ブログをきっかけに人気に火が付き、「ブログの女王」と呼ばれたタレントの眞鍋かをりさんの公式ブログ「眞鍋かをりのココだけの話」が、10月31日に閉鎖していた。これまでの記事もすべて読めなくなっている。 眞鍋かをりさんは2004年6月にブログを開始。一時は記事に600件もトラックバックが付き、書籍化されるなど注目を集め、「Yahoo!JAPAN」の2006年検索キーワードランキングでは、著名人の第7位に「眞鍋かをり」が入っていた。 ブログ人気を背景に、06年前後はネットやIT関連のイベントに引っ張りだこに。経済産業省のセキュリティー対策キャンペーンや「情報大航海プロジェクト」のPRキャラクターを務めたこともあった。 ここ最近はブログの更新が滞っており、最後の更新は1月12日。11月8日現在、ブログのトップページには「2010年10月31日をもちまして終了いたしました。今まで楽しんでご愛読いただ
⇒NHKスペシャル|862兆円 借金はこうして膨らんだ ひどい番組だった。 めちゃくちゃな内容だった。 国民が福祉を求めるなら消費税を上げるしかない大蔵省の苦労が淡々と語られていた、だけだった。 バブル期に赤字がゼロになったのは、好景気で税収が増えたという例外として扱っていた。 製作サイドに、実質金利=名目金利−インフレ率、がわかっている人はいないのかもしれない。 大蔵官僚の天下り爺さんたちが立派な椅子に座って元気そうなのは感動した。
12月から6代目新快速車両として運用を始める225系=10月23日、大阪市北区のJR大阪駅(松村信仁撮影) 京阪神地区を結ぶJR西日本の新快速が走り始めてから10月1日で40年が経過した。今では朝のラッシュ時から深夜まで走り、京阪神の通勤通学には欠かせない存在だが、登場当初は鉄ちゃん(鉄道マニア)も驚くようなエピソードが隠されていた。 新快速は、昭和45年10月1日、旧日本国有鉄道(国鉄)が近郊電車のイメージアップを目的に、運行を開始した。当時の区間は京都−西明石間で、昼間に6往復のみ。しかも、車両は113系という近郊形の3扉車。平成10年ごろまで横須賀線(東京−久里浜間)で走っていたのと、ほぼ同じものだ。 実は、この新快速にはお手本があったという。東京都内を走るJR中央線で昭和42年に特別快速が登場した。並行して走る京王電鉄が特急を走らせたことへの対抗策だった。 東海道新幹線が開業した3
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く