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視点に関するhatikadukiのブックマーク (256)

  • ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネット上に新たな経済活動は起こらなかった ネットが一般に普及して10年以上たったが、かつて「グローバルビレッジ」に代表されるような期待された「革命」は起こらなかったようだ。この理由の一番は、ネット上に新たな経済活動が起こらなかったためではないだろうか。 確かにネットの普及によって、企業活動は迅速に活発になった。またネット上に新たなビジネスも生まれた。しかしこれらは従来の資主義経済の延長上のものであって、下部構造としての経済活動そのものはかわることはなかった。 多くの人々はかわらず企業へ労働力を売ることで賃金を稼ぐ。ネットはこれとは別に社会関係を楽しむ娯楽である。すなわちネットは新たな経済構造生み出すことなく、社会的な関係を充実されるつながりのツールでしかない。 ネット上の社会関係のために実社会で働く ネット上では掲示板やブログなど長時間かけた活動が行われているが、そこでおこなわれる労力は

    ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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  • 2005-12-22

    いやもう年末なので、色々とお世話になった方たちへの挨拶回りなんかもしちゃって、それで忙しかったりもするのだけれども、新城カズマさんやるりあ046さんと個別に話している時に出てきた、「年輩クリエイターが自作に描く戦争モチーフ」に関して簡単にまとめてみる。 mixiの方で、ライトノベル作家さんとかとも盛り上がった話題。 ◆手塚治虫「燃える女」 手塚治虫は1928年(昭和3年)11月3日生まれ。 手塚が青年時代に空襲で悲惨な目にあったことはよく知られている。空襲体験については「紙の砦」「カノン」などに書かれている。そのためか、手塚治虫のマンガには、ほかの漫画家には滅多に見られない表現が多い。 手塚治虫の戦争モチーフと思われる一つが、「燃える女」だ。 「鉄腕アトム」にせよなんにせよ、とにかく「燃える女」「溶ける女」というのは、手塚の漫画内で多用されるモチーフだ。 これはおそらく空襲体験の中で、実際

    2005-12-22
  • 週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ

    釘宮理恵ってだけで、アニメ見てた俄かのおっさんだよ。 「ある日突然隣のマンションの美少女の恋愛騒動に巻き込まれる」 的な話が、転じて自分の人生の問題になって、 おそらく大団円的な結末に落ち着くっていう、 キレイな「起承転結」の構成だなって思ったよ。 最近のラノベでも、ゲームでもよ、 「起承転結」 になっていない、 お遣いっていうか、その場しのぎの尻拭い系のストーリーが多くて 飽き飽きしてたところに新鮮だった。 まあ、otsune的には「観測範囲が(ry」なんだろうけど。 でもよー、 何なんだ、あの、 みんな自分勝手に進むストーリー。 物語って、普通オラクルがいるわけじゃん。 預言者っていうか、主人公の行動指針を示す役割の人物で、 まあ、ナメック星の長老みたいなもんだけどさ。 独身(30)もあんまり首突っ込まないし、 亜美は、ただのトリックスターだし、 誰もが無根拠に物語進めてるのな。 ちょ

    週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    牛乳とドーナツ 冷蔵庫で冷やされパキパキに固まった砂糖が鱗みたいにまとわりついているドーナツを取り出すと、マグカップに牛乳を注ぎ、少し時間を置く。 読みかけたのことか、はたまた別のことか、何かを考えながら惰性でドーナツをべてしまい、それを牛乳で流し込むのを忘れた…

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  • 劣化した勇者の対価

    アニメ「ストライクウィッチーズ」の登場人物、主人公の上官であった 扶桑皇国海軍少佐、坂美緒は、番組後半、その能力の大半を失ってしまう。 主人公の力が終盤に向けて増大していく、異能戦記ものの物語では、 比較的珍しいことだと思う。 ライバルは成長する「友情、努力、勝利」が駆動する物語世界では、主人公の能力は、 物語の進行とともに大きくなっていく。主人公は怪我をしたり、時には何かを 失ってしまうけれど、代償として、それを補ってあまりあるぐらいの成長を得る。 物語の冒頭、能力で主人公を圧倒していたライバルや上官は、中盤以降、 主人公に勝利する機会はほとんど失われてしまう。 ライバルは主人公に勝てなくなってしまうけれど、彼らにはまだ、 「普通の人が届く限界」を読者に示す仕事が残っているから、主人公の成長と ともに、彼らにもまた、彼らなりのペースで成長が約束される。 劣化が隠蔽されない物語人間世界で

    劣化した勇者の対価
  • よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』

    よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』 無条件で自分を受け入れてくれる居場所 雨宮処凛・萱野稔人『「生きづらさ」について』の評を書いたとき、精神的な「生きづらさ」の根源の一つに、たえず高度なコミュニケーションによって自分の居場所を構築し、そのなかで自分の価値を証明せねばならず、そこに疲れ果て、あるいはそのコミュニケーション合戦に敗れたものは「いじめ」や「リストカット」の「罰」を受けることになってしまう、ということをぼくは紹介した。 そして、ぼく自身の体験として、ぼくがいる左翼組織は、無条件で自分を受け入れてくれる居心地のいい場所になっている、ということを書いた。 ぼくのこの書評について、ちょっとソーシャルブックマークがついているんだけど、そこに「右翼組織でも宗教組織でも同じじゃね?」と書いている人がいたけど、居場所の問題だけでいえばたしかに同じだといってもいい。 無条件で自分の存在を認めて

  • 供犠としての碇シンジ、あるいはポストゼロ年代の想像力に向けて - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    炎暑の日々をやりすごすうち、ふと気づくと涼風を肌に感じる季節になった。夏ももうすぐ終わりだなあ。 ここのところ、blogでまとまったエントリを書く気力がなかったので完全放置していたのだけど、Twitterなどでそれなりに書き留めた断片的なメモはあるので、それらを編集してお蔵出しなどしてみる。 ついったからの転載、改稿。 「恋空」は古典的な通過儀礼譚、しかもその純化された形として読むことができる。「日常>他者である移行対象との出会い>非日常かつ象徴的生>移行対象の死>日常への帰還と自己変容」という型がそこには見出される。しかし、なぜそのような通過儀礼譚が多くケータイ世代に受け入れられたのかが疑問としてある。 以前、現代における通過儀礼は共同体や社会システムの構造変化により困難になったと書いた。それに代わり「共同体が付与する意味にしたがって通過儀礼をなして成長するのではなく、自らを再帰的に成長

    供犠としての碇シンジ、あるいはポストゼロ年代の想像力に向けて - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
  • 2008-08-30

    今日は久しぶりにTRPGのオンラインセッションなどしてそれなりに楽しんだ。休みっていいニャー。伊藤計劃氏の新作も第1稿が脱稿されたようで何より。秋ごろには読めるかな。 それはそうとして、今日もついったからお蔵出しなどする。ネタがなくなるまではこの調子で。 ついったからの転載・改稿。 上遠野浩平「ブギーポップは笑わない」から始まった、一連の作品――いわゆるブギーポップシリーズは、同時代文学として多くのロスジェネ世代から支持されたのだが、それは何故だったのか、ということを語ってみる。 ブギーポップシリーズの登場人物たちの多くは、物語の中で、自己が置かれた状況の質や大局から一貫して疎外され、その過程でさまざまなものを失う。彼らの物語はそれぞれの個別的な体験であり、ブギーポップを巡る物語はそうした小さな物語の編集に拠って成立する断片の集合体である。 彼らは、社会の分子化による多様化とそれによる超

    2008-08-30
  • てすかとりぽか 『崖の上のポニョ』 クトゥルー神話

    連休3日目。混んでるんだろうなーと思いつつ観にいったら意外と空いてましたワーナーマイカル板橋。それでも、劇場ロビーにうじゃうじゃいるお子様たちはこれじゃなくポケモンを観に来ていたのですね。 『崖の上のポニョ』 2008年。宮崎駿監督映画。この作品に関して事前に得ていた知識は「ポニョは魚の子」という広告コピーと、「よくわからない映画」という世間の評判だけだったけど、別にわかるとかわかんないとかそういう以前に、とても愉快で楽しい映画でした。 そもそも、子供向けに創られた作品なんで、難しいこと考えずにポニョのキモかわいい動きを見れればそれだけでいいと思います。とりあえず、3つあるポニョの形態のうちでは、半漁人形態の動きが一番かわいいと思います。バルキリーで言うところの「ガウォーク」形態ですね。 あと、やっぱりポニョの妹たちがキモかわいいです。そういう意味では、CMのあのわらわらした魚っぷりを「キ

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  • 天元突破!雨宮ゆり子!

    hatikaduki
    hatikaduki 2008/06/17
    運命的に不遇なサブヒロインがついにセオリーを打ち負かすまでの話。泣いた。/ 螺旋戦士て喩えワードがうますぎる。
  • 2008-05-25 - Hocha-hochaの日記

    アニメとは不完全なメディアである。「リミテッド(限られた)・アニメーション」という言葉に如実に表れているように、映像的な「満たされなさ」がそこにはある。アニメの視聴者はその満たされなさを想像力によって補っている。それは、リミテッド・アニメーションが視聴者の「目の錯覚」に依存することで成立していることに等しい。記号でしかない存在を生き生きとしたものへと命を吹き込む作業は、制作者と視聴者によって同時に行われる。アニメとは制作者と視聴者の相互作用によって完全な映像作品へと昇華するメディアなのだ(そのことが個人の思い入れや思い込みを必然的に生じさせるので、同人誌をはじめとした二次創作も隆盛するのである)。その制作者と視聴者の間で生み出されるアニメ独特のリアリズムこそが「アニメ的リアリズム」である*1(アニメ的リアリズムのラディカルな形として「ドラマCD」と「ギャルゲー」が挙げられる。ドラマCDは映

  • ぼくらの図書館戦争 - また君か。@d.hatena

    図書館戦争のアニメを見ていて原作を読んだことはない。で、このアニメは見ていて高品質だしいいかんじなんだけど、でも根っこの部分でイライラが募ってあんまりしあわせになれなさそうだなーという感覚があることについては以前に書いた(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080418#p2)。で、具体的にどのへんについてそういう感覚を持っているのか、ということを、ちょっと考えたので書き出し。 図書館戦争がどういう話だったなら我々が幸福になれるのかというのはハッキリしていて、つまり、原案:押井守氏、監修:伊藤和典氏、脚:とり・みき氏、監督:神山健治氏で、2 クールのシリーズで展開すればいいのだ。主人公の声は田中敦子氏。同室の友人の声は榊原良子氏。 あらすじはこうだ(「人狼」冒頭ナレーションの改変)。 あの決定的な敗戦から十数年が経った正化 30 年代。高度情報化社会から

    ぼくらの図書館戦争 - また君か。@d.hatena
  • 活字中毒R。

    『ダ・ヴィンチ』2007年9月号(メディアファクトリー)の特集記事「悲しみを知った夜は『100万回生きたねこ』を読み返す」より。 (西原理恵子さんへのインタビュー「『100万回生きたねこ』は、”負のスパイラル”を絶つ話でもあるんです」の一部です) 【西原さんが『100万回生きたねこ』と出会ったのは「小6か中1のときだと思う」。場所は、地元の図書館だった。 「まわりには、目が合っただけで殴りかかってくるような、いじわるな子供ばっかりで。だからいつも学校の図書館や市民図書館にいましたね。現実にはいやなことばっかりなんだから、にだっていやなことばっかりあってほしかったのに、絵にはいい子供ばっかり出てくる。『十五少年漂流記』とか『ロビンソン・クルーソー』を読んでも”全然漂流してない! うちのほうがよっぽど漂流してるよ!”って(笑)。 でも『100万回生きたねこ』は、すとん、と落ちた。ぜんぶ”だ

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    仲春はゆっくりと通り過ぎる 寝て起きたら3月である。今日の東京の最高気温は20度を超えている。正月のインフルエンザが完治して、これでやっと健康で文化的な年度を始められるぞ、と意気込んだのも束の間、今度は原因不明の高熱を出して1週間寝込んだ。 脳がグツグツ煮える音が聴こえそうなほど…

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  • 理由の感じられない好意って、違和感を覚えると思うんだけどなあ。 - モノーキー

    店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。 - Yahoo!知恵袋(via:はてなブックマーク) むしろ、こういう、言い知れぬ違和感を言語化しようとする行為をあきらめない人がモノを書くべきだと思った。 あと、はてブとかで「善意やら敬意を気持ち悪いと素直に受け取れないとは何事だ」みたいな異見があったけど、それって敬意や尊重や好意の押し付けで独善と変わりないからなあ。 ヒトは勝手にでも誰かにイイコトをしたい気持ちはある。でもそのイイコトが他人を心地よくするかどうかはまた別問題なんだよね、余計なお世話だと思われるときもあるわけで。 はてブが一番炎上してて、痛いニュースの方がむしろ冷静だなんて意見もあって、結構納得してたりするんですが。 結局、この質問者っておそらく彼らの好意の理由が理解できないから大嫌い(厳密に言えば気持ち悪い)って思ったんじゃないかな。 大嫌い