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ヤングアダルトに関するhatikadukiのブックマーク (10)

  • どっこいジュヴナイルSFは生きていた―21世紀ジュヴナイルSF必読ガイド30選(前編)― - 児童書読書日記(仮)

    はじめに 『S-Fマガジン』2014年6月号で、三村美衣の監修による「ジュヴナイルSF再評価」という特集が組まれました。ところがこの特集、ジュヴナイルSFテイストのあるライトノベルの話ばかりで、肝心の児童書として出版されているSFが脇に追いやられてしまっており、物足りないものになっていました。 三村美衣による通史解説は、かつてジュヴナイルSFの黄金時代があっていまは廃れてしまったが、実はアニメやライトノベルにその魂は継承されているという物語になっています。そのため、いまも優れたジュヴナイルSFが多数出ているという事実がないことのようにされています。アニメやライトノベルについては、具体的な作品名を挙げて論評しているのに、21世紀以降に児童書として出版されたSFについては、レーベル名を列挙するだけで作品や作家に対する具体的な論評はありません*1。これでは、児童文学の事情を知らない読者が、21世

    どっこいジュヴナイルSFは生きていた―21世紀ジュヴナイルSF必読ガイド30選(前編)― - 児童書読書日記(仮)
  • マイナークラブハウスレビュー(2) キャラクターの限界と相互理解の限界 - 風が吹けば本屋が儲かる

    いろいろあって遅くなりましたが、予告通り(2)では、「ぴりかと天野という二大変人を、マイナークラブハウスの住人達はどのようにして受容するか」について考えてみたいと思います。あ、ほんと面白いので是非読んで下さい。 前回マイナークラブハウスレビュー(1) 「子供の砦」としての、マイナークラブハウス 以下格納します。畠山ぴりかと天野晴一郎 (1)では「マイナークラブハウス」を児童文学の文法で解釈して、あげく「現代の児童文学が敵とすべきは無理解な大人じゃなくて大多数の児童なのか?」という児童文学の定義を揺るがしかねないことを考えたりしたのですが、今回は「キャラクター小説」としてこの作品を扱っていこうと考えた結果、どういうわけか「キャラクターの限界と相互理解の限界」というよくわからんサブタイトルになりました。 作品をお読みになった方にとっては異存なきことかと思いますが、この「マイナークラブハウス」で

  • ゼロ年代の児童文学を振り返る その1 YA化 - 児童書読書日記(仮)

    ゼロ年代児童文学のキーワードは「YA化」と「ライトノベル化」です。といってもこれはゼロ年代に始まったものではありません。90年代に方向付けられた流れがゼロ年代に定着したものと理解するべきでしょう。今回は90年代を代表する児童文学作家森絵都を中心に、90年代からゼロ年代にかけてのYA化の流れを整理したいと思います。 森絵都 森絵都は1990年の第31回講談社児童文学新人賞受賞作となった「リズム」でデビューしました。同作品は新人の第一作のみを選考対象とする椋鳩十賞も受賞。その後も94年の「宇宙のみなしご」で野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞、96年の「アーモンド入りチョコレートのワルツ」で路傍の石文学賞を受賞、98年の「つきのふね」で野間児童文芸賞を受賞と華々しい受賞歴を誇り、90年代児童文学界の主役として君臨しました。そして98年の「カラフル」の大ヒットが、児童文学Y

    ゼロ年代の児童文学を振り返る その1 YA化 - 児童書読書日記(仮)
  • 栗本薫の児童文学界への影響(JUNE的な意味で)について、そろそろ検証されてもいいと思う。 - 児童書読書日記(仮)

    そろそろ涙は拭おう。「豹頭王の花嫁」が読めなくなってしまったのは寂しいけれど、彼女がこの世界に遺してくれたものにこそ目を向けてみようじゃないか、というのがこの記事の趣旨です。 児童文学をある程度読んでいる人間であれば、女性作家によるBL要素のある作品が無視できない存在になりつつあることを、おぼろげながらも感じているはずです。栗薫がいなければ存在し得なかったであろう児童文学界のタナトスの子供たちの活躍を簡単に見ていきましょう。 ぼくの・稲荷山戦記 作者: たつみや章,林静一出版社/メーカー: 講談社発売日: 1992/07/24メディア: 単行 クリック: 13回この商品を含むブログ (9件) を見るまずは栗薫の弟子であるたつみや章(秋月こお)に触れないわけにはいかないでしょう。たつみや章名義では児童文学作家として、秋月こお名義ではBL作家として活躍しています。たつみや章名義では「ぼく

  • 「卒業 〜開かずの教室を開けるとき〜 名探偵夢水清志郎事件ノート」(はやみねかおる) - 児童書読書日記(仮)

    「夢水清志郎事件ノート」最終巻を語る前に、まずいっておきたいことがあります。どこでもいい、この作品にはなんらかの賞を与えるべきです。はやみねかおるはいまだに無冠です。児童文学界にも無冠の帝王と言っていい作家が何人も存在します。青い鳥文庫周辺を見渡せば、はやみねかおるをはじめ、石崎洋司や松原秀行、令丈ヒロ子らがそれにあたるでしょう。彼らは無冠であることをむしろ誇っていい。偉い人には評価されなくても、多くのファンが作品のおもしろさを正しく保証しているのですから。でも、それでもこの作品には賞を与えるべきです。なぜなら、このシリーズに賞を与えないと児童文学界にミステリを正しく評価する能力が欠如していることが露呈されてしまうからです。来なら「機巧館」が出た時にどこかが賞を出しておくべきでした。はやみねかおるの代表作である「夢水清志郎事件ノート」が完結した今が児童文学界にとってラストチャンスかもしれ

    「卒業 〜開かずの教室を開けるとき〜 名探偵夢水清志郎事件ノート」(はやみねかおる) - 児童書読書日記(仮)
  • 2008年の児童書 - 児童書読書日記(仮)

    昨年に比べると読書量が大幅に落ちてしまいましたが、思いつくままに今年の総括を書いてみます。取りこぼしが多いと思いますので、これだけは読んでおけというのがありましたらご教示いただけるとうれしいです。 ファンタジー ファンタジーでは、なんといっても小森香折の「十三月城へ エゼル記」が飛び抜けていました。若者が暴君を倒すという単純なストーリーながら、あらゆるファンタジーの楽しみが詰め込まれている贅沢な逸品です。感想はこちら。 シリーズものでは「天山の巫女ソニン」が、いい具合に盛り上がってきました。 十三月城へ エゼル記 作者: 小森香折,エクリ,スズキコージ出版社/メーカー: エクリ発売日: 2008/08/10メディア: 単行購入: 7人 クリック: 78回この商品を含むブログ (7件) を見る天山の巫女ソニン(4) 夢の白鷺 作者: 菅野雪虫出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/1

    2008年の児童書 - 児童書読書日記(仮)
  • Aliログ:日記抜粋:ヤングアダルト(1)

    『SFマガジン』の新刊レビューのコーナーの「ヤングアダルト」の欄が「日SF」の欄(だと思った)に統合されるそうであります。 WEB上のあちこちで繰り広げられていたらしいライトノベル論争とやらの影響なんでしょうか?? 私はあの「ヤングアダルト」の使用法がすっごく厭だったので、なんかほっとしたというか何というか……。赤木かん子『ヤングアダルトブックガイド』(レターボックス社)に出てくるようなとスニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫を一緒くたにされたくないよなぁ。(図書館では一緒に並んでいるところもありますけど)あんなの「ヤングアダルト」ぢゃない!――と、ここまで考えて、ああこれってきっと「あんなのSFぢゃない!」と叫ぶ人の発想と同じなのねぇ、と気がつきました。 そうか、わたしって「SF」や「ミステリ」や「児童文学」というジャンルラベルには偏見もっているくせに、「ヤングアダルト」ってラベルに

  • ltokyo.com

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  • Aliログ:日記抜粋:ヤングアダルト(2)

    京フェス'99の「ヤングアダルト総括」を受けて、【林哲也さんの不純粋科学研究所】では、「オタク系ヤングアダルトの起源」を探るプロジェクトが発動しています。 関連する日記記述は、【1999年12月5日】、【1999年12月12日】、【1999年12月15日】あたり。 とある理由で昔のファンジンをめくっているうちに面白いことに気づいた。「SF FILE 1988」(中学交)の年度回顧対談中に、「ヤングアダルト」及び「YA」という呼称が出てくるのだ。ひょっとして、ファンジンをチェックする事で「ヤングアダルト」という呼称が成立した時期(正確には、角川スニーカー的なるものに対してヤングアダルトという呼称が用いられた時期、以下同)を推定できるのではないだろうか。「SF FILE」は年度毎の刊行である上、「SF FILE 1987」は「1988」と同時刊行であるため、チェックの役に立たないが、幸い手元に

  • http://www.hico.jp/sakuhinn/6ha/bo-.htm

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