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ブックマーク / k-natsuba.hatenadiary.org (26)

  • 2007-01-19

    http://d.hatena.ne.jp/hanhans/20070119/p1 るりあさんとこの元ネタは http://d.hatena.ne.jp/cherry-3d/20051015/p1 が、僕が面白いと思うのは、まったく無関係に見える人間たちが、たまたま何かの偶然でであってしまうけど、それでもやっぱり最後までバラバラで、結局世界の全体像もわからないし、だからそれぞれ勝手に解釈して勝手に納得するしかない、という話なのだ に対するコメントだったかと。 で。 「吉永さん家のガーゴイル」の「邪悪」って、つまるところ「収まる所に収まって欲しい」という辺りなんでしょうか、と前から聞きたかったのを思い出す。 多様な価値観を認めない、非常にせまっ苦しくて抑圧的な作品世界であるなあ、とまあ、そんな程度の話です。 てか、こんなんただの規範批評で俺の掲げる規範をそれなりに信用する気になれない人は無視

    2007-01-19
  • 古橋秀之『龍盤七朝ケルベロス壱』 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    龍盤七朝 ケルベロス 壱 (メディアワークス文庫 ふ 1-1) 作者: 古橋秀之,藤城陽出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス発売日: 2009/12/16メディア: 文庫購入: 11人 クリック: 320回この商品を含むブログ (91件) を見る 待望久しい秋山瑞人・古橋秀之のコラボレーション企画・『龍盤七朝』の古橋サイドの第一巻。 『IX』の時も一文字の無駄もない(Ⓒid:rulia046)、と思わされたものだけれど、まさかそこからここまで進化してくるとは*1。 古橋秀之を褒めることは、基的に無駄だ。それは正方形は四角いと言うような、当たり前の事実を再確認するような作業にしかならないから。 古橋作品には、常に、ある種のエンタテインメントがやってはならないことはなにもなく、やらなければならないことはすべてある。語選択は常に完璧だし、登場人物は自らの生を生き生きと生き、ビジュアル

    古橋秀之『龍盤七朝ケルベロス壱』 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • コンテンツ文化史学会第2回例会『ライトノベルと文学』@芝浦工大豊洲キャンパス - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://www.contentshistory.org/2009/09/14/528/ 行ってきました。 ・大島丈志「ライトノベルにおける日近代文学の受容」 『文学少女』と『半分の月がのぼる空』の宮沢賢治引用からライトノベルと近代文学の関係を考える、と言った発表。 発表者は文教大学教育学部国語専修、千葉大学の文学学士で千葉大学大学院博士。 http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901032935816600 所属学会を見るに国文学畑の児童文学研究者、といった位置づけか。 セカイ系に言及するに当たってぷるにえブックマーク*1を参照しない論は悉く無価値、という基準が俺の中にはあるのだけれど、冒頭、『銀河鉄道の夜』はセカイ系か否か、『半月』はセカイ系か否かを大変粗雑な手つきで論じる*2あたりからもう悪い予感は大爆発。 『文学少女』と『半月

    コンテンツ文化史学会第2回例会『ライトノベルと文学』@芝浦工大豊洲キャンパス - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    『シムーン』BD化交渉支援のつもりで書き始めたエントリだけれど、結局間に合いませんでした。なので、せめて翠玉の日に。しかも9月第四月曜深夜と言う緩さで。深夜? 要はかのオタ軽10のもっとヒドいような奴です。 『エヴァ』放映終了後の96年4月から『ヱヴァ序』公開開始の07年9月、ということは実質07年7月クール放映開始までの期間の、これを外す奴とは親しく付き合えないという作品を十選んでみました。基準は、『エヴァ』以降の問題意識をどれだけ引き受けているかと、『ヱヴァ』への道均しをどれだけ終えているか。 なんというか、客観性なんぞはあるわけはないのですが、少なくとも俺はこういうことを考えながらこの15年、アニメを見てきたのです。 笑えばいいと思うよ。 機動戦艦ナデシコ(1996年) 『エヴァ』以降の流行りモノ、と思われているものは、大体は『ナデシコ』が準備していた、というのは、これはアニメ史的

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  • 細田守監督『サマーウォーズ』 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    ストーリーの新奇性に価値のある映画ではないと思われたので、隠しません。逃げたきゃ逃げたまい。 言っておくがな、俺は『デジモンアドベンチャー02』の世界中の選ばれた子供たちを巡る展開が結構好きだったりするくらいには世界の広さが情念で乗り越えられるシチュエーションが大好きなんだぜ。 全編まあ楽しかったんだけど、気で泣きそうになったのはそこだけでした。 それも無論『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』の焼き直しではあるけれど。 んーと、これ多分『ウォーゲーム!』のリメイクってことで話が動いていたのを「なめるなよ、石川。12万人しか動員していない作品の続編が、どうして売れるんだ」みたいな、「なめるなよ、齋藤。ジャリ番のリメイクが、どうして売れるんだ」というような話になって、完全オリジナルの新作なる触れ込みになったんでないかなあ。そうとでも考えないとありえないくらいなにもかもが『ウォー

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  • [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ

    んーと。 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20061109/p1 奈須きのこよりも桑島由一・ヤマグチノボルあたりのほうがライトノベルとエロゲの越境者としては重要かと。挿絵描きに関しては竹井正樹あたりからもう越境してますね。 三重の『カナリア』ショック、ということを俺は常々言っているわけですが、もう一回繰り返しておきます。桑島由一・ヤマグチノボル・片倉真二という『カナリア』のメインスタッフは、テキストサイト華やかなりし頃のスーパースターであって、その彼らが揃ってエロゲーを作った、という、これが第一のインパクト。それから、出演声優陣*1が、エロゲに出ようとは到底思われないような面々*2であったのが第二の衝撃。そして第三のショックは、そのエロゲのノベライズが角川スニーカー文庫から出版された事です。なお、エロゲがノベライズされる、というのも結構ショッキングな出来事だった

    [偽史199X][番外編]ライトノベルは『スレイヤーズ』から『ブラックロッド』までが一番充実してた派。あとジャンプ系ノベライズは版型が大きいからライトノベルじゃない派。-帰ってきたへ
  • 2008-09-24 -[偽史199X]僕は冬彦さんじゃないんですよ!- 帰ってきたへんじゃぱSS

    1990年代のフィクションにおける精神分析・心理学ガジェットの大流行の発端は、1991年6月日公開の映画『羊たちの沈黙』であり、国内の作品で言えば1992年のドラマ『ずっとあなたが好きだった』で取り沙汰された、マザコンの語であろう。ダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』の邦訳も1992年。ロバート・レスラーの著書が日に紹介され、プロファイリングの手法が広く知られるようになるのは1994年。このようなブームの総決算とも言うべき「マーダー・ケースブック」の刊行は1995年10月からで、『羊たちの沈黙』の構図に回帰した『沙粧妙子 - 最後の事件 -』も1995年。 「トラウマ」「コンプレックス」「サイコパス」「多重人格」などのおどろどおろしい術語は、『新世紀エヴァンゲリオン』以前に、市民生活を脅かすモンスターの存在原理として既に広く受け入れられていた。今読めば「ああ、綾波なのね」と言

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  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    至極単純な話ですが、何かがキャラクターコンテンツとして消費されているからといって、それがキャラクターコンテンツとして生産されているのかどうか、てのは、これは実のところまったく確定的には言えない話です。 コンテンツとして消費・生産とかいうからなんか工業的なにおいがしてしまうのであって、消費の代わりに読み、生産の代わりに創作とでもいえば、単純な一対一対応を考えてはいけない、なんか神秘的なものであることになる。 工業的に生産されるコンテンツと神秘的に創作される作品がある、というような二分法を導入すればコンテンツサイドのものは単純な一対一対応に押し込めていいことになるけど、コンテンツが工業的に生産されている、という観念が実情を必ずしも正確には反映していないのではないか、と思うことがあって。 まあオフラインオンライン問わず色々見聞した上で言ってるわけですが、ネット上で参照できるアレとしては例えばこん

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  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    ともよちゃんに先に書かれた。 http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=473384&log=20080522 例えば、タイトルを2分割して別途有料で販売するなんてのは忠誠度を下げるだけだ。信者というものをまるで判っていない。 とまあ、そんなわけで『醜悪祭』商法のはなし。 商法としては下の下、というのはともよちゃんの書いている通り。なんだけど、多分、そもそもこの件の背後には、商法と称されねばならないような何者かの意志は働いていないのではないか、と思うのですよ。 なんせ、誰も得をしていない。むしろ損をしている。ナントカ商法と世に言うものが成り立つのって結局誰も損引いてないからで、掴まされたファン、信用失った編集部、薄いしか出せず印税少ししか入らずしかも不調のところに批判を加えられた作家とみんなが損こくような商法なんてありえないわけです。 三者ともに何

    ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS
    hatikaduki
    hatikaduki 2008/05/26
    手広くやってるラオタの人は、必ずしもその本が好きで読んでるわけじゃなかったりしそうだもんね。
  • 今回の「ダ・ヴィンチ」の特集の年表はヒドいもんだった - 2008-03-12 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20080312/p1 明らかに虚偽の内容を捏造しライトノベルを貶めるような言説 いや、今回の「ダ・ヴィンチ」の特集の年表はヒドいもんだったと思いますが。 TRPGの文字がなく、電撃文庫が創刊と同時に人気を博していて、『エヴァ』と『ブギーポップ』に直接の影響関係があり、セカイ系の定義の的外れっぷりがどうよって感じで、サイバーパンクの項目もクソ嘘っぱちで、中身もgdgdじゃねえかと俺は思いました。 ライトノベルを貶める、とは言えないにしろ、看過できない虚偽の内容であったかと。 ■ サイバーパンク云々についてまじめに説明すると。 『ブラックロッド』と『ぼくらは虚空に夜を視る』をどちらもサイバーパンクの影響下に成立した作品、と称する事は間違っている。 『ブラックロッド』は、言うまでもなく正調サイバーパンク小説であり、これはサイバーパ

    今回の「ダ・ヴィンチ」の特集の年表はヒドいもんだった - 2008-03-12 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 俺は俺が面白いと思ったものが貶されてるより俺がつまんないと思ったものが褒められてるほうがイヤ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    つまんねえもんを見せられたあと、このつまんなさを共有してくれる相手、を探してネットを彷徨った事がみんなないのかなあ。 ネット書評なんてそういう需要にこたえるのが第一だと信じてるんですが。 いや、面白くても同じことするけど。どの道、なんかに触れてなんかを思った、この気持ち・意見を共有してくれる人が欲しいと思うとき、人は「XX 感想」「XX 書評」「XX 傑作」「XX クソ」とかでぐぐるのだ。 建設的な批判をネットに気で求める作家や編集者には正気か、と問いたい。それが提供できないと悩むネット感想系の人にも。 違う言い方をすれば、サイト管理人はサイトの読者*1に向かってだけ書けばよいのであって、一人か二人の作家や編集者のことを考えたって仕方がない、という事。あと褒める感想は商業でも読めるので、貶す感想のほうがネットに求める人多いんじゃないかなあ。俺は俺が面白いと思ったものが貶されてるより俺がつ

    俺は俺が面白いと思ったものが貶されてるより俺がつまんないと思ったものが褒められてるほうがイヤ - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 2007-11-30

    http://gs.dengekinet.com/suteki/ なんかわからんが、公野櫻子先生の新企画、だそうな。 ktkr。 絵描きさんはhttp://lilylilyrose.net/の人だそうな。 デトロイト・メタル・シティ 4 (ジェッツコミックス) 作者: 若杉公徳出版社/メーカー: 白泉社発売日: 2007/11/29メディア: コミック購入: 10人 クリック: 49回この商品を含むブログ (246件) を見る 『デトロイト・メタル・シティ』が商業的成功のために自己疎外されるアーティスト、という結構道なテーマを描いている王道音楽マンガな件。 自己実現のための音楽では自己疎外されきっている根岸=クラウザー=DMCにはかなわないってのを金玉ガールズ編から今までずっとやってきていて、「卑猥の雨」のシーンはそのひとつのクライマックスであるといえます。

    2007-11-30
  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    ナオ太くんてさ なんか制服、似合わないよね Byニナモリ@『フリクリ』最終話、てすごくいい台詞だと思うのだけれど、それはどうやら俺だけらしい。 ニナモリらしい難渋な愛の告白だし、フリーダムなのが大人、というあの作品の主題のまとめとしても洒落が利いていると思うんだけどなあ。

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  • 柴村仁『我が家のお稲荷さま。』7 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    我が家のお稲荷さま。〈7〉 (電撃文庫) 作者: 柴村仁,放電映像出版社/メーカー: メディアワークス発売日: 2007/10/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 38回この商品を含むブログ (37件) を見る こんなにほのぼのしてるのにこんなにさわやかなのはこれ一体どーいうことなんダスか。 ほのぼのとかハートウォーミングとか癒し系とかって共同体主義をその抑圧に対して完全に無自覚に押し付けてくる制度的思考の最たるもの、多様性を恣意的に減退させる擁護のしようのない邪悪じゃね? と思っている人にこそ読んでもらいたい。そんな奴俺以外にいるのかどうか知らないけど。 俺が何言ってるのか分らない人には『吉永さん家のガーゴイル』とかのほうが新刊待たされないのでよいと思われ。 今回は短編集です。 短編だとまた一段とさわやかでよいですね。物語の抑圧すらも薄れるから。

    柴村仁『我が家のお稲荷さま。』7 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 2007-09-08

    恋愛ゲームにおける空間的な広がりとはナンパゲーのゲームフィールドに他ならず、台東区の風俗を活写した「最後のナンパゲー」『絶滅キング』の不発と共に業界のスタンダードとしては衰退したんじゃなかったっけ? けー? あの実写背景には味があった。台東区性、東京土着の生活感覚が根底に流れてて。 http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070831AS1K3100231082007.html この記事が結構いい線をついている、ということ、そろそろ我々はアスカ派*1の悪質なプロパガンダである綾波セク母*2説に別れを告げて、綾波がどれだけかっこよかったか、を語るべきなのです。 傷だらけになって人造の巨人に乗り込み、無言で毅然(きぜん)と敵と戦い続ける綾波 毅然と敵と戦い続ける、というのがつまり、虚心坦懐*3に見たときの綾波像、だと思うのよ。自分は必ずしも唯一無二の存在

    2007-09-08
  • 帰ってきたへんじゃぱSS 2006-11-13

    んーと。 http://d.hatena.ne.jp/genesis/20061109/p1 http://rosebud.g.hatena.ne.jp/keyword/結語――ライトノベルの揺籃?kid=43 エロゲの落ち込みは2002年が一番激しかった*1わけで、売り上げはアニメ化効果もあって回復しています。http://d.hatena.ne.jp/sixtyseven/20061010/p2のデータ*2は一番素直には、2003年からエロゲ原作もラノベ原作もどっちも増えた、と読むべきでしょう。これは、アニメ放映数の異常な増大を背景に、TVアニメ化の敷居が下がった結果です、単純に。 90年代前半には、『タイラー』や『スレイヤーズ』のような、00年代に入っても新作が求められるような大ヒット作でなければアニメ化はされなかったのです。というか、アニメ放映数の異常増大が起こる前は、基的に

    帰ってきたへんじゃぱSS 2006-11-13
  • 帰ってきたへんじゃぱSS - 西尾維新も佐藤友哉も成田良吾も海羽超史郎も結局は中村九郎の出来損ない

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20070328/1175105791 そうそう、と思ったのでリンクしておく。 僕のやりたいネタをすごいレヴェルで実現している人 ネタ自体もさることながら、そのネタを実現するためのあの文体ね。 1980年前後生まれの男のオタク寄りな小説家志望者が全員目指して辿り着けなかった理想の文体。西尾維新も佐藤友哉も成田良吾も海羽超史郎も結局は中村九郎の出来損ない。 実体ー描写モデルを胡散臭い詐術としか思えず、物語至上主義には抑圧しか感じられない。唯二つ、表層の戯れと萌えだけは信じてもいい、それに淫したいから作家を目指した俺たちの夢。剥きだしの運動性。 なお、『黒白キューピッド』は物語的落差を生むべき二項対立が次々と言語遊戯に脱臼される中、少年少女の淡い思いがある切実さを伴って立ち上がってくる傑作なのでとっとと読むよろし。

    帰ってきたへんじゃぱSS - 西尾維新も佐藤友哉も成田良吾も海羽超史郎も結局は中村九郎の出来損ない
  • 2007-02-27

    http://catfist.s115.xrea.com/wiki/wiki.cgi?page=Diary%2F2007%2D02%2D24 えー、ネガティブ。 キャサリンとヘルガに消滅の危機を知らされつつも、世界戦へと突き進む竜児と剣崎には、最早なんの思想的対立もありません。いや、むしろ、二人は世界で最も近しい二人だからこそ、互いに相争うことを求め合った。 小賢しい思想的対立は、少年漫画のクライマックスにおいては放棄される運命にあります。描き続けられる戦いの中、相争う二つの魂は浄化されて、いつしか一つになっていく。アストロ球団とビクトリー球団の文字通りの死闘が決着したとき、マウンドにいたのはひとりのアストロ超人で、打席に立っていたのもひとりのアストロ超人であった、というのは、実に実に象徴的な出来事であったと言えるでしょう。あるいは、愛を知る北斗の兄弟が夢想転生をたたき込み合うあの感動的な

    2007-02-27
  • 90年代ライトノベルシーンに関するアスペクトを持つために欠かすべからざる7冊 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20070219#1171886243 全面的に同意、という奴なのですが、ひとつ付け加えさせていただければ、「同意を得られるとは限らない」てのは、にも関わらず同意が得られてしまう奇跡に思いを馳せさせずにはおれないロマンティックな言葉なのではないかと。 松岡洋子と進藤尚美が親子だった。当によくコンビ組むなあ、この二人。 ロードス島戦記―灰色の魔女 (角川文庫―スニーカー文庫) 作者: 水野良,出渕裕,安田均出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1988/04メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 497回この商品を含むブログ (46件) を見る新装版フォーチュン・クエスト〈1〉世にも幸せな冒険者たち (電撃文庫) 作者: 深沢美潮,迎夏生出版社/メーカー: メディアワークス発売日: 2002/05/01メディア: 文庫購入

    90年代ライトノベルシーンに関するアスペクトを持つために欠かすべからざる7冊 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。

    http://d.hatena.ne.jp/arctan/20061219/1166544299 もちろんakio71さんが書くように現実には「中学生、高校生のとき、女子より精神年齢の高い男子なんて、学年に1人か2人もいればよかった」というのは誰もが知っていることであり、 えー、これ都市伝説なんじゃねえかなあ。 女子高生は知らんが、女子小中学生てーのは排他的親友システム*1とか連れションとかの奇習に耽るよく分からん生き物なんじゃないの。で、そんな女子小中学生が学級内に張り巡らせる奇妙に精緻に制度化された人間関係ってさ、結局官僚主義的な硬直状態に陥って機能しないもんだったりしなかった? そういうのを傍目で見てバカかこいつら、って思わなかった? 俺は思った。 で、そういう官僚機構を組み上げさせる原動力ってのはさ、能力の高さだのなんだのを経由せず直接に権力を志向する、女性特有の安易で卑俗な権力欲

    帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。