2012年2月9日のブックマーク (12件)

  • 「原発救った命綱」仮設電源ケーブル…福島第二 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    電力を供給する仮設ケーブルを視察する福島県と地元の楢葉町、富岡町の担当者ら(8日午後、福島第二原発一号機付近で)=佐藤俊和撮影 東日大震災以来、初めて報道陣に公開された東京電力福島第二原子力発電所。 敷地内には津波の爪痕が残るが、原子炉建屋や格納容器内に損傷はほとんどなく、メルトダウン(炉心溶融)から水素爆発に至った第一原発との違いが際だった。 「これが仮設の電源ケーブル、第二原発を救った命綱です」。敷地内に巡らされたケーブルを指し、福島第二原発の設楽親(したらちかし)副所長(52)が説明した。昨年3月11日の震災直後、ヘリコプターで東電の資材センター(茨城県土浦市)から運び込んだ。100人を超える作業員が12日未明から2日間、夜を徹して敷設し、冷却に必要なポンプに電源をつなげ、津波で失われていた冷却機能を回復させた。 海岸近くでは津波で破損した設備が見られたが、1号機南側には高さ約4メ

  • 河北新報 東北のニュース/福島第2、震災後初公開 1、2、4号機の復旧作業続く

    福島第2、震災後初公開 1、2、4号機の復旧作業続く 福島第2原発の1号機原子炉建屋地下で、津波で浸水した非常用発電機を視察する福島県などの調査団(代表撮影) 東京電力は8日、東日大震災により停止中の福島第2原発(福島県富岡、楢葉町)を、震災後初めて公開した。同日の県の立ち入り調査に合わせて行った。1~4号機のうち3号機を除く3基が津波で原子炉冷却機能を一時失い、現在も復旧作業が続いている。  県の古市正二生活環境部次長らが、原子炉建屋への浸水抑止を目的に震災後に設けられた高さ4メートルの仮設堤防や、高温の原子炉冷却水を冷ます設備を視察した。  津波は海抜15メートルの高さで、海抜12メートルの原子炉建屋とタービン建屋に押し寄せた。建屋は鉄筋コンクリートで大きな被害はなく、被災設備も大半が撤去済みだったが、熱交換器建屋にはたわんだシャッターが残り、津波の威力をうかがわせた。  震災当時は

  • asahi.com:「冷温停止」仮設設備で 福島第二原発-マイタウン福島

    ●県、4基の廃炉求める 震災後、報道陣に初めて公開された東京電力福島第二原子力発電所。冷温停止状態が仮設の設備によって保たれている状態が明らかになった。県は東電に対し格的な安定状態にするよう指示すると共に、第二原発の4基を再稼働させず、廃炉にするよう求めた。 ●1号機に被害集中 原子炉が入る建屋。白く塗装されたコンクリートの外壁には、薄茶色の線が横に伸びる。地上3〜4メートルに達した津波の傷痕だ。 原発4基が南北に並ぶ第二原発。すべて同じ標高に立つが、津波の被害は南端の1号機に集中した。 いま、1号機の海岸線近くには巨大な土嚢(ど・のう)の袋が積み上げられ、高さ4メートルの防潮堤が応急設置されている。津波で破れた建屋の一部は木製の板でふさがれ、外壁には太さ4センチほどの応急電源ケーブルが数の束になり、導き入れられていた。 1号機は3月11日、大量の海水が入り、第一原発と同様

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    haruka_mirai
    haruka_mirai 2012/02/09
    第二原発4号機の燃料を年内に取り出し 震災後初めて公開
  • 福島第2原発、巨大津波の爪痕生々しく 内部公開 ゆがむシャッター、高さ3メートルの壁に汚れ - 日本経済新聞

    東京電力は8日、東日大震災で被災し、冷温停止状態になっている福島第2原子力発電所を震災後初めて報道機関に公開した。福島県などの立ち入り調査に伴う公開。1号機原子炉の建屋には巨大津波の爪痕が生々しく残り、室内には仮設の電源ケーブルが張り巡らされていた。県や同原発が立地する富岡町、楢葉町の調査団はこの日、1号機原子炉建屋で、津波で浸水した非常用発電機の復旧状況や、使用済み燃料の保管状況を確認。4

    福島第2原発、巨大津波の爪痕生々しく 内部公開 ゆがむシャッター、高さ3メートルの壁に汚れ - 日本経済新聞
  • 冷却機能停止、大惨事と紙一重だった…福島第二 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    4号機の原子炉圧力容器底部の下を視察する福島県などの担当者ら。ケーブルがついているのは中性子の計測管などで、第一原発では、こうした部分から溶融した燃料が格納容器の床まで落下したとみられる(8日午後)=代表撮影 東日大震災で被災した東京電力福島第二原子力発電所が8日、震災後初めて報道陣に公開された。 震災当時から現場を指揮してきた増田尚宏(なおひろ)所長は、報道陣に対し、「(大惨事を招いた)福島第一原発と同様の事態になるまで、紙一重のところだった」と震災直後の緊迫した状況を振り返った。 第二原発と、メルトダウン(炉心溶融)に至った第一原発までの距離はわずか約12キロ・メートル。襲来した津波は第一原発の13メートルに対して第二原発は9メートルと低く、浸水は建屋の一部にとどまったが、海岸近くにある原子炉を冷却するための海水ポンプの機能が奪われた。4基中3基が一時危険な状態に陥り、「原子力緊急事

  • 朝日新聞デジタル:ゆがんだシャッター・浸水の跡…福島第二原発を初公開 - 社会

    印刷 関連トピックス地震原子力発電所東京電力東京電力福島第二原発4号機原子炉格納容器内の底部を視察する福島県などの調査団。頭上には原子炉圧力容器の底に通じる制御棒の装置や中性子の計測機器が見える。福島第一原発では溶けた燃料がここから落ちたとみられている=8日午後、福島県富岡町、代表撮影東京電力福島第二原発4号機原子炉格納容器内の底部を視察する福島県などの調査団。頭上には原子炉圧力容器の底に通じる制御棒の装置や中性子の計測機器が見える。福島第一原発では溶けた燃料がここから落ちたとみられている=8日午後、福島県富岡町、代表撮影  東日大震災で被災した東京電力福島第二原子力発電所(福島県楢葉町、富岡町)が8日、震災後初めて報道陣に公開された。炉心溶融や爆発は避けられたものの、冷却設備が津波で損傷、国内の原発で過去になかった「レベル3」の深刻な事態に陥った。現場では冷却を安定化する復旧作業が進ん

  • 福島第2原発も「あわや炉心溶融」だった 「紙一重」で避けられた理由

    実は福島第2原発も、「紙一重」で第1原発と同じ事態に陥るところだった――。第1原発では、炉心溶融や原子炉建屋の水素爆発に至り、今も多くの周辺住民らが避難生活を余儀なくされている。 いったい何が第2原発と第1原発とを分けたのか。事故発生当時からの責任者が報道陣にあらためて説明した。 「初公開」で増田所長が説明 福島県の楢葉町と富岡町にまたがる福島第2原発が2012年2月8日、震災後初めて報道陣に公開された。第1原発から南に約12キロ離れている。当時から現場で指揮を続けている増田尚宏所長は、記者らに「福島第1原発ほど状態がひどくならなかったが、紙一重だったと思う」と振り返った。 事故発生当時の第2原発と第1原発の状況の違いは、次のようなものだった。 震災発生は2011年3月11日15時前。第1原発ではほどなく、津波被害のため「全電源喪失」が確認された。夜には原子力災害緊急事態の宣言が出され、半

    福島第2原発も「あわや炉心溶融」だった 「紙一重」で避けられた理由
  • 鹿島、立て坑も地質調査せず…トンネル5人不明 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    岡山県倉敷市のトンネル5人不明事故で、浸水した海底トンネルの工事を請け負った鹿島が、横坑周辺の地質調査だけでなく、立て坑を掘る前の地質調査も実施していなかったことがわかった。 鹿島は「約10年前に隣接して造った別のトンネル工事で、立て坑の地質調査をしており、そのデータで十分と判断した」としているが、専門家は「安全管理上、調査は必要」と指摘する。 鹿島はこれまで、横坑の地質調査について、今回と約10年前の工事の両方で行っていなかったと公表している。一方、立て坑については、7日に「今回も前回も調査している」と説明。その後、「前回しか実施していない」と訂正した。 今回の工事で立て坑の地質調査をしなかった理由について、鹿島は「2のトンネルの距離が(30~50メートルと)近く、以前のデータを使っても差し支えないと考えた」と説明している。

  • 海底トンネル事故:掘削地点の地質調べず 法抵触の可能性 - 毎日jp(毎日新聞)

    大型浄化装置によって、たまった濁水が浄化されていくトンネルの縦穴=岡山県倉敷市のJX日鉱日石エネルギー水島製油所で2012年2月9日午後1時12分、宮間俊樹撮影 作業員5人が行方不明になった岡山県倉敷市のJX日鉱日石エネルギー水島製油所での海底トンネル事故で、工事会社の鹿島が掘削予定場所の地質調査をしなかったことが、労働安全衛生法に基づく規則に抵触する可能性があることが分かった。鹿島は現場から約30メートル離れた10年前の別のトンネル工事で縦穴部分の地質調査をしており、この結果を基に今回は横穴部分も縦穴部分も調査せず着工した。岡山労働局などは不適切なやり方だった可能性もあるとみて調査する方針。 倉敷労働基準監督署などによると、規則は出水や落盤から作業員を守るため、ボーリングなどで地質や地層の状態を事前に調べるよう工事業者に義務づけている。ただ調査時期に関しては「あらかじめ」とするだけで明記

  • 朝日新聞デジタル:東証トラブル、障害5時間放置し確認怠る 社長ら減給へ - ビジネス・経済

    印刷 関連トピックス富士通東証のシステム障害のイメージ  東京証券取引所で2日に起きたシステム障害で、東証と開発業者の富士通の担当者が障害発生時に予備システムが動いていないのを確認せず、約5時間放置していたことがわかった。すぐに予備システムを手動で動かせば、売買停止を避けられた可能性がある。  東証は災害時でも市場を開き、経済の混乱を防ぐなどの対応が求められている。今回のシステム障害では、十分な管理体制が整っていないことや判断ミスが売買停止という事態を招いたおそれがある。  東証は売買停止を防げなかったとして、斉藤惇社長らを減給処分にする方向で調整している。16日をめどに金融庁に原因や処分の内容を報告する見通し。 購読されている方は、続きをご覧いただけます購読されている方は、以下のような関連記事も読めます。申し込みはこちら東証システム障害 241銘柄、午前の取引停止〈仕事のビタミン〉斉藤惇

  • 富士通元社長の山本卓眞氏が残した次代へのメッセージ

    富士通の社長、会長を務めた山卓眞氏が亡くなった。哀悼の意を込めて、日IT産業界の大御所が残した次代へのメッセージを紹介しておきたい。 日IT産業の競争力向上にも大きく貢献 富士通が1月30日、同社元社長・会長・名誉会長で現顧問の山卓眞氏が1月17日に肺炎のため亡くなったと発表した。86歳だった。 山氏は、富士通が世界的なコンピュータメーカーとして名乗りを上げる原動力となっただけでなく、日IT産業の競争力向上にも大きく貢献した。 新聞の評伝などでは、米IBMとの著作権紛争をはじめ、半導体やスーパーコンピュータをめぐる日米貿易摩擦でも一歩も引かない気骨を見せた「闘う経営者」や、技術者ながら技術偏重を戒め、技術の鼻をへし折る営業こそが成功の経験則と説いた「技術と営業の両方が分かる経営者」とも。 筆者も1980年代の社長時代から幾度となく取材の機会を得たが、いつも背筋をピンと伸ば

    富士通元社長の山本卓眞氏が残した次代へのメッセージ