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ブックマーク / ashizu.hatenablog.com (5)

  • 「私はここにいる」――『涼宮ハルヒの消失』に見る肯定の思想 - metamorphosis

    (ネタバレ大いにあり) 今月の6日から公開されている劇場アニメ『涼宮ハルヒの消失』。僕は初日に見に行ってきたのだが、感想をブログに書くのはしばらく控えようと思っていた。何というか、考えがまとまるための熟成期間がしばらく欲しいと思っていたのである。それでは、現在、もう考えが熟成したのかと言われると、まだ十分ではない気もするが、待っているといつまでも書かない気がしてきたので、ひとまずこの作品について自分が考えていることを書いてみることにする。 また、僕は、『涼宮ハルヒ』という作品だけでなく、その制作会社の京都アニメーションも非常に重要だと思っている。つまり、京都アニメーションが作るアニメとはどのようなアニメなのかということにも関心を持っている。しかし、京都アニメーションについてはまだ考えがまとまらないので、ひとまず今回は、この『ハルヒ消失』というアニメがどういった作品であるのかという点に集中し

    「私はここにいる」――『涼宮ハルヒの消失』に見る肯定の思想 - metamorphosis
  • 「エンドレスエイト」から立ち上がってくる倫理――平行世界の確率論的な倫理について - metamorphosis

    先日まで、『涼宮ハルヒの憂』のアニメにおいて、八回にわたって、「エンドレスエイト」のエピソードが放送されたわけだが、ネットでの議論を少し見た限りでは、同じ内容の話を何度も繰り返して放送することに対する賛否が主に話されていて、物語内容についての解釈等についてはあまり話されていないという印象を受けた。そういうこともあって、ここでは、「エンドレスエイト」が八回にわたって放送されたことについてはいったん脇に置いて、まずは、その物語内容の側面から、この作品について考えていきたいと思っている。 『涼宮ハルヒの憂』という作品の興味深いところは、複数の視点、複数のパースペクティヴのギャップというものが、非常に上手く提示されているところである。この作品について、そこには、キョンの一人称視点しかないというふうに言うこともできるだろうが、キョンの一人称を取り巻く形で、他の登場人物のパースペクティヴも問題にな

    「エンドレスエイト」から立ち上がってくる倫理――平行世界の確率論的な倫理について - metamorphosis
  • 言葉のない世界が生み出す言葉――ゲーム『ゆめにっき』について - metamorphosis

    知っている人は知っているだろうが、『ゆめにっき』というフリーゲームがあって、遅ればせながら僕も去年ぐらいにはまって、この作品についていろいろと考えたりしたのだが、そのときはこの作品について何か書いたりはしなかった。それが昨日ふと、この作品のことを思い出して、ちょっとプレイし直してみたりして、昔考えたことを思い出したので、今さらながらこの作品の感想を書いてみることにしたい。 この作品は、ネットを散策してみると、一部に熱狂的なファンがいるような気がするのだが、それは非常によく理解できるように思う。さらに、僕が興味を覚えたのは、この作品をファンの人たちがどのように受容しているかで、何というか、作品内では明示されていないことをどんどんと埋めるようにして二次創作がいろいろと生み出されているのが面白いと思った。 この『ゆめにっき』という作品は、基的に説明というものが決定的に不足していて(端的に「言葉

    言葉のない世界が生み出す言葉――ゲーム『ゆめにっき』について - metamorphosis
  • 『けいおん!』と現在時の肯定――京都アニメーションにとってのチョココロネ - metamorphosis

    毎度のことだが、新作アニメの消化がスムーズに進まない。前クールのアニメもまだかなり残っている。 そんな中でも、話題の『けいおん!』は見ているのだが、すでにネット上でかなりの人がこの作品について語っているので、別に今この作品をあえて問題にしなくてもいいかなあ、と漠然と思っていたのだが、昨日、たまたまYouTubeにアップされていたオープニングの曲を歌詞を見ながら何度も聞いてしまって、その歌詞があまりにも良かったので、それに引きずられるような形で、『けいおん』のアニメについて、現在思っていることをちょっと書いておきたい。 今のところ、三話まで『けいおん』を見たが、僕は、この三話だけで、この作品を完全肯定していいと思っている。それは、アニメの出来不出来という問題の他に、個人的な思い入れももちろんあるのだが、そこら辺のことをちょっと書いてみたいと思う。 以前に書いたことであるが、僕は、『らき☆すた

    『けいおん!』と現在時の肯定――京都アニメーションにとってのチョココロネ - metamorphosis
  • 『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』についてのメモ - metamorphosis

    『涼宮ハルヒちゃんの憂』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』という二つのアニメ作品を問題にするにあたっては、まず、これらの作品がYouTubeという動画投稿サイトで発表されているという、その物理的な条件について考える必要がある。 劇場アニメ、テレビアニメ、OVA(OAD)というふうに、これまで分化していたアニメの形態は、時間上の制約というものを、当然のことながら、受けていた。『ハルヒちゃん』と『ちゅるやさん』という二つの作品によって明らかになったのは、30分なり15分なりといったテレビアニメの形態が、絶対的なものではないのはもちろんのこと、そんなふうに時間を制約されることで、作品の内容にも大きな影響を与えるということである。『ハルヒちゃん』や『ちゅるやさん』を15分番組なり30分番組なりにまとめることは可能だろうが、そんなふうに15分や30分をひとつの単位として作品にまとまりをもたらすと、ひと

    『涼宮ハルヒちゃんの憂鬱』と『にょろ〜ん☆ちゅるやさん』についてのメモ - metamorphosis
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