佐藤信淵がその生涯で実際に手腕を振るったのは綾部藩の藩政改革のみである。これは成功しなかった。施した政策も過去の改革にある定石通りのもので、彼が著作で主張したような、いわば独創的なものではなかった。宇和島藩からは諮問役といったふうの待遇を受けていたが、藩邸や藩地に招かれたこともなく、藩主にお目見えを許されたこともなかった。家中の者を入門させ、彼らを通じてその学説を学ばせるのみの関係であった。彼が著書で述べる自身の「家学」や己の華麗な経歴はほとんどが嘘であった。そして最も致命的なことに、彼の主張はそのための現実的な条件に欠け、基本的に机上の空論であり、たとえ採用されても実現不可能であった(彼の弟子となった宇和島藩の家臣が実験してみてそれが証明された)。 しかし著者は彼の蹉跌と不遇の原因を、彼が「東北の一辺の土民の子」であったことと、江戸時代の身分制度の硬直性に求めている(233-234頁)。
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