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視点と歴史に関するhatikadukiのブックマーク (7)

  • 「テレビの時代劇に、お歯黒、眉落としと梅毒患者が出てこないのは不思議だ」(鈴木隆雄)

    今晩の日経「あすへの話題」コラムで東京都老人総合研究所副所長の鈴木隆雄氏が書いておられる。そう、ニッポン人は「美しい日の伝統」を必要以上に美化する傾向がある。最近は既得権者の経済的動機からその風潮がさらに強まっているように思う。 要旨抜粋; 江戸時代の小説映画テレビが花盛り。でも当の姿はどうだったのだろう。 もっともよく思うのは、まゆ落としとお歯黒。これは掟であった。 もうひとつ思うのは、病人が出てこないこと。江戸時代の人骨を観察していると、お歯黒で真っ黒に変色した頭骨とともに、骨にまで達する梅毒。頭の頂にあるべき骨がすっかり溶けて消失した例もある。当時は梅毒が大流行で、専門医は大儲けしていた。杉田玄白もたくさんの梅毒患者を診ている。 天然痘も大流行していた。 でも、テレビにはそんなことは一切出てこない。 「安倍イナカモン長州閥政権」の「美しい日」スローガンも、こういう現実を無視

  • 深町秋生の序二段日記

    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/34073/ 今さらあの品格爺様をけなしたところで、肥溜めに向かって「てめえはクソだ」となじるくらい意味がないと思ってスルーしていたけれど、やっぱりこういうせんずり文章を見るとムカムカしてしょうがないので内容を勝手にいじってみた。ふざけやがって。いつかきっと、でかいと勘違いしているてめえのナニを切り取って口に突っ込んで黙らせてやる。 若い人たちへのの年賀状(勝手に改訂) ■人類が誇れる文化を生んだ日 ≪してはいけないこと≫ 新年おめでとうございます。君にとって、日そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。 君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっているとよく言われますが、

  • 歴史群像12月号 - アケガタ

    ■[読書][軍事]歴史群像12月号 ちょっとぐったり。特集「米兵たちの硫黄島」(白石光)と「栗林忠道の硫黄島防御戦術」(樋口隆晴)というのは、公開中の映画にあわせたんだろうが。これで部数が増えるのかな。どうせ「戦国の城」*1とか近世の戦史を読むために買っているから、かまいはしないけれども。 前者は海兵隊のヒロイズムに傾斜しすぎている。読み物としては面白いが。名誉勲章をもらうような人の武勲というのは、ほとんど小説みたいに読めるので。もそっと戦術面の話に特化してほしかった。どうせ歴史群像の購買層が増えるわけじゃないし。 後者は、「硫黄島の地形と直射火器の主射線」だけでも一読の意味がある。遺骨収集の過程で明らかになった分だけなので、主陣地以北(米軍の旧飛行場及び海自の基地)はほとんどわからないものの、南部に関しては、濃密な火網が敷かれ、しかもほとんど全ての火線が上陸部隊に対して斜めもしくは側面か

  • 生存適者日記 - 「強者」の必勝法は常に二つ

    弱者を弱者にしている、唯一にして決定的な要因は、「強者を理解していない」ということ 確かに、いわゆる「強者」の立場にいる者が皆個人レベルで圧倒的なスペックを誇っているわけではないんですが、そんなことは議員のセンセイ方(特に二世三世)を見れば小学生でも感じていることではないでしょうか。 ただし、「超人」でなくとも「強者」の立場を握り続けるための「強者の必勝法」は確かに存在するのです。 古来より「帝王学」とも呼ばれてきた秘伝ですが、そのエッセンスはわずか二点に凝縮することが可能です。「強者」は決して言いたがらないこれら二つを最後に明かしておきましょう。 一つ、 「分割して統治せよ」 一つ、 「胴元たれ」 拍子抜けしました? でも基はたったコレだけなんです。 簡単に説明しましょうか。 一つめ、「分割して統治せよ」。 聞いたことありますよね。古代ローマから春秋中国まで広く用いられてきた統治法です

    生存適者日記 - 「強者」の必勝法は常に二つ
  • 「百姓から見た戦国大名」 - H-Yamaguchi.net

    いわゆる「網野史観」というのがある。2004年に亡くなった歴史学者網野善彦氏らが提唱した、権力者よりむしろ民衆に注目する歴史のとらえ方、とでもいえばいいだろうか。歴史学者の間ではいろいろな見方があるらしいが、現存するさまざまな資料と整合的なところがたくさんあるし、少なくとも素人である私の目から見れば、「えらい人々」の歴史よりよほど面白く説得力がある。 このは、網野史観にも似た「民衆からの視点」をもって戦国時代を見たもの、といえる。戦国時代というと、私たち素人はつい、合従連衡とか下克上とか、天下統一へ向けた武将たちのドラマとかロマンとかみたいなものばかり思い浮かべてしまう。その「陰」で民衆は泣いていたのでは、なんて想像する人も多いだろう。戦乱の世にあって、家族との平和な日々を夢見ながらも横暴で権勢欲旺盛な君主に駆り出され泣く泣く戦場へ、なんて今ふうに考えてしまいがちだが、とんでもない。そん

    「百姓から見た戦国大名」 - H-Yamaguchi.net
  • (都議会議員初鹿あきひろ先生応援サイト)mumurブルログ:韓国人を火病らせる東条由布子さんの動画

    アウェイで冷静にボコボコにしてくる東条さんは、マジで凄い。 彼女の主張でmumurがびっくりしたのは、「日人として戦ったのに、靖国に祭られなかったら差別」という指摘をしたこと。 これはmumurがずーっと思ってたことなんだけど、マスコミ上で公然とこの指摘をしたのは東条さんが始めて(mumurの知る限り)。 仮に、韓国人を靖国に祀っていなかったら、韓国人やマスコミは「日韓国を差別していたことの証拠だ」と騒いだはず。「はず」というか絶対にそうする。100%やる。

  • MIYADAI.com Blog - 限界の近代・限界の思考 〜境界の正当性を巡って〜

    【UFOの意味論が指し示す危機】 ■興味深いが上梓されました。アメリカ文化の研究者である木原善彦氏の『UFOとポストモダン』(平凡社新書)です。このが興味深いのは、私たちが考える「現実の地平」がどんなものであるのかを、豊富な実例を元に考えさせてくれるからです。 ■木原氏は、見田宗介&大澤真幸&東浩紀による時代区分「理想の時代/虚構の時代/動物の時代」に並行して、UFOの意味論(木原氏は「UFO神話」と呼びます)を、「前期UFO神話/後期UFO神話/ポストUFO神話」に時代的に三区分します。 ■前期UFO神話の時代は1947年から始まり、後期UFO神話の時代は1973年から始まり、ポストUFO神話の時代は1995年から始まります。宇宙人の存在の如何は別にして、各意味論の要素が大きく異なるところから、各段階に対応する社会を見通せるとします。 ■宇宙人の形象に注目すると、「前期〜」は「白人型

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