ブックマーク / www.kikikikikinta3.com (47)

  • タルムード11

    ※いったんここで最終回とします。instructiveの意味がインストラクター的なものという話は前にしましたが、まあざっと分かったのでもう十分かなと。 題に入らないとあまり意味がないということですね。 ※前回ロドキンソン氏がユダ・ハ・ナシはすごかったと述べて終わってます。当時とてつもなく膨大な量があってテクノロジーもあるわけではない、大変だったろうことをやり遂げたのだと。 ・ミシュナと6つのセクション いずれにしても、ラビは自分の集めた資料をテーマと主題ごとに6つに分割またはカタログ化したのである。それはさらに、注文ごとに7~ 12の論文へ分けられることとなった、つまりは合計63個の論文へと分類されたのだった。最終的には、1つの区域内に74から126の範囲の個別の細分または章があるために、ミシュナの章の総数は4225にもなるのである。 次の数世紀にわたってこれらの細分化がコメントされてい

    タルムード11
    hdpn
    hdpn 2024/04/16
  • タルムード10

    ※ということで挿入で終わってますが、話としてはスペインの学者とフランスの学者で見解が異なっているという話でした。スペインでは書かれたものを元としてミシュナは構成されたはずだと言っているし、フランスの方ではいや大切なことは書かれないわけだからつまり口伝のみだと。そういう論争があった後に後世の学者は、書かれてないと改変されたりがあるから忘れたりしないように一応メモしたりしとくのは重要なんじゃないかというような案が現代にはあるというところで終わってます。 それでも、ユダ・ハ・ナシが目の前に抱えていた仕事を視覚化することは事実上不可能だった。というのはそれは何千ページものメモ、口頭伝承などを背後に何らかの論理を持った包括的な順序に整理することを意味するからだ。生のデータと当時のテクノロジーの不足を考慮すると、彼は超人的な能力を持っていたに違いない。そして、そこに多くの矛盾や無関係があるという事実は

    タルムード10
    hdpn
    hdpn 2024/04/15
  • タルムード9

    ・「ミシュナ」 先に述べたように、タルムードはミシュナとゲマラの2つの部分に分かれている。これは作曲され、より正確に整理され、西暦200年ごろ紙に書き留められたものであり、これに関してはラビとしても知られるラビであるユダ・ハ・ナシの多大な恩恵によるものだといえる。 タルムードの心臓部と魂がミシュナであることに疑いの余地はない。しかし、その構成要素がいつ書き留められたかについては、解説者の意見は異なる。スペインの学者たちは、この文書はイスラエルで「学習のための家」が始まって以来、R.ユダの現れるずっと前から所有されていたノートから記録されたと主張している。そして、「原始的ミシュナ」とでも呼ばれるべきものは、寺院がまだ存在していた間に、ヒレルとシャンマイの生徒たちによって書かれたと言ってもいる。 その後、ラビであるアキヴァが初めて伝統的な事項の包括的かつ系統的な収集に着手したようだが、膨大な量

    タルムード9
    hdpn
    hdpn 2024/04/14
  • 思い付き

    思いついたことをメモに書いておけば忘れないから大丈夫と言いたいが、毎日毎日思いついていると数が増えて段々思い付きが下へと流れていき、久しぶりに引っ張り出すと何を言いたかったのかすっかり忘れているのが地味に問題。音声で速攻で書き下ろせればいいものの音声認識は現状へっぽこなのでデタラメばかりで全く役に立たない。悩ましい。 ①神風特攻隊 神風特攻隊っていうのが究極の愚策であるということを指摘した例はあまり知らないが、これを愚策だと言うことに関してはこれは完全なタブーだったのではないかということを思った。軍人出身なので内部は当然禁忌もいいところである。国のため、日のため家族や故郷のために特攻して死んでいくという美談は涙なしでは語れない。というストーリーは当然あるわけだが、見方を変えるとアメリカ相手にまだまだ戦い続けねばならないのに貴重な戦力をむざむざと特攻で死なせるというのは、これは矛盾していな

    思い付き
    hdpn
    hdpn 2024/04/12
  • タルムード5

    ※余談ですが、機械翻訳使ってると何が問題なのかってどこからどこまでがどこにかかるかという当たり前のことが機械には分からない問題がまだまだかなりありますね。 A man, hobby was fishing, had a car. 「ある男というのが、釣り好きだったんだが、車を持ってました」 みたいなのがあるとして(ややこしいけどこういう文章かなりあるしSのものすごく長い文章はざらにある)釣りが好きってのはどう考えても彼にかかるわけだけど、機械翻訳していると 「ある男は、釣りが好きな車を持ってました」 みたいに訳し始めることがあっていやいや明らかにおかしいだろうと。そういうのは修正してます。釣りが好きな車ってなんだよって話ですが、釣りに向いた車とかもあるでしょうからそういう判別が機械にとってはまだ難しいってのはありそうです。 ・ローマと第二神殿の破壊 新千年紀の2世紀前のこと、ローマ帝国はあ

    タルムード5
    hdpn
    hdpn 2024/04/10
  • タルムード4-2

    ※パリサイ派とサドカイ派の話の続きです。 パリサイ派は口伝法も含めた全てを遵守しようというのに対し、サドカイ派は成文法のみ、書かれたもののみを遵守すべきだという対立があったという話でした。 しかし、サドカイ人は富と地位の中にあり、心の中ではヘレニズム文化(つまりギリシャ文化)に傾いていてパレスチナで影響力を持っており、さらに悪いことには、ユダヤ人の敵であるサマリア人がここに加わったのである。 その狙いとはつまり、ユダヤ教を完全に根絶することである。 そこには明らかな意図がうかがわれた……口承の伝統を遵守するパリサイ人とともにそれを破壊するという意図が。 このようにして、ユダヤ、特にエルサレムは陰謀や権力闘争などの温床となったのである……ギリシャ人やヘレネ人に同調する人々と、ユダヤ国家としての完全な自由を望む人々の間でのものと同様にである。こうしたことが宗教の支配をめぐる「内戦」につながるこ

    タルムード4-2
    hdpn
    hdpn 2024/04/09
  • 知識とはなんぞや

    はて、知識とはなんぞやと。そんなことをふと思ったという話。 ・例えば運転免許なんてものがあるのだが、基礎的なことや初歩的なことなどを知識として頭に入れていき、実技を通して高度なことや実践的な内容、最新の交通事情や法規事情を知っていき最終的にはその資格を取得するということになる、いやなるにはなるんだけど、じゃあ高度な次元の内容や重箱の隅をつつくような内容をこれでもかと知っていったとして、初歩の内容が不要になるかといえばまあそんなことはないわけで。 超高度な内容を会得したそのオレ様にとって基礎や初歩は不要だ、そんなみみっちいことに関わってられるか、したがって「飲酒運転は場合によってはしても仕方ない→〇だ」なんてことには来ならないのだ。 つまり何かって、階段10段で考えた際に10段行ったら1段目なんてレベルの低い問題は免除だなんてことにはならない。ところがこの世界は起きる、起きていいと思うし起

    知識とはなんぞや
    hdpn
    hdpn 2024/04/09
  • タルムード4-1

    ※これもしかしてタルムードじゃなくて実は内容が旧約聖書とかじゃないのか?と思い、ふと他のタルムードと比較してみたんですが、全部書いてある内容が全く違っており(笑)、まあいっそ全部やれば問題ないかと開き直ってやろうと思ってます。いっそこれだけ膨大な英語の内容をああでもないこうでもないとやることで英語の能力は多少はまあ磨かれることもあるかもしれない、そうしたらラッキー程度で思ってます。しかしタルムードやってるというよりは歴史をなぞってる感じなんだが。おかしいなあ。まあいいか。 まあ要するにタルムードを作る上での前提として、ユダヤというのは度重なる外圧と内圧とがあり、絶滅の危機に瀕したり現実的な小競り合いがあったり廃教の危機があったりしながらも生きながらえてきたし、それどころか危機を通して知恵を蓄えつつより洗練され豊かなものになっていったということなんだろうな程度でいいのではと思ってます。 時々

    タルムード4-1
    hdpn
    hdpn 2024/04/07
  • タルムード3

    ※かなり原文にはないような意訳してますが、日語ってのは「~た」みたいな単純な過去形の羅列よりは「~だった」「~したのだった」的な言い回しを使うとしっくりまとまるのでそういう感じでやってます。そういう使い回しをみたら、ああここやってるわと思ってください。 ・ヨシュアから、バビロン捕囚からの帰還まで 先に述べたように、イスラエルの子らを率いてヨルダン川を渡ってカナンに到達したのはヨシュアであり、数年以内に彼らはそこに住んでいた国々を征服し、追放したのだった。しかしヨシュアが死ぬと人々は神に背を向け、偶像やバリム(邪神)を崇拝したため、神は救世主または裁判官が彼らを救うために派遣されるまで、一度に何年もの間彼らを周囲の国々に征服した。 一時的に彼らは神の元に戻ったのだが、再び反乱を起こした。 このパターンは3世紀にわたって繰り返された。 結局、民は最後の士師(支配者、為政者)であるところのサム

    タルムード3
    hdpn
    hdpn 2024/04/07
  • タルムード2

    ※ここも多分そこまでおもしろい場所でもないし、まあテキトーに流すところだと思うのでしばらくこの調子でやります。時々これはこうかなと思ったところにはコメント入れてます。 カナンに戻るとヨセフの兄弟たちは、彼(ヨセフか)がヤコブに気に入られていたため、彼に異常に嫉妬するようになった。 それで17歳のとき、ヤコブはヨセフに、兄弟たち(羊の子)の様子を報告するように頼んだ。彼らはヨセフが来るのを見るとすぐに、彼を殺そうと決めた。 しかし、エジプトに向かうイシュマエル人の一団が通りかかったとき、ルーベンは彼らに「(自らの)手を血で汚す」のではなく、彼を奴隷として売る(売ってしまう)ように説得したのだった。 こうして、ヨセフはファラオの大臣の一人に売られ、(その時神も一緒だったのだが、)彼が30歳の時にファラオの前に現れ、ファラオの魔術師の誰も解読できなかった厄介な夢を解き明かした。その夢というのは、

    タルムード2
    hdpn
    hdpn 2024/04/06
  • タルムード1

    ※一応書いときますが、全くおもしろくない部分が続くので流し読みくらいが推奨です。 よくあるような聖書のくだりっぽくて何がおもしろいかよくわからん部分が続きますが、まあいずれおもしろい部分が出てくるんだろうと思って訳しつつ書いてます。 聖書のユダヤ教の簡単な歴史 自分のように隣人を愛せ レビ記 19:18 創造からモーセまで 創世記1章では、聖書は神が6日間で成し遂げた私たちの宇宙の創造について説明している。 6日目に、神は男性と女性、つまりアダムとイブを創造し、彼らの物質的なニーズをすべて満たす庭園、つまりエデンの園に彼らを置いた。その後、神は休み、7日目を神聖化し、それを安息日と呼んだ。当時は宗教が存在せず、ユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒も存在しなかった。 すべては数千年後に誕生した。 そして戒めは一つだけだった。アダムは善悪の知識の木の実をべてはいけないと言われた。 しかし、蛇

    タルムード1
    hdpn
    hdpn 2024/04/05
  • 玉子

    中毒中に思ったこと二つ目。 玉子について。あの寿司ネタの玉子である。玉子ほど不遇なネタもないんじゃないだろうか、などということを思っていた。マグロだのなんだのとネタは多数あるけれど、玉子だけはほとんど存在意義がない。 以前に大学の頃、友達と寿司屋に行っていろいろべていたら玉子が流れてきて、それを取ったことがある。 すると友達、 「え、玉子?」と一言。 「うん。どうした?(何か問題が?)」 「いや、だってもったいないやん」 それだけの会話でそれ以上思い出せないが、ただ友達がこの会話で言いたかったことは非常によくわかる。 要するにはるばる寿司屋くんだりまで来たのだから、玉子じゃなくてもっとべるネタあるでしょうと言いたかったのだ。胃袋だって限界があるものを、わざわざ玉子なんてネタをその貴重な胃袋のスペースを埋めるために使っては、他のものが入らんではないか。同じ値段でマグロだってあればサーモ

    玉子
    hdpn
    hdpn 2024/04/03
  • 願い

    我々が外界と接する時というのは何らかの期待をしているし期待値を持っているわけだが、果たしてその期待値はどういう値なのかということは我々自身のけっこうな問題だと言える。 例えていえばすごい人であり自分以上の人、人のいいところを探そうと思うのであればそういう値が手に入るだろうし、自分以下の人間を探そうと思うのであれば当然そういう結果が手に入ることだろう。どこに行き、誰と出会い、そしてその結果何を得るかというのは人それぞれで異なる結果となるだろうが、ただその期待値はそう簡単には変えられない。来変数であるべきそこが、定数になっているということが起きる。そしてそのことの結果として、素晴らしい人ばかりで有意義だ、刺激になったというか、それともクズばかりでこの世はクソばかりだというか、それはどちらにしろ自分自身の問題だということをふと思った。 ・世界に対して……というとちょっと大げさなので外界に対して

    願い
    hdpn
    hdpn 2024/03/30
  • かたつむり

    先日寅さんを見た。全く興味なかったところが途中からおもしろい展開になったのでほぼ見てしまい時間が無くなってしまって軽く後悔したのだが、しかしこのなんだかよくわからん寅さんという映画質に迫るような回で、非常に見ごたえがあったという。 ざっと説明すると、知的障害のある花子(多分この字であっていると思うが)という女性がいてあーめんどくせえなあと見ていた寅さんだったが途中から放っておけねえなあと思い始め、段々感情移入し始め、その花子が「寅さんにお嫁さんにしてもらおうかな」と気軽に言ったことあたりからのぼせ始め、とうとう気で結婚を考え始めるというある意味異様な回だった。 ・寅さんからすると「こいつはオレがいないとダメなんだ」という思いがあって、こいつをなんとかしてやろう。なんとかしてやりたいという思いがある。それが花子への優しさに繋がる。よし、オレが何とかしてやるというその思いが花子への行動へ

    かたつむり
    hdpn
    hdpn 2024/03/25
  • 安芸高田市の動画

    最近なぜかやたらと安芸高田市の動画がオススメに上がってくる。 で上がってきたらおもしろそうだなーとついつい見ているという。 中学生との議論 https://www.youtube.com/watch?v=GKHEi7ZqFLE 中学生とやり取りしている動画だが、これ32分くらいのところ非常におもしろい。 美術館存続は2000万円/年くらいかかると。で小学校中学校で給費無償化を今やっているところだが、そこの小中学校は給を我慢しますということであれば、美術館は維持の方向でやろうと思いますと市長。 中学生のことだからどこまでその真意をわかっているのかはわからないが、でもそれによって美術館は維持される。自分たちがべることと美術・文化とが秤にかけられており、これによってまさに中学生を問題の当事者の位置にまで引き上げることに成功している。ここで「はい」と言えば給無償化の対象外となり、その決定を

    安芸高田市の動画
    hdpn
    hdpn 2024/03/17
  • 真亀鮨の親方

    ふと思いついたのが、そういや将太の寿司ってどうも結末に違和感があるんだよなと。 今まで散々憎み続けてきた笹寿司(このマンガ、あまりにも笹寿司をボロクソに書きすぎて作者が現実の笹寿司に謝りに行ったこともあるんだとか……)を将太は「でもそれがあったから今の僕があるんだ!」と言って許してしまうという終わりなんだけど、どうもこの終わりにあるモヤモヤ感が一体何なのかというのはあった。まさかこの時代に成敗して終わりというわけにもいかないので(そもそも寿司マンガってこともあるし)なんというかいい落としどころはどんな感じかなあ、さて終わり方どうしようかなあというのは制作中にもいろいろ試行錯誤があったのではないだろうか。 そういう意味でカギになったのは(カギとしたのは)恐らくこの神亀鮨の親方だったのだろう。笹寿司の言いなりになって脅迫されて為す術もなく将太の父ちゃんの舟に仕掛けを仕掛ける。で身体を壊した父ち

    真亀鮨の親方
    hdpn
    hdpn 2024/03/16
  • 七夕/村下孝蔵

    https://www.youtube.com/watch?v=TQy1YuMv5qo 今日は曇天の下、例によってあれやこれややっていた。 一日中どんよりとしていたが、夕方になって眩しい西日が急に差し込んできて、眩しい夕焼けのその鮮やかさが目に染みるというか心に沁みるような気持ちになった。 その時不意にこの曲が頭を流れてきて、初めてこの曲が鮮やかに感じられた。なんというか、橙とか青といった色合いが目に見えるように感じられ、作者がこれに込めただろう何か、質感みたいなものをはっきりと感じ取ることができた。この曲に何か特別に思い入れがあるというわけではないが、極めてシンプルにしているからこそ感じ取れるものがあり、薄味にしているから感じ取れる素材の良さみたいなものがあるのかもなあなどと。 ・あまり関係あるようなないような話だが、人というものが後天的に持てる、一種の才能に近いものが怒りとか憎しみとか

    七夕/村下孝蔵
    hdpn
    hdpn 2024/03/13
  • モノと人

    包丁ってのは実に変わったものだ、などとふと思った。 切れ味でいけば高級で非常にいいものがいいに決まっているが、切れ味がいいからスパスパ切ってストレスもなくものを推し潰すでもない、いい仕事をしてくれる。 その一方で百均に売っているような100円の包丁やナイフも捨てがたく、ちょっとすべって手に当たってもまあまず手が切れるということがない。おっとと手が滑ってもなまくらなので当たった方の手から血が出ない。これはつまり言い換えれば安全性に非常に優れているということもできるだろう。 よく切れるという切れ味と、万が一でも手を切らないという安全性。これはもはや二律背反であり両雄並び立たずといった感じがある。切れ味を求めればいつか万が一手を切るかもしれないことと無縁ではいられないだろうし、安全性を求めれば手に当たっても切れないけど材も切りにくいと。じゃあまあいい落としどころは何かって、腕を磨いていい包丁を

    モノと人
    hdpn
    hdpn 2024/03/12
  • ロイテリ菌

    最近どっかの広告でロイテリ菌を見かけて、ああそういやそういうのがあったなあと思いだして調べてみると、7年前に既に見聞きしていたらしい。メモに残っていた。 それどころか、これはもしかしてすごいんじゃないかと思ってロイテリヨーグルトをべたことすらあったという。それらをもう長いことすっかり忘れていた。 ・毎度の歯磨きネタだが、最近思っていたのは思いつく限り究極の歯磨きをしていって口内をきれいにしていっても、そりゃきれいかもしれないけど善玉:悪玉の比率は最終的には変わらないんだろうなと。結局悪玉菌は完全にはいなくならない。リステリンを使ったとしても。リステリンでほぼ99.999%以上の菌をぶっ殺すことに成功したとしても結局歯周病菌だミュータンス菌だは撲滅できないわけで、何かをきっかけにしてまた増える。そうなると根的解決にならない。歯磨きは重要だろうけど、重要でも根的解決ではない。 これではな

    ロイテリ菌
    hdpn
    hdpn 2024/03/09
  • 話とニュアンス

    最近ネタが溜まってきたのでちょっとここらで幾つか書こうかなと。 ・我々の文化で「話す」とか「話をする」などと言われるものがあるわけだが、英語では話すったってtalkもあればspeechもあり、speakにsayにtellもあるといろいろあることはわかる。これに合わせて「言う」「伝える」「対話する」みたいな使い分けもできるっちゃできるわけだが、まあ基語なんてのは「話す」一語でほぼ事足りる。まあその「話をする」を分析しようとすれば英語の使い分けが非常に便利ではあるだろうし、確かに英語的な区分けによるニュアンスの違いを読み解くことはできないことはないにせよ「話をする」で済むといえば済むわけであり、そういう外的な分類はそこまで必要かと言われれば別に必要というわけでもなさそうではある。 しかしじゃあ我々の「話をする」といったことがそこまで英語ほど外的に鋭敏にわかれさせられる必要性が全くなかった

    話とニュアンス
    hdpn
    hdpn 2024/03/03