「官から民へ」「マニフェスト」など新しい政治文化を生み出した民主党の結成から約20年。2009年には自民党を倒して政権交代を果たしたが、権力を担うには未熟だったため、熱狂だけを起こして、3年で下野した。 その後「民進党」へと党名が変わったと思ったら、ついこの間できたばかりの新党「希望の党」に多くが合流して、事実上解党に。民主党時代に官房長官などを歴任した枝野幸男氏は、「立憲民主党」を立ち上げた。
国家戦略特区に5回ほど提案を行った経験のある、認定NPO法人フローレンスの駒崎です。今回は、僕もよく知る内閣府の担当者の方が批判の矢面に立っていることを見て見ぬふりできず、筆を取りました。 【国家戦略特区って何だろう?】国家戦略特区は簡単に言うと、「これまで変えたくても変えられなかった、時代遅れだったり陳腐化してしまっている制度を、一部の地域で実験的に変えてみようよ」というもの。 特区は東京圏を中心に、愛知県や関西圏など、全国約10カ所が指定されています。「この規制を緩和して!」というのは、いち事業者でもできて、NPOの僕たちも何度も提案を行って、それに乗ってくれる特区自治体さんのご協力もあり、規制緩和を実現してもらいました。 内閣府ウェブサイトより引用【国家戦略特区を使った規制緩和の事例:僕の場合】例えば、僕たちは「保育士試験の2回化」というものを提案しました。 都市部の待機児童問題の大
この国もいよいよ佳境 産業から見る日本の変遷 私は歴史の専門家ではないので、大いに間違っている部分はあると思うが。 資源立国 18世紀ころまでは銀を中心とする資源の国だった。 資源を支払って文化や技術を輸入して成長したといえるだろう。 軍事国家 1900年前後は、国や正義のために戦う戦闘狂の国だった。 資源の力を失った国が必死に模索してたどり着いた道なのだろう。21世紀の感覚で戦争は悪だなどといっても仕方がない。 工場国家 敗戦後は、明確に工業国を目指した。 工業国といっても、当時の日本が目指したのは「オペレーショナル・エクセレンス」と呼ばれる工業化である。 生産プロセスの効率化・改善を得意とする工業国なので、要するにイノベーションの国ではなくインプルーブメントの国だった。 技術国家 1990年ころまでは自動車をはじめとする技術の国になった。 しばらく大きなイノベーションが起こらなかったた
全国の小中学校や高校で組み体操の見直しが行われた結果、昨年度、子どもがけがをして医師の診察を受けた件数は、前の年度に比べて30%以上大幅に減ったことが、日本スポーツ振興センターのまとめでわかりました。 これを受けて、各地で組み体操を取りやめたり、危険度が高い「ピラミッド」や「タワー」などの技を禁止したりする動きが広がった結果、昨年度、子どもがけがをして医師の診察を受けた件数は5271件と、前の年度の8071件から35%近く大幅に減ったことが、日本スポーツ振興センターのまとめでわかりました。 その一方で、骨折の大けがをした件数は、全体のおよそ25%に当たる1326件に上っています。 学校での事故に詳しい名古屋大学の内田良准教授は「事故の件数が減ったことは評価したい。ただ、教諭が安全な指導方法を知らず重大な事故につながるケースが少なくないので、しっかりした態勢を確立して安全を確保すべきだ」と話
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