はてな界隈 「はてな界隈」とか「はてな村」ってのは、「2ちゃんねらー」みたいなものだと思っています。 「2ちゃんねらー」は昔「絵文録ことのは」の松永さんが定義されていて、ここでもその定義に従おうと思います。 「2ちゃんねらー」と言ってもいろいろな人たちがいるのは当然である。たまたま検索結果で2ちゃんねるのページを閲覧した人も、毎日毎時間書き込んでいるvipperも、どちらも「2ちゃんねる利用者」であることには違いがない。 このページでは仮に「2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人」と定義してみたい。つまり、2ちゃんねるが批判されると腹が立つ人である。 改変が得意な方は「2ちゃんねる」の部分を「はてな」に変えてみると、「はてな界隈」が何を差しているのかわかりやすいんじゃないかと思います。 だから、「はてな界隈ってどこだよ、いっしょくたにするんじゃない」ってのは、これまた古い話で申
送り火で有名な大文字山に登ってきたので報告です。 登山といってもジーンズにスニーカーで40分ほどあれば登れてしまう山です。高尾山より道も開けているし。観光客で賑わう銀閣寺道を銀閣寺の手前で左に折れるとすぐ登山道で、人通りもとたんに激減するので快適に歩くことができます。右手に細いながら川も流れていてとても涼しい。 普段から運動している人なら散歩レベルですが、息が切れてきたころに視界が開けました。真っ先に目に飛び込んで来るのは十字の火床。 これが「大」の字の交点となる部分。 上の横棒 右の払い。段々になってるから下から見たとき綺麗につながると。でも火床の前で休憩してたら登ってきたおばちゃんが「大の字はどこにあるのかしら〜」って言いながら通り過ぎて、頂上からまた戻ってきて「これが大の字なのね!でもあたしの頭の中で大の字にならんのよ〜」と火床にダメ出ししていた。多分あのおばちゃんはメレ子以上に地図
関西人は、なぜ東京へ来ても堂々と関西弁で話すのでしょうか? 他の地方出身の人は、大抵標準語で話すのに。。
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「埼玉ジャック: ブログで何かを批判するときは抽象的に書こう」を読んで。 何かを批判することの難しさというのは、批判された側や自分とは反対の意見を持つ人からの反論に応対することの難しさ、だと思っている。 ブログエントリという少ない文字数の文章の中で、自論の全てを誰にでも分かりやすい形で書くのは非常に難しい。当然、論点に絞って書くことになる訳だが、そうすると書かなかった部分、省略した部分に反応する人もでてくる。中には、書いていないことを勝手に読み取ってストーリーを作り上げてしまう人も出てくる。 これらの反論に対して、個別にそれぞれ対応できれば良いのだけれども、発言が注目を浴びた場合などは反論のあまりの多さに言いようのない圧力を感じてしまうかもしれない。それぞれ別のことを言ってるのに、みんな自分に敵対しているかのような感覚。実は、みんな馴れ合って敵に回っているだけなんじゃないかという想像。 炎
私は「はてなダイアリー市民」ではありません(って最近メモ用に開設した「はてなダイアリー」の管理画面に書いてあった。この「はてなダイアリー市民」ってなんだろう?税金を払ってないから市民になれないのかな。でも、まあ不都合がないからどうでもいいんですが。)。でも、ココログブロガーからすると、やっぱり「はてな」は他のネットコミュニティーと比べるといいなあと思います。あっさりしたIDのつながりというか、そんな感じが心地いいなと思います。他のブログサービスを利用しているブロガーが、サブブログで「はてな」を利用するの、分かる気がします。 半月ほど前に『「はてな」のこと少しわかってきた。』というエントリを書きましたが、そのときより「はてな」のことはもう少しだけわかってきたつもりだけど、まあ、あんまりそのときの気持ちと変わっていません。ネットに自発的にかかわってから半年もたたないので、わりとニュートラルにネ
簡単に繋がってしまうがゆえに、無防備な状態で連鎖に晒されてしまうと、思っても見なかった事態に陥る。はてなを使う人々は、容赦なくツッコミをいれ、悪意など無いとうそぶく(あるいは天然である)。これに耐えられなければ悲惨な末路が。はてなにネガティブイメージをもって現状を述べるとこんなものか。 繋がりを(自分の側から)断ち切るような使い方はせっかくはてななのに勿体ないけれど、好奇心でブクマ使ってみた→他の人のコメントに違和感→はてダで軽く批判→大量のネガティブコメントという流れ(一例)はあまり愉快ではないよね。 こういうのに耐えられなければ楽しく使えないのは悲しいけれど、でも僕はみんな否定に対する耐性が低すぎるような気がする。今までの人生で自分が認められないことなんて山ほどあっただろうに、blogは否定され得ないなんて都合のいいことはありえないし。 ただまあはてなはその繋がり方によってその事象が発
私とあなたは違う人間。あなたと私は違う人間。私と他人は違う人間。 これは当たり前といえば当たり前なのだけど、これを安定して受け入れるためには、それなりの基盤が必要なんだろうと思う。 言うなれば、違う人間=敵対する人間、ではない、という認識。 この認識は双方向ある。一方向は、自分と異なる考え方、感じ方をする人に対して、それは違ってる、よくない、だめだ、と攻撃する必要は必ずしもない、ということ。*1 もう一方向はその反対。自分と異なる考えや感じ方をもつ人はすべて、常に、自分を攻撃してくるというわけではない、ということ。 自分が何か意見を述べたとき、「自分はそうは思わない。かくかくしかじかと思う」と言われたとする。「ああ、そうか、あなたはそう思うんですね。私と違いますね」と返す。 なんらかの結論を出さねばならない議論のように意見のすり合わせを行う必要がない場合は、これで済んでしまうはずなのだが、
[Misc.]知識を脳味噌に溜め込むのがオタではない (幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする) かつてのオタが文献を溜め込むだけでなく、それを脳味噌にコピーして知識としたのは検索性の向上の為と思うのだけど違うのだろうか。そしてそれは異なる作品間を縦横無尽に突っ切ったオタ思考をする為に必須の修練だったのだと思うのだけど、今や外部ストレージに保存した記憶が脳内記憶に匹敵する位の検索性を有しちゃったお陰で脳味噌側にはインデックスおいとく位で十分オタ思考が可能になっている気がする。 うむ。確かに。 ところで、ネットで検索できる時代には博覧強記の人の必要性が低下してるって話はよく言われてて、博覧強記を「ある物事について詳しく解説できる人」と解釈するならその通りだけど、しかし博覧強記の人にはまた別の使い道があって、そっちはまだ検索エンジンでは代替できてないと思う。 それは何かと言うと、一見全然関
はてぶスター導入から結構時間が経ってきたけど、こいつによってはてな界隈がどんどん民主主義化している印象を受ける。もちろん嫌な意味で。 基本的に民主主義ってのは、マジョリティにとってはますます居心地がよく、マイノリティにとってはずんずん居心地が悪くなるシステムですからね。 ある記事を読んで、自分が賛同したい意見に☆がたくさん付いていればとても良い気分になるけれど、逆に自分的には生理的嫌悪感を催して死ねばいいのにと思うような意見に☆がたくさん付いているのを見れば 「絶望した!はてな村民たちのあまりの民度の低さに絶望した!」 などと叫んでぶコメ荒らしにでも走りたくなるモノ。それは人間心理的にもはてぶスターの仕様的にも、無理のないことだといえましょう。 で、僕の見る限りはてぶスターを貰いやすい発言や人物には一定の傾向があって、それはどんな傾向なのかと言うと 飽きた。 そんな感じなので、最近のはてな
算数の授業で九九を暗記させられ、 社会の授業に日本国憲法を暗記させられ、 理科の授業で元素記号(すいへーりーべ)を暗記させられた。 だったら、情報の授業で暗記すべきことがあっても良いじゃないか!! というわけで、2ちゃんねる掲示板の書きこむ前に。。。より、この名文を暗記すべきだと思う。 頭のおかしな人には気をつけましょう 利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。 頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。 頭のおかしな人の判定基準 「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。 根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりす
年の若い後輩から恋の相談を受けた。どうやら、近所のスーパーのレジ係に惚れてしまったらしい。キュートな外見はもちろん、テキパキと商品をさばく手際の良さにグッと来たのだという。ああいう女性となら結婚してもうまくやれる。後輩の妄想は結婚生活にまで及んでいる。しかし、恋に臆病なその後輩は、未だに声をかける事すら出来ないでいる。そこで僕に相談を持ちかけた訳だ。 どうやって思いを伝えたらいいでしょうか? 一人で悶々と悩む後輩を放っておけないので、僕なりにベストな方法を考えてみました。 精算時間内にキッカケを作れ レジの女性に声をかけるには、自分の買い物を精算してもらっている間に何らかのキッカケを作るしかない。時間は限られてしまうが、逆に考えれば話しかけるチャンスは必ずあるのだ。これが、毎日通勤電車で見かける人だったりしたら、レジの女性よりも難易度が高い。 そこで、精算時間内に会話に持ち込むためには何が
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