ネットの人と会うことについて - おれはおまえのパパじゃない テラヤマさんのこの記事を読んで、自分の中で違和感があった。 文章が好きであればあるほど、なんか逆に会いたくないみたいな感じが出てきます。俺音楽とか聞かないからアレですけども、死ぬほど好きなバンドがあるとして、ずっとそのバンドを追いかけ続けたいとは思っても、友達になるのはなんか違うでしょ。友達になった時点で、そのバンドは自分の中でただの友達になりさがっちゃう。逆に自分自身も、ずっとファンだったのがファンじゃなくなっちゃう。友達になるより、ずっとファンでいたいんですよ。みたいな感覚。 その違和感がはっきりわかったのがここ。音楽ではなくて、小説でも漫画でも何でもいいけど、作者から直接話を聞くという経験は非常に面白い。それほど好きではない作品だって、作者に話を聞いてみると、なるほど、そんな背景があったのか…などいろいろなことがわかる。で
はてな系サービスを使い始めてそこそこの時間が経ったので、イメージを書いてみる。 ニコ動:基本口だけだけど、凄まじい物が出てくることが多々。2ch:基本口だけだけど、感想DBとして使うともの凄く機能するし、祭りがあると何か面白い成果物が生まれてくる。増田:口だけ。後から消せるから2chの数倍タチが悪い。実際昔のホテントリ記事やそのレスを見ると凄まじい量が消されてる事が分かる。はてブ:口だけ。後から改変自由だから(以下増田と同じ) 基本一覧ページ非公開、希望者だけ公開にすればいいのに。はてダ:基本口だけ。後から(ry 技術系の人ではてダ使ってる人も多いから成果物も出てるように見えるけど、言論系の人からは皆無に近い。言論系はオタとか非モテとかに関するオナニーばっかで感想DBとしてもほぼ機能しない。学術系は少しマシだけど、まとめる人がほぼいない、居てもリンク集記事だけでWiki作成まで行かず、これ
川崎重工業は11日、時速350キロメートルで営業運転する高速鉄道車両の開発に着手すると発表した。2010年3月末までに開発を終える計画だ。 時速350キロの高速鉄道車両、川崎重工が開発着手日経ネット、9月11日 凄いねえ。川重。新車両「efSET(イーエフセット)」か。名前はあまりカッコ良くないなあ。 ポイントは、 時速350キロは国内の計画中の新幹線電車よりも速い点 JRと共同で開発してきた新幹線や在来線特急の技術を応用して輸出するのではなく、「高性能車両を独自に開発」するという点 の二つ。 これまでも台湾や中国などに輸出実績はあったけれどもそれは国内向け車両の枠を越えるものではなかった。 そもそも日本の鉄道車両メーカーは、国鉄の技術と人を核とした護送船団方式っぽいやりかたを続けてきた。分割民営化後も、JRや私鉄各社といかに取引を拡大するのかかが課題となってきた。だからこそ、鉄道各社から
とりとめのないことを書きます。 ブログやら、ちょっと前だったら日記? テキストサイト? みたいなものをずーっと読んでると、それを書いてる人自身に興味がわいてくるってことがありますね。自分の好みの文章を書いてたり、度を超して面白いことを書き続けてたりする人だと、だんだん「いったいこの人はどんな人なのだろう」と思い始める。そしてそれが高じて、「なんかちょっと、一回会ってみたい。飲んでみたい」みたいなね。 ないんです。ない。基本的に会いたいとかビタイチ思ったことない。ずーっと書き続けてほしい、ずーっと面白いものを読ませてほしい、とは思うけど、会いたいと思わない。会っても「あ、ども……」くらいしか言うことないし……。いやそんなことないわ。「○○さんの文章、超好きなんですよ!」くらいは言うけど、別に会ってまで言うこと違うし。ネット上で言えるし。 文章が好きであればあるほど、なんか逆に会いたくないみた
最近ホッテントリのはてブコメ群を見る度に、自分には余裕がないのだろうかと不安になる。 エントリを読んでこれはダメだろう!とかこんなん書いていいのかよ!と自分の感想を持ち、ポチっとはてなバーをクリックしてブコメを見ると、自分が抱いていた怒りや居心地の悪さなどに誰も言及せず、そこそこ和やかな空気が漂っていたりする。 以前はこんなことはなかった。自分の感想は平均的には、ブコメ群と一致していた。今思うと、そこには自分の中の常識感覚ははてなブックマーカーの皆さん(もしくは世の中の皆さん)と一致しているという、そういう安心感があったのかもしれない。 今はない。齟齬がある。なんか焦る。なんか実生活の余裕のなさが、そういう所で表れているような気がする。 まぁ九月なのに未だ就活してない大学四年なんで当たり前なんですけど。ぐああネットやってる場合じゃねぇですよね? 追記ブクマやトラバをしてくれた皆さん、どうも
個人的なブログやSNSでの日記などを読めば読むほど、対面コミュニケーションでは感じ取ることが出来なかった、あるいは見落としていた、その人の輪郭が見えてくることがある。 それは、取り上げる話題、それに対しての綴り方、またレスポンスなどの文面から伝わってくる。 使う言葉、常用漢字以外のものや、カタカナ、アルファベット、絵文字という目にする文字からも伝わってくる。 文字の色、文字の大きさ、自分で撮影したとおぼしき写真、映像、自分で探してきたYOUTUBEなどの引用からも。 誰かに自分のことを知ってほしい、つながっていたいという極めて原始的な欲求を前に、全能感を与えるかの錯覚を抱かせるこのツールは、これまで手にしたいかなる道具より、人間との関わりについて考えさせた。 何気ないひとことが忘れられないという経験は誰にでもあるだろう。対面の場では気にも留めなかったような事柄、ちょっと符に落ちなかったり、
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