →セルクマ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 「きれいな被害者」を求める社会は、幼稚だと思う。 -宮地尚子『トラウマ』雑感-

    宮地尚子『トラウマ』(岩波新書)を読んだ。 トラウマとは何か、そしてトラウマに関する諸々を学べる良書。 初心者にもとっつきやすい。 興味を持ったところだけ書いていく。 裁判などで「事件の次の日も平気で仕事に行ったのは不自然」ということで犯罪報告の事実が否認されることがありますが、被害者が事件の次の日に仕事に行くというのは珍しいことではありません。(略)あまりに衝撃が強く、感情が麻痺してしまうために、事件後の被害者や遺族が「冷静」に見えるということは、少なくありません。 (12頁) トラウマとは、人間が抱えるにはあまりにも大きすぎる。 それは、"平時"に生きる人間には、推し量りづらいものだ。 上記のくだりは、まさにそれを表している。 犯罪被害者に対して上記の点を気を付けたい。 トラウマに「慣れる」ということはなく、むしろ次のストレスへの耐性を弱め、他の人にはトラウマにならない些細なことがトラ

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    haruhiwai18 2014/05/06
    "裁判などで「事件の次の日も平気で仕事に行ったのは不自然」ということで犯罪報告の事実が否認されることがありますが、被害者が事件の次の日に仕事に行くというのは珍しいことではありません" →セルクマ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 山県有朋の処世から、陸軍が投げた大ブーメランまで -大江志乃夫『日本の参謀本部』を読む-

    大江志乃夫『日の参謀部』を再読した。 もう古典になった気もするが、まだまだ読むべきところは多い。 ちなみに、Apemanさんも感想を書いている。 面白かったところだけ。 山県が(略)その地位を保持することができたのは、情報政治に負うところが大きい。山県は近代日きっての情報政治家であった。 (28頁) 山県が情報政治家として成功した原因のひとつは、(略)そのダーティーな職責を果たした人物を決して使い捨てにはしなかったことにあるといえよう。森鴎外もその一人であったといえるかもしれない。 (30、31頁) 諜報、情報の人間として、山県有朋が出世したのはよく知られている。 その秘訣が、後者の引用部である。 少なくとも山県は、これのおかげで、暗殺や失脚の恐怖におびえることなく済んだ側面がある。 使った人間に恨まれなければ、例え他の人間に恨まれたとしても、そうそう揺るがない、ということでもある。

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    haruhiwai18 2014/04/13
    "児玉総参謀長の不在中""大山総司令官は…総司令部スタッフの掌握につとめた。児玉総参謀長が総司令部にあるときとは別人の観があった" →某雑誌でこの二人の特集(PHPクオリティだったw)があったので再ブクマ
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) とりあえず、京の都は「日本的」ではないよね、みたいな話 -渡辺浩『日本政治思想史』について-

    渡辺浩『日政治思想史』を読んだ。 かなり面白い。 過去に著者が行ってきた講義が原型となっているためか、初心者にもわかりやすく(こっちは初心者ではないが)、江戸の政治思想(政治だけではないけど)が、よく理解できる良書。 江戸期の「思想」が現代人にとって奇異なものではなく、ちゃんと相応に納得できる部分があることがわかる。 以下、興味のあるところだけ。 それぞれに自分らしく生きることが、それ自体として良いことだなどとは、儒学者は考えない。(略) ヒトラーがヒトラーらしく生きたことの結果を知らない者がいるだろか (16頁) これは、儒学の説明において述べられた一節。 自分らしく個性を生かそう、という場合、たいてい善いところしか想起されないが、個性は、必ずしも善いところばかりではない。 とうぜん悪いところは矯正しようとするだろう。 とすれば少なくとも、何らかの「善」を想定せざるを得ないのは確かだ。

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    haruhiwai18 2014/03/23
    "武士としての出世は無い。努力のしようさえ無い""下級武士による革命""彼らの不満、これこそが江戸幕府を倒す原動力""こう考えると、維新が起こらない方がおかしいような気もしてくる" →セルクマ。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) かつて、学校が生徒に、電話のかけ方から貯金の仕方まで教えていた時代があった。  -広田照幸『教育論議の作法』を読んで-

    広田照幸『教育論議の作法』を読んだ。 面白いし、これまでの広田先生の著作のおさらいにもなる。 特に興味深かったところだけ、以下に取り上げる。 1947年に教育法案が国会で審議されていた時、貴族院議員の澤田牛麿が質問している(38頁)。 この法案はには道徳が書かれているが、「法案ぢゃなくて、説法ではないか」と批判したのである。 法律と道徳の区分はこの時点で、すでに理解されていたのである。 ああ、時代は後退している。 吉川徹『学歴分断社会』を参照しながら、著者はいう。 誰もが同じ学歴を取得するのは無理なのだから、労働市場に目を向け、安定した仕事が高卒に割り当てられるような制度的調整が必要ではないか、と(59頁)。 (むろん、大学の学費は、親の収入ではなく、公費によって賄うべきだろうとは思う。) 学歴格差を埋めるのはその質において困難なのだから、そのあとの雇用段階での格差を縮めようというの

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    haruhiwai18 2014/03/10
    "1950年代に静岡で行われた調査によると、服装や礼儀作法、食事の作法、衛生習慣、予習復習のしつけ、貯金等、多方面にわたって、学校が行っていた。" →セルクマ。/"文明"発信の地だった学校の話。
  • もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) ドイツ人の中のマイノリティ ・ヴォルガドイツ人 平野洋『伝説となった国・東ドイツ』(3)

    ■「俺たちの女」を盗られたネオナチ■ 以前聞き取りをした東のネオナチの青年たちは、反外国人の理由として「仕事を奪う」の他に「俺たちの女を盗る」ことをあげた。 (176頁) この根拠のない「所有」意識こそ、ナショナリズムの中にあるジェンダーバイアスを考える鍵になると思います。言いたい放題のネオナチですが、こういう思考は、他国の男性全般が、もち得るものかも知れません。 なお著者は、『黒い性・白い性』と、『フェミニズムの宇宙』を注として挙げています。 ■ユーゴ難民に対する、西ドイツの老婦人による不当な批判■ 「彼らはドイツの豊かさに目が眩んで、戦争が終わってもこの国に残りたがるのね。」 (208頁) これは、ドイツに流入するユーゴ難民についての西ドイツの老婦人の発言です。 自分は故郷のベルリンが瓦礫の山になっても疎開先から帰ってきたのに、と彼女は述べます。著者は次のように反論します。彼女のときは

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    haruhiwai18 2014/03/03
    "ヴォルガ・ドイツ人は、ロシア文明と西欧文明をつなぐ架け橋だった。先進的な農業の技術や方法、さらには文化・伝統をヴォルガ地方の諸民族に伝え、普及させることにも貢献した。" →今更のセルクマ。