「日本メーカーはね,大学にはあまり質問に来ないんですよ。韓国メーカーは,よく来るんですがね」。 先日,ある大学教授の方にお会いした際,そんな話を聞いた。 「韓国メーカーが質問に来た1年後くらいに,日本メーカーが来る。そんなパターンが多い」のだという。 似たような話は,別分野の別の大学教授からも聞いたことがある。業績がさえない日本企業の行動を大学教授が憂えるという構図は,今に始まったことではなく,いつの時代にもあることなのかもしれない。「憂える」というのは,まさに大学教授のような識者の方々の役割なのだから当然だろう。 しかし,私がお話をお伺いした大学教授の方がというわけではないが,この手の話を聞いて私が感じるのは,「実は,企業を憂えている当の大学の先生方の方が,企業から見放され始めているのではないか」ということだ。 日本の大学が抱える問題点は既に「産学連携」の文脈でさまざまな場で語り尽くされ